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2017年09月15日22:18

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バイク乗り・・・

先週のある平日の午後のことじゃ

熱海に野暮用があって
行きましょうというときに

最近オートバイで走っていなかったので
山まわりコースで熱海に向かうことにしたんじゃ

<箱根山の2輪の走り屋>を自称しているワシは最低でも
月に1回は箱根山を快走しているんじゃ

裏山の椿ラインを上って
国道1号線に降りて
熱海峠で左折して
十国峠を経由して
急坂を熱海市街まで下りて行って
野暮用を済ませて帰ってきたのサ
帰りはR135
全コースは45kmほどで
全てがアップダウンのワインディングロードなのであるサ〜

箱根山は関東の走り屋の聖地的存在で
ツーリングライダーも多い。

平日でも集団のツーリングライダーに出くわすんじゃよ・・・

この日ワシは数グループの少人数のツーリングチームとすれ違ったんじゃが
なんと 手を挙げて ワシに挨拶してくれるライダーが 8名ほど居たのじゃよ・・

ワシがオートバイに乗り始めた80年代には普通に観られた光景なんだけど

当時これを オートバイ雑誌では ピースサイン と呼んでいたのじゃよ

昔 在ったけど 今では廃れてしまった習慣サ〜

(え・・・ あのピースサインが また 復活しつつあるのかよ〜〜〜)

とワシは驚いてしまったサ〜

ワシらが若い頃はバイクブームで バイク乗りは今よりはるかに多かったかもしれないが・・

道路を交通する乗り物の中では圧倒的に少数派!

バイク乗りなどマイナーな存在だと思っていたサ・・・


当時のピースサインには ワシは例えば こんな思い出があるんじゃ・・

無数にあるその記憶のひとつにこんなものがあるのサ・・・

19歳の夏休みに ワシは 日本半周大ツーリング計画を立てて ソロで実行したのよ・・

15日ほどかけて この計画は実行することが出来て (完遂できたサ・・)

その計画は 大阪の堺市より出発して
日本海沿いに北上して
青函連絡船で北海道に渡り

函館〜札幌〜留萌〜稚内に至り 今度はオホーツク海沿いに南下して
稚内〜斜里町を経由して
大雪山の麓を回り
再び函館に至り
連絡船で青森に達した後は
太平洋側の緒県を経て
再び堺市に帰ってきたのじゃよ・・・

あれは秋田だっただろうか
朝から雨が降っていたんじゃ

当時はゴアテックスなどなくて
いわゆる普通の作業用雨合羽を着て
ツーリングブーツはレジ袋で包んで防水して
グローブは濡れっぱなしで長距離移動に臨んでいたサ〜

レジ袋の防水は2時間が限度で
それを超えると手も足も濡れっぱなしの辛い時間を過ごしていたのサ・・・

こんな時 すれ違うツーリングライダーなどひとりも居ないのよ・・・

その日一人だけワシと同じオフロードのツーリングライダーとすれ違ったんじゃよ・・

ワシ等ふたりはお互いに手を挙げて 挨拶を交わしたんじゃよ・・・

19歳のワシは 鉛色の空の下 いつまでも降り続く雨の中で
ただひたすら 前を目指して 愛車を走らせていたんじゃよ・・

(ワシは 今 大変じゃけど あなたも 大変じゃなぁ・・・)

あの瞬間 挙げた手で そのすべてを交わしあったのじゃと思う・・・

(こんな日に こんな馬鹿なことをやっている 大馬鹿野郎が 他にもいたんじゃ・・・)

それを知ったことで 当時のワシは 何とも言えない気持ちになったことを覚えているんじゃよ・・

いざとなるとき ピースサインは そんな効果があったのサ・・・ 

宮崎駿監督の「紅の豚」を観ていると
飛行機乗りは
飛行機乗りの独特の世界があることがわかるじゃろう・・

バイク乗りには
同じよう世界があるのじゃとワシは思っているんじゃ・・

映画「トップ ガン」の主人公が カワサキのNinjyaに華麗に乗っていたけど・・

飛行機乗りと バイク乗りには 共通の世界があるんじゃとワシは思っている・・

それは共に3次元の乗り物だということじゃ

4輪の世界は2次元の世界に過ぎないんじゃよ・・

ワシのお客さんの中には・・
ワシがバイク乗りだから その治療を受けてみる気になった
バイク乗りでなかったら来なかった・・

と言いのけた変わり者も伊豆山にひとり居たんじゃよ・・

他に バイクを見て来てくれた人が もう一人ある・・

いづれも もう完治しているので 来ることはないが・・・

もし また どこか痛くなることがあれば・・ 

(その時はワシの治療を受けに来てくれるのであろうサ・・・) 















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