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2016年12月09日21:47

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「神田上水と東京の水道」アルバムの補足

天気も良いし、以前から考えてた多少なりとも意味的にまとまった形での観光を試みた。
リカンベントで行き、走行距離は35キロほどだ。

今回のテーマは表記の通りだが、ここで言う水道は主に江戸時代以前のソレであるので、「東京の」は余計だったかもしれない。とは言え「江戸の」というほどには調べても居ないし詳しくもないし。

神田川と言うと吉田拓郎のアレを思い出す。ワシは別段好きでも無かったが中学時代の同級生があこがれて新婚時代に神田川沿いのアパートに住んでたっけ。モデルの小さな下宿は高田馬場駅のちょい東側らしい。しかし、歌碑はなぜかそれよりずっと上流の中野区に設置されてる。
見に行こうかとも思ったが、くだららないので割愛。

川の合流地点なども観ているが絵的につまらないのでアルバムには入れてない。

・甘泉園
 隣に水稲荷がある。…はずなんだが門柱だけで中にはマンションが建ってる。
 日本庭園は結構ちゃんと整備されてて綺麗な公園だ。隣には普通の遊び場もある。
 着物のモデルを使った写真撮影をやってた。
 早稲田の隣だが、最寄り駅だと荒川線の面影橋。
 ここは通勤を含め無数に通りながら、その存在に気付かなかった…

 以降、神田上水に沿って下りながら少しづつ移動する。

・新江戸川公園
 今年リニューアルしたばかりなんだが、まだ工事が終わってない。
 松聲閣という大正時代の建物があって、集会室とか借りられるらしい。

・関口芭蕉庵
 出入り口が横の路地の胸突き坂の途中にある。
 うろうろしてたら親切な亀をつれた老人が助けてくれた。w
 庭内にバナナがなってた。芭蕉はバナナだっけ?

 このエリアの全体が公園なのでなく、私有地も入り乱れててちょっとややこしい。
 椿山荘の敷地も大きいし。
 椿山荘を通り越した先が江戸川公園となる。

・江戸川公園。
 ここにはかつてこの近くにあった大洗堰という堰、しかし説明してくれた老人(亀の飼い主では無い別人)によると、住民にせよ見物客にせよ滝と認識してたようだ。
 そのころの神田上水は柵も護岸も無く、簡単に洪水にはなるし人は落ちるし大変迷惑なものだったという。
 とは言え、割といい景色でもあるし神楽坂から芸者などもやってきてなかなか楽しんで暮らしてたようでもある。

 今も江戸川橋駅の近くで営業している江戸時代からやってるうなぎ屋「はし本」は、この神田川でウナギをとって商売をしてたそうである。

・小石川後楽園。
 これは神田川に接してはいない。しかし、芭蕉庵に住んでた頃の松尾芭蕉が上水の工事をやってたのが、神田川から水を引いて小石川後楽園…かつての水戸上屋敷へ通す水路だった。
 ここは300円だが有料だ。しかし…隣の東京ドームがでかい音量で音楽流すのでうるさくて風情に欠ける。

・お茶の水にある水道橋の碑というか記念プレート
 場所は水道橋とお茶の水の間位で、プレートは両岸にあるらしい。
 対岸に上水を流すための樋がある橋を水道橋といい、これがあった場所を示す。
 んで、水道橋はその名をとったんだが、見ても面白いものでは無い。w

・水道歴史博物館
 水道局がやってる。入場無料だが12月の客にはカレンダーを配ってる。これがなかなか良いものだった。
 場所は、順天堂大の隣というか奥にあるんだが、外堀通りから一本北に入ってるから目立たない。
この隣にある本郷給水所公苑は半地下式の施設の上に作ったモノだ。それもあってまあちょっとわかりにくい。

 水道局の施設だから、現代の水道に関する説明が多い。しかし、歴史とあるように半分くらいは江戸時代以前の上水に関して資料が展示されてる。
…そうしっかりした資料でも無いんだが…

明治時代に入って東京と名を改めたワケだが、このときあらゆる社会の仕組みが崩壊した。
上水の費用徴収と改修工事のシステムも失われた。結果すぐに水質は悪化し始め、これがコレラの発生原因のひとつに繋がる。
そして、問題解消のため近代水道設備を作ることになったワケだ。

水道関係について、ちょっと調べてみようとしたきっかけは京都に旅行した時の琵琶湖疎水か、近所でふと見つけた野方給水塔か…

水道関係の観光はもう1パターン考えている。w



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