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2017年05月29日16:26

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昨日は利根運河へ行った

リカンベント同好会にお誘いいただき…しばらく長距離は走って無かったのでリハビリがてら行って来たのであるが…地図で見ると自分の普段走るのと距離感が違うな。w
後半特にへろへろになって思い切りペースを落とさせてしまって申し訳ない。
参加メンバーは6人で、全員リカンベント、一台タドポールトライク。年齢層は平均すればワシと同じくらいかな。
まだ筋肉痛などは無いが、歳になってるからなぁ…少し遅れて出るかも。w
なお、この痛みが遅れで出るのは直接、歳のせいでは無く、体をかばって運動するためだと言うが。

コースとしては、新小岩あたりを出発し、江戸川の東岸にある里見公園(市川市)を経由して江戸川沿いに遡上、利根運河に入る。それを利根川方面へ行って利根川まで1キロ程度を残して元来た道を(対岸を走ることはあったが)戻る。というものだった。総距離70.78キロ。所要時間は休憩含めて9時間くらいだ。
江戸川もなかなか広々としてのどかな景色であったが、そこから入った利根運河が川自体は幅はそれほどないが、広大な河川敷を持ち雄大な景色であった。明治時代に作られた西洋式の最初の運河だそうだ。

江戸川の成り立ちは興味深いものだ。
「利根川東遷事業」により、こうなったのだが、コレは元々、江戸湾(現東京湾)に注いでいた利根川を主に水害防止のため、流れを付け替えて、銚子あたりから太平洋に流すと言う事業だ。
これは、徳川家康が江戸に幕府を構えたことによる巨大事業で…1621年から30年くらいかかった。
ざっくり言うと、坂東太郎の異名をもつ利根川は群馬と新潟の間の分水嶺を源とし、江戸湾に注ぐ大河であったが、江戸という地域の利用を難しいモノとする程の暴れ川であった。
なので、利根川の大半の水量を鬼怒川の流路に流し、太平洋に直接つなげた。
(この経緯についてはとてもややこしいので省略)
その結果として、元々は渡瀬川の河口部だった部分が利根川の支流として残り、それが江戸川という名になった。
また市川から先のすぐ海に注ぐ部分は江戸川放水路とも呼ばれるが、これが江戸川で元からの流路は旧江戸川と現在では言われている。

また、この工事の結果として東北地方からの物資の運搬に用いられてた水運のルートが変更を余儀なくされて、前述の利根運河が作られたと言うトコロへつながる。
運河には蒸気船が行きかってたらしい。


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