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2017年08月01日06:21

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理想国家を目指して

石原莞爾の「王道楽土」「五族協和」という理想国家が実現していたら、満州国の歴史は現在も続いていたのかも知れません。石原莞爾にとってこれは、単なるスローガンではなく、理想国家そのものだったのです。この理想の崇高さが、満州事変に関わった若手の参謀達を含めて、多くの人々を惹きつけたのです。

柳条湖事件勃発時に、政府や軍首脳から度重なる「不拡大方針」の圧力にも屈せず、若手の参謀たちに一時日本国籍を離脱する決心までさせたのは、決して利害や打算だけではありません。利害や打算で動く人間は、最終的には我が身が可愛いのだから、命を投げ出して事に当たることはできないでしょう。

この地球に新しい国を創り上げるという原動力となった、エネルギーは「王道楽土」という崇高な言葉でしょう。しかし、満州国は、石原莞爾が構想したような国にはならなかったのです。東条英機をはじめとする軍部と岸信介らの官僚の大半は、満州国を日本の利益のためにいかに利用するしか頭になかったのです。それはある意味、当然でした。

世の中には、理想で動く人間もいれば、打算で動く人間もいるのです。それぐらいのことは、石原莞爾にも当然わかっていたはずです。ただ悲劇的だったのは、東条英機にしても、個人的な私利私欲で動いていた人物ではなかったことです。もしもそのような強欲な人間であったなら、かえって石原莞爾は相手にしていなかったかも知れません。

東条英機は、太平洋戦争の開戦の決断をした首相であったが、昭和天皇からの信任も厚く、私生活も清貧で、部下の面倒見が良く、官僚としては有能であったといいます。少なくとも東條英機は、私利私欲で動く人物ではなく日本国だけの打算で動く人間であった。それゆえに、お互いに妥協が出来ず、対立は深刻なものとなったと思います。

東条英機にしてみれば、石原莞爾はまさに敵。そう考えなければ、執拗なまでに石原莞爾を追い回して関係団体までことごとく圧力をかけ攻撃したことは理解できないでしょう。満州国が十数年で崩壊した理由は、政治的軍事的に様々でありますが、根本はやはり、石原莞爾の描いた理想国家にならなかったことでしょう。

理想は確かに大きければ大きいほど、より多くの人の妨害や反発をかうでしょう。石原莞爾ほどの天才にも、その点の錯誤があったと言っていいでしょう。白人国家と戦いながら日本国内の人間とも争わなければならない孤独の戦いでは無理があったのかも知れません。だが、現代となり石原莞爾の言う三原則がとても大切だと言うことに気付き始めているのかも知れません。
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