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2017年04月02日11:22

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アートとは何か(4)にじみ出る狂気の魅力

ヘンリー・ダーガーや、アロイーズ、アドルフ・ヴェルフリといった、アール・ブリュット=アウトサイダー・アートに共通する魅力は何かと、誰かに問われたら、その作品からにじみ出る狂気の魅力であると、ためらうことなく、私はそう答えている。
人間には、もちろん、世のため、人のために、自らの命すら投げ出すという、自己犠牲の精神や、やさしく美しい心もあるが、同時に、どす黒い欲望や沸々たる支配力、狂気とでもいうしかない、理不尽で、底なしの感情もある。でも、たいていの人間は、そうした、いわば負の感情を、無理矢理、押さえ込んで、生きている。でも、人間の心に潜む、そうした負の感情を認めないということは、本当に、正しいことなのか、私には疑問だ。その、いわばコインの裏表を認めた上で、初めて、人間は愚かだけれども、素晴らしいといえるのではないか???と、そう考えている。
アートは、美しく、素晴らしい、人の心を洗うようなものでなければならないとは、必ずしも、思わない。決して、見つめたくはない、そして、認めたくはない、人間の心の中の、どす黒い負の感情を映し出す鏡もまた、立派なアートである。
思えば、私が惹かれ、長年、通い続けてきたクメールの遺跡や、メソアメリカの遺跡もまた、そうしたものであったように思う。それは人の素晴らしさと同時に、愚かしさの集積でもあり、それは、ある種の、狂気を孕んだ美であった。
そうしたものに、まず何より、私という人間は、惹かれるのである。アートの世界でも、教科書に載っているような、高名なアーティストの中で、私がおそらく最初に惹かれたのは、ゴッホだった。あのねじくれ、絡み合い、天まで届けとばかりに、燃え上がるような杉の木や、荒涼とした人の心を映し出す、カラスの飛び交う麦畑、そうしたものに、たまらない魅力を感じてきたのだから、私もまた、立派な「異常者」なのかもしれない。
シュールレアリスムに夢中になった時も、詩的な美しさをたたえたマグリットにではなく、どこか病的なものを感じるキリコや、ただただ、沈潜する不安でしかないタンギーなどに、私はより惹かれ、そして、彼らの作品を愛してきたのである。
そして、アウトサイダー・アートへの傾倒。現代アートの世界でも、好きなのは、束芋さんとか、近藤聡乃さんとか、いずれもその作品から、にじみ出る狂気を感じるアーティストの作品である。
でも、好きが高じて、そのワークショップに通った束芋さんは、こっちが拍子抜けするほど、フツーで、他人への心遣いに満ちた、とても素敵な方で、その彼女のどこからも、作品からにじみ出る狂気の片鱗を、感じ取ることが出来なかった。ニューヨーク在住の近藤聡乃さんとも、森美術館のレセプションでお会いし、お話を伺う機会があったが、彼女もまた、にじみ出る狂気とは、無縁の人だった。
うれしいんだか、悲しいんだか、ガッカリしたのか、よくわからない感情。それは、おそらく、私にとっての「ないものねだり」。
とりあえず、今日はここまで。また、書きます。


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