mixiユーザー(id:28135846)

2017年07月16日01:40

1168 view

複雑な想いが、さまざまに胸に沸き起こる・・・・大阪国際フェスティバル・「ミサ」

なるほど、確かに、「問題作」

大阪 フェスティバルホール
第55回大阪国際フェスティバル2017
フェスティバルシティ・オープン記念
大阪フィルハーモニー交響楽団創立70周年記念
井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団・合唱団
(コンサートマスター チェ・ムンス)
総監督・演出・字幕:井上道義
司祭:大山大輔(バリトン)
ストリートコーラス:
    小川里美、小林沙羅、鷲尾麻衣(ソプラノ)
    野田千恵子、幣真千子、森山京子(メゾソプラノ)
    後藤万有美(アルト)
    藤木大地(カウンターテナー)
    古橋郷平、鈴木俊介、又吉秀樹、村上公太(テノール)
    加く徹、久保和範、与那城敬(バリトン)
    ジョン・ハオ(バス)
    込山直樹(ボーイ・ソプラノ)
ファルセット・コーラス:奥村泰典、福島章恭、藤木大地
キッズコールOSAKA
従者(助演):孫高宏、三坂賢二郎(兵庫県立ピッコロ劇団)
堀内充バレエプロジェクト
大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コース
ロックバンド:福田晃一・吉岡昇(エレキギター)、喜多建博(エレキベース)、白石准(キーボード)、江森文男(ドラムス)
ブルースバンド:堺重幸(エレキベース)、尾崎克典(キーボード)、上田淳介(ドラムス)
サクソフォン・トリオ:林田和之(ソプラノサックス)、日下部任良(アルトサックス)、高畑次郎(テナーサックス)
オルガン:桑山彩子(L)、山崎千晶(s)
スティールパン:釣千賀子

L・バーンスタイン:シアターピース「ミサ」〜歌手、演奏家、ダンサーのための劇場用作品〜

20分の休憩をはさんで、演奏開始から終了まで2時間半という結構長いもの。でも、ぐすたふくん的には、休憩をいれず、2時間一気にやり通した方が良かったんじゃないか、と思いました。ここまでで前半、となった時の、まるで停電でブラックアウトしたテレビドラマのような唐突感と、白々しい休憩アナウンスの違和感。だから、僕は休憩時間も座席にずっと座っていました。いろいろな感情や、思考が胸の中に渦巻いていて、そのカオスが、この場所から外へ出て、日常の空間、いつものフェスのラウンジの談笑に紛らわされてしまうことを避けたかった。

正直、この「シアターピース」から受けるインパクトや衝撃は相当なもので、(断じてこれは「ミサ」ではないです。むしろ、「メタ・ミサ」というに相応しい)、拒否感を覚えるところすらある(いくら、バーンスタインの作品であったとしても!)。でもそれこそが、「総合芸術家バーンスタイン」がこの作品でやろうとしていたことで、現代の混乱を混乱として、個人の葛藤は葛藤として、宗教が(神が!)何物をももたらしてくれない絶望を絶望として、ありったけの力でもって叩きつけたその「エネルギー」のすさまじさにはただただ圧倒される。

最終的には、司祭(=バーンスタイン本人)は死に、輪廻転生して(空中に出現する青く光る人型と、その後にフルートに導かれ、舞台中央に出現した滑り台を降りてくるボーイソプラノ、というのは、その暗喩と見ました)この世に戻ってくる。その時人々は、神にすがるのでもなく、カリスマにも、偶像にもすがるのでもなく、自らの足で立ち上がり、歩み始める・・・・そこに立ち現れるのは、「十字架」ではなく「一本の真っ直ぐな道」・・・・・そのくだりは、単純だが美しい「Song」旋律の高揚とともに(この旋律が耳について離れない!!)、真に感動的なもので、道義さんの「The Mass is ended;go in Peace!」の呟きで締めくくられる。

ただ、あまりにいろいろなことがそこまでにありすぎて、そこでの「一応のハッピーエンド」に際し、胸に去来する感情は単純ではないです。感動はする。でもそれは、一体何に感動しているんだろう、という思いに捉われる。少なくとも、救われた、とは言い難い。少なくとも、かといって、やりきれない、というわけでもない。そこにあるのは、「名状しがたい」「非言語的な」「受容と覚悟の境地」とでもいうべきもの、と感じました。そして、その「受容」の仕方も、「覚悟」の仕方も、そこにいる観客一人ひとり違うのだろう、とも。

会場はほぼ満員(昨日もほぼ満員だったみたい)、道義さんも渾身の指揮ぶりで、イベントとしては大成功だったんじゃないかなあ。ただ、それは「井上道義の一大イベント」であったことは間違いがなく、大フィルにとってどうだったんだろう・・・・という、少々斜に構えたとらえ方をしてしまうのは、僕が道義さんがこれまで大フィルでやってきたことに対して、かなりの反発を感じているからに他ならないでしょうね。

ただ、大阪における演奏会史上、記録と記憶に残る演奏会であったことは確かで、その場所に居る機会を逃すことがなかったことはよかったです。

追記:今回のイベントに際しての、評論家 山田治生氏のご活躍には、心から感服いたしました。極めて示唆に富んだ氏の一連の文章(http://blog.osakafes.jp/archives/2214)を読まなければ、この演奏会に足を運ぶことはなかったでしょう。感謝。

追記その2:この、バーンスタインの「ミサ」について書かれたほかのブログを読んでいると、この曲の最後の一連のくだりを、マーラーの「千人」のやはり最後の一連の流れになぞらえたものがありました。くしくも、ぐすたふ君、広上・京響の二日目の演奏を「指揮者=司祭」に導かれた「宗教的体験=ミサ」として体験し、それを文章に起していたことを思うとき、今年、まったく違う形で、京都と大阪で、音楽を通しての宗教的体験ができたこと、そのことの不思議を感じました。
5 7

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年07月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031