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2017年01月17日13:39

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1月浅草歌舞伎。松也、巳之助、壱太郎

17年1月浅草歌舞伎・第一部(「傾城反魂香」「道行初音旅」)


「配役難」か、浅草歌舞伎


第一部は、「傾城反魂香」と「道行初音旅」。ほかの小屋ならもうひと演目つくだろう。配役難か。

今回の浅草歌舞伎は、第一部のみ観劇した。初日第一部が跳ねてから、正月2日の浅草の賑わいを抜けて、隅田川を渡り、吾妻橋の袂のビールメーカー直営レストランで地ビールを飲みながら遅めの昼食を戴く。

「傾城反魂香」の場面は、お馴染みの土佐将監の「山科閑居の場」。絵師の家らしく、文化の香りが高い。襖には、五言絶句の漢詩。「山中何所有 嶺上多白雲 只可自怡悦 不堪持寄君」。閑居の孤高の心境か。

この芝居は、弟子たちの画家としての実力や社会性などを判断する人が、土佐将監であろう。土佐将監は専門家として、又平の技量の評価には厳しいが、生真面目な又平の性格は買っている。将監の後ろに控え、言葉少ないながら、きちんと人間の力量を見抜く人が、北の方だろう。将監の北の方は、科白は少ないが、又平の応援団として表情、仕草、肚を観客に伝えなければならない。夫に逆らわないが、同調もしていない。

そして、主役の又平は、絵も社会性も不器用な人なのだろう。師匠の又平に対する厳しい評価と又平の不器用さの間に生じる大きな隙間を埋めて、さらに二人の関係を仕切る人が、世話女房のおとくだろう、と私は分析してみた。

今回の主な配役は、次の通り。
浮世又平(巳之助)、又平女房・おとく(壱太郎)、狩野雅楽之助(隼人)、土佐修理之助(梅丸)、土佐将監(桂三)、将監北の方(歌女之丞)。

土佐将監は、土佐派中興の祖として、土佐派絵画の権力者だったが、「仔細あって先年勘気を蒙り」、目下、山科で、閑居している。北の方は、夫・将監と不遇の弟子・又平との間で、バランスを取りながら、壺を外さぬ演技が要求される難しい役だ。今回、土佐将監は、大谷桂三が演じ、北の方は、中村歌女之丞が演じた。浅草歌舞伎の若手役者では、こういう役は勤まらない。

「傾城反魂香」には、私はいつ見ても部分的に嫌いな場面がある。「傾城反魂香」では、処遇改善を求めて、夫婦で師匠の所に要請に行く際、「吃り」という障害を強調する場面、また、それに対して師匠に「差別意識」があることが浮き彫りにされる場面である。それをさりげなくフォローするのが、北の方だ。

これは、夫婦の情愛の芝居であるが、現代風に言うなら、タレント(又平)を売り出そうとするマネージャー(おとく)の物語でもある。琵琶湖畔で、お土産用の大津絵を描いて、糊口を凌いでいた又平(巳之助)が、女房おとく(壱太郎)の励ましを受けて、弟弟子にも抜かれて行くような、だめな絵師としての烙印を跳ね返し、土佐光起という名前を貰うまでになる。私が観た又平では、新しく人間国宝になった吉右衛門が、やはりダントツである。特に、又平が遺書代わりに石の手水鉢に描いた起死回生の絵が、手水鉢を突き抜けた時の、「かかあー、抜けた!」という吉右衛門の科白廻しは、追従を許さない。「子ども又平」、「びっくり又平」と、同じ又平でも、心のありように即して自在に演じる吉右衛門の入魂の熱演だった。

今回は、若手の巳之助が又平を演じる。巳之助の父親の三津五郎も又平を演じたことがある。三津五郎は、歌舞伎役者の中でも、抜群の踊りの名手、又平の踊りは、この場面では、いわば素人の藝で無ければならない。師匠に評価され、名前をもらい、手も脚も自然に舞い出すという感じで踊る。名人のような巧い踊りになってしまってはいけない。巳之助は、父親の芸を引き継ごうと必死だろう。私がいちばんの難点と思ったのは、吃音の科白が、吉右衛門や三津五郎のように、吃音に聞こえず、狐忠信のキツネ言葉のように聞こえてしまったことだ。

吃音者の夫を支える饒舌な妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、もうひとつのポイントになる。先に亡くなった芝翫は「世話女房型」であった。高齢で舞台から遠のいている雀右衛門は「母型」。時蔵は、姉さん女房で、マネージャー型だった。時蔵は、梅幸直伝という。今回の壱太郎は、世話女房型に見えた。壱太郎は、今月は歌舞伎座と掛け持ち。第一部終演後、毎日歌舞伎座へ通う。歌舞伎座では、夜の部の「松浦の太鼓」で赤穂浪士の大高源吾の妹・お縫を演じる。

雅楽之助は、中村隼人。修理之助は、中村梅丸。浅草歌舞伎らしく、若手が多い配役である。


「道行初音旅」。通称「吉野山」。義経の恋人で絶世の美女・静御前に付き従うのは、狐が化けた佐藤忠信。通称狐忠信。美女と狐の主従の幻想的な道行。春爛漫、桜満開の吉野山へ向かう。清元と竹本の掛け合い。今回の主な配役は、次の通り。狐忠信(松也)、静御前(壱太郎)、早見藤太(巳之助)。

開幕すると、舞台奥中央から下手に向かって、清元の山台。延寿太夫ら4人。暫く舞台無人で、これを「置き浄瑠璃」という。花道から静御前(壱太郎)が登場し、暫くは、花道七三で踊る。静御前が舞台中央に移動し、鼓を打つと、普通なら、花道のスッポン(花道にあるセリのこと)から狐忠信登場となる場面だが、浅草公会堂には、仮設の花道は作れても、スッポンは無理。舞台暗転のうちに、花道七三に狐忠信(松也)登場となった。明るくなると、狐忠信も暫くは、花道七三で踊る。本舞台背景は、桜満開の吉野山。以前、菊之助は、「桜が満開の吉野山で踊る風情を大事にして勤め」ていると言っていた。

松也が踊っている間、壱太郎は、中央上手寄りで、静止している。松也が本舞台に移動すると、壱太郎も動き出す。ふたりの踊りがあって、やがて、舞台中央で、雛人形に見立ててふたりでポースを取る見どころでは、「ご両人」と大向うから声が掛かる。忠信は屋島での源平合戦の様子を仕方で演じる。

花道から現れた逸見藤太(巳之助)と花四天。静御前・忠信との絡み。藤太は、赤い陣羽織に黄色い水玉の足袋。後に、この赤い陣羽織と花四天の持つ花槍を使って、藤太は、人形見立ての「操り三番叟」のパロディを演じてみせる。初音旅。親を亡くした狐の物語でもある。松也、巳之助は、ともに松助、三津五郎という有力な父親を亡くし、奮闘中の若手役者である。

やがて、義経のいる川連法眼館(『四の切』)を目指して、静御前・忠信ふたりの旅は続く。花道を先に引き上げた静御前を追って、狐忠信の幕外の引っ込み。歌舞伎の三大道行の名場面も閉幕。今回の浅草歌舞伎の観劇記、こんにちはこれぎり。

テレビでも人気の20代の歌舞伎役者の出演で浅草歌舞伎にもブーム飛び火、2012年5月にオープンした押上の東京スカイツリー人気が、ターミナル駅のある浅草地域にもブーム飛び火。ふたつの飛び火で新春浅草歌舞伎は、盛り上がりが続いているが、ちょっと陰り(あるいは、無理)が出てきてはいないか? 30代に入った松也を座頭に歌舞伎役者最若手の役者たちが、錦之助(隼人の父親)、桂三、歌女之丞らベテランに脇を固めてもらいながら、少なくとも舞台の上では自分たちだけで、3年続けて一座を形成したのだから凄い。開幕前に口上をした松也は、すっかり若き座頭らしい雰囲気を身につけていた。ただ、去年と違って一部に空席があったのが気にかかる。

松也組発足後の、去年、一昨年の浅草歌舞伎との比較をしてみた。

今回軸となる若手は、梅丸を入れて5人。
3人(松也、巳之助、隼人)と壱太郎(鴈治郎の子息、歌舞伎座にも掛け持ち出演)、梅丸(梅玉の部屋子)。

去年は、6人。以下、括弧内は、今年1月の出演劇場名。
上記の3人(松也、巳之助、隼人)と米吉(新橋演舞場に出演)、新悟(大阪の松竹座出演)、国生(父親の芝翫襲名に伴い、橋之助襲名で大阪の松竹座出演)であった。

一昨年は、7人。
3人(松也、巳之助、隼人)と歌昇(歌舞伎座に出演)、種之助(歌舞伎座に出演)、米吉(新橋演舞場に出演)、児太郎(叔父の芝翫襲名に伴い、大阪の松竹座出演)。

最若手の役者たちが、様々な理由で浅草歌舞伎以外に出演しているのが判る。最若手が歌舞伎座だ、新橋演舞場だ、松竹座だ、と「引き上げ」られている。松也も、来年あたりは、浅草歌舞伎から引き上げられるかもしれない。かつての浅草歌舞伎では、海老蔵、猿之助、男寅、愛之助、勘九郎、七之助らは、浅草でもっと「修業」したのではなかったのか。歌舞伎界では、ベテラン、中堅の役者の逝去が相次いで、ここ数年、歌舞伎界は人材的に危機的な状況になりかねない。

細い尾根道を皆で手を繋ぎながら歩いているような状態ではないか。そのしわ寄せが、浅草歌舞伎の最若手のはいやくなに、こういう形で減少しているように見えるが、いかがであろうか。「配役難」と懸念する所以である。

1月の興行では、東京で、歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会堂と、歌舞伎は4つもの芝居小屋を開いている。大阪では松竹座だ。それぞれ、健闘しているようだから凄い。歌舞伎座は、本店らしく、吉右衛門と歌六の「沼津」、幸四郎と玉三郎の「井伊大老」という名代の名作を上演している。国立は正月恒例の菊五郎一座で、古い演目を換骨奪胎した新作歌舞伎。新橋は、右近改め三代目右團次襲名披露。大阪の松竹座は、芝翫襲名披露。

浅草歌舞伎は、30歳代の松也を除けば、ほとんどが20代の最若手役者群(御曹司が軸となる)で構成。ベテラン、中堅層の、いわば空隙を埋めるために総動員されて、残った20代を真空状態にさせないようにと、歌舞伎界の「上げ底状態」から来る負担を一手に引き受けている世代ではないのか。一番しんどい世代。1980年に復活して以来、若手役者の登龍門として37年の歴史を持つ浅草歌舞伎は、今後とも花形以前の若い役者たちのじっくりとした修業の場であり、飛躍の舞台であり続けてほしい。
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