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2016年12月25日18:08

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浜矩子「仮想通貨は“仮装通貨”がピッタリくる」

■浜矩子「仮想通貨は“仮装通貨”がピッタリくる」
(dot. - 12月25日 16:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4358226

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経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 最近、仮想通貨が何かと話題になる。財務省と金融庁が、仮想通貨を「モノ」ではなく、「カネ」だと正式に認定する方向で動いている。大手の金融機関が、相次いで独自の仮想通貨の開発に乗り出している。仮想通貨による決済に使われるブロックチェーン技術について、日本銀行と欧州中央銀行(ECB)が共同研究を始めるというニュースも報じられた。

 ドナルド・トランプ次期米大統領への不安感から、ドルを手放してビットコインに逃げる投資家の逃避行動が、ビットコインの対ドル相場を大きく押し上げた。資本流出規制を強化した中国からカネを持ち出したい人々も、ビットコインを脱出用の乗り物に使っているらしい。

 仮想通貨とは、一体何だろう。従来、この疑問が筆者の頭の中を折に触れて去来する。実をいえば、筆者は、そもそもこの仮想通貨という言い方が気に食わない。どうも、まずいネーミングだと思うのである。なぜなら、およそ、通貨と名のつくものは、古来、基本的に仮想通貨だからである。

 通貨は、それを人々が通貨だと仮想するから通貨になる。金貨は、それが金で出来ているから通貨なのではない。それを人々が通貨だとみなしているから通貨なのである。かつて通貨だった小判は、いまや通貨ではない。骨董品だ。それは、人々が小判を通貨と仮想することをやめたからにほかならない。クマさんのぬいぐるみだって、我々がそれを決済手段だと想定すれば、立派に通貨になれる。

 こうしてみれば、新たに登場してきた得体の知れないネット上の物体だけに、仮想通貨という名前を与えるのは、おかしいと思う。むしろ、「架空通貨」というべきではないか。筆者はそう考えてきた。

 すると、最近、とても面白いテレビのニュースに遭遇した。仮想通貨に関する話題だったが、その報道が終わってしばらくすると、アナウンサーさんが「お詫びと訂正」の口上を述べた。「先ほどのニュースの字幕が誤っておりました。仮装通貨ではなくて、仮想通貨でした」。これはいい。この訂正は必要なかったと思う。あれらの物体には、仮装通貨の名称がピッタリだ。(浜矩子)
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毎年経済予測を外していることで名を馳せている浜矩子さんだけど(またの名を経済界の押井守)、通貨はそもそも仮想である、という話は、その通りだと思った。

だから信用という言葉が使われるわけで、その信用(仮想)を裏付けるものが、現在は国家という単位である。

つまり国家とはきわめて経済的概念なわけである。そこから、これだけ経済取引が活発な国家の間で戦争が起きるはずがないという予測が出たりするのだが、その予測は数年後に、世界第一次大戦の勃発によって、外れた。または特定の条件下でしか成立しないことが多くの人の血をもって証明された。

仮想通貨(Virtual currency)というのは、もちろん仮想空間(virtual reality)や拡張現実(Augmented Reality)とかと同じ使い方であろうから、意味合い的には、電子通貨(electronic money)なのだが、電子通貨はすでにJRが西瓜で実現しているため使えない。

なんかいい言葉はないかというためには、もうしばらくVirtualという言葉が一般的になるしかない。

コンピュータの中の世界が Virtual でなくなる頃に初めて適切な呼び方が与えられることだろう。

当然ながら、すでに通貨のほとんどはコンピュータ上にしかない。現実の貨幣の何倍もの取引が成立しているのは、取引と通貨が1:1の関係にないからだろう。


通貨が信用の上に成立する仮想ならば、当然ながら取引も信用の上に成り立っている。契約してから、それが実際に行われるまでの間に、何とも言えない時間がある。

契約したからといって相手が必ず履行するとは限らない。だから、本当は履行するまでそれに関係するものはすべて停止しなければならないのだけど、それだと遅い。

待っていられないから、それは履行されたと仮定して、次の取引も行う。この一部が滞ればあっと言う間に連鎖倒産の始まりである。雪崩みたいなものだ。

コンピュータで言えば、プリフェッチという技術みたいなものだ。おそらくこうなる可能性が高いと前もって計算しておく。その通りなら時短が図れる。詳細は知らない。

成功すると仮定して、その次の取引を行うから、確率は次第に下がってゆく。
99%成功する取引を10回すると、最終的に成功する可能性は、90%である。99.9%なら99%、95%だと59%、90%で34%となる。

実は我々の取引がどれだけ成功率の高いもので成立しているかが想像できそうな数値である。

ちなみに3回までの取引では
99.9%=>99%
99%=>97%
95%=>85%
90%=>73%
80% => 51%


これを見る限り、国家の信用は99.9%の上に成立していると言ってもいいだろう。それでも、世界の国にはハイパーインフレが止まらず、大変な目にあっている国もある。

アフリカのジンバブエ(インフレ率約2億3000万%)は自国通貨をやめて、現在の法定通貨は9種類だそうである。中国の元を本格的に流通させるそうである。

これは、独裁国は信用を失うという見本なのだろうか。いや、そうではあるまい。独裁国家でもきちんと運営されている国家はある。

問題はやはり経済活動にある。経済活動とは、人間の活動力の目安であろう。それが滞れば経済は縮退する。活発になれば、拡大する。

よって政治とは人の経済活動を最大にするようにする活動と言えるだろう。ここで注意すべきは、すべての人の経済活動を最大にすることが、考えらえる範囲での最大であるとは誰も証明していないことだ。

もしかしたら上位10%が最大になるようにするほうが、総数が最大になるかも知れない。また、経済活動は、利益の総和だけとは言えない。それに必要なコストとの合算だから、引き算が含まれる。

よって引き算の値を最小にするほうが、より合計は増える可能性がある。経済学はこれになんらかの絶対的な公式を提示しているわけではないのだ。

だからトリクルダウンなどという話がいまだに説得力があるような言い方をする屑が跋扈しているのである。もちろん、その日本で最も頭の悪い者の名が竹中平蔵である。


ビットコインというのは、そのうち、普通の通貨を指すものになるだろう。貨幣も紙幣もそのうち、珍しいものに変わってゆくだろう。アメリカではすでにカード社会だと聞く。通貨とはその人のサインに置き換わっているわけだ。

では、この行き先に待っている答えはただ一つである。果たしてこれらの仮想通貨の信用を支えるのに国家は必要であるか。

もし必要でないならば、果たして国家は何のために存在するのか。

という話である。
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