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2018年07月31日11:10

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7月30日

近所の豆腐屋さんの前を通ると、目覚まし時計の音が聞こえた。昔ながらのジリリリという無遠慮で、けたたましい音だ。ずいぶん長いあいだ鳴り響いていたから、まだ店主は眠りこけているのかもしれない。ちょうど五時を回ったくらいだ。新鮮な夏の光が街に降りそそいで、地表の温度をぐんぐん上げていく。
 道の向こうから男性が走ってきた。ぼくはその人のことを見知っている。いつもきまってこの時間に現れるランナーだ。ぼくが知る限り、彼が寝坊をしたことは一度もない。もうかれこれ10年は走り続けている鉄人みたいな人だ。
 来る日も来る日も、彼はその孤独で寡黙な戦いに挑んでいる。これを習慣だと一言にまとめてしまうわけにはいかない。その言葉に含まれるどこかオートマティックな部分が彼にはそぐわないからだ。彼の走り方はけっして健康維持のためにしている類のものではない。むしろ、肉体を傷つけるためにやっているのではないかと思えるほど過酷な営みだ。彼は、ほとんど全力でアスファルトを駆け抜ける。顔中にしわを刻みこみ、開ききった目にゴミをためて、額の汗を瞬く間に後ろへ飛ばしていく。ぼくの見間違いでなければ、たぶん泣いている。体のあらゆる部位が悲鳴をあげており、それらが複合的に混ざり合うと、ひとつの敵意のように鳴り響く。そしてぼくたちは慌てて道をあけることになる。
 年齢は50手前といったところだと思う。もしくはもっともっと若いかもしれない。ぼくは彼の苦悶に満ちた表情しか見たことがないのだ。もちろん余分な脂肪というのも見受けられない。体に不必要なものはすべて路上に捨て去って、走るのに必要なものだけを残してある。極めてシャープな体型だ。ストイックという言葉よりも、狂気といった印象の方が前にくる。それは、ぼくのまだまだ寝ぼけた頭にはいささか受け入れがたい、ショッキングな光景でもある。
 もちろん敬意を払わずにはいられないし、畏怖というのもある。彼が道端に吐き捨てた唾を跨ぐときにも、「いまから鉄人の体液を跨ぐぞ」と心してかかる。もはや彼が立ち止まるというのは想像することができないけれど、もし仮にぼくが話をする機会を得たとしたら、まずはファンであることを伝えたい。あらゆる言葉をつくして賛辞を述べ、手のひらが腫れるまで拍手をおくりたい。それから恐れ多くも、ひとつだけを質問をすると思う。それは彼がつけているイヤホンについてだ。生死の境を全力で走るようなときに、果たして音楽は耳に入ってくるのかな、とぼくのような凡夫は思ってしまう。それに、彼の走りに付いて来られる楽曲というのもそれほど多くはないはずだ。少なくとも彼の苦悶に満ちた表情は音楽を楽しんでいるようには見えない。だからぼくはいつからか胸の内に思い続けていることを、その時に彼に聞いてみたい。
 「音楽は流れていませんね?」
 ぼくはこの結論に妙な確信を得ている。電源は切られていると思う。はげしく揺さぶられるコードの鬱陶しさも、彼の苦行のうちのひとつなのではないか。もしくは、何も流れていないイヤホンを耳にするという精神的な負荷をかけているのではないか。この指摘は彼をギクリとたじろがせるとぼくは思っている。が、はたしてどうだろう。とても興味深い質問だ。でもそれがわかったとて、その痛ましき肉体がどこに向かっているのかは、まるで想像がつかないのだけれども。

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