mixiユーザー(id:9504635)

2016年07月13日12:34

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神道のこと、知りたくなったかも・・・

西行という人、行動は嫌いなんだけど、歌はなぁ〜・・・悔しいけど、歌は好いですよね・・・なんとも好いですよねぇ〜。

最近も、伊勢神宮にお参りして詠んだという歌を知りました

  何事の おはしますとは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる   

くそぉ〜・・・悔しいなぁ〜・・・見事に言い表しているじゃないか、伊勢で感じたことを・・・

でね、思うんですよ、やっぱり肝は「何事の おはしますとは しらねども」、つまり「よく分からないけど」って部分だと思うんですよね。

江戸初期の伊勢の神主である出口延佳という人が、神様を信じるっていうのは「何となく ただありがたき心」だと表現をしてらっしゃると知ったのだけれど・・・ほんと、そういうことなんですよね。 

大正天皇の奥様である貞明皇后が

  キリストも釈迦も孔子も敬ひて拝む神の道ぞたふとき

と詠んでらっしゃるらしいんですが、この何も否定しない、全部を受け入れる感じもいいですよね。

中学校がミッションスクールで、人生で初めてキリスト教というものに出会いました。当時から、わたしの通った学校は土曜日が休みだったのですが、それは中学の三年間は(高校や大學は、自分の判断で行くか行かないかを決めます)、日曜日に地元の教会に行くことを義務付けられていたからなんですが・・・信仰と言うものを強要されるのに納得がいかなかった私は、ものすごくイヤイヤ教会に行ったことを覚えています。でも、そこの日曜学校の先生が「出会いによって人の信仰の形は変わるよね。僕は、たまたまキリスト教に出会って感じることがあったからキリスト教徒になったけれど、僕のような体験を仏教でした人は仏教徒になったろうし、その他の宗教の信者の人も同じだと思う」って仰ったのに、ものすごく共感して、ここなら通えると思ったものでした。でも、少しして、献金をしなかった子どもを叱っている牧師さんの奥さんを見て、その教会に通うのは止めましたけど(爆)。

横道に逸れましたが、もともと、わたしの中では、日本らしい八百万の神を信じるという信仰の形が、一番以前だった気がするんですよね。

そうそう、子供時代に好きだった『秘密の花園』の中で、主人公の女の子と仲良しになる男の子のお母さん、いろいろお世話をしてくれているオバサンに、主人公の女の子が「神様を信じてる?」と聞くと、「春になったら 荒野に花を咲かせ、こうしてあなたたちの成長を見守ってくれる力のことは信じていますよ」というようなことを言ったシーンが、とっても好きでしたが・・・そういう感じの信仰が、わたしは好みなのですよ、きっと。

で、そんなわたしが、西行の歌に出会うとね・・・ああ〜、神道のこと、何も知らなかったけど、面白い宗教なのかもって思えてきたのです。

仏教やキリスト教同様、ずっと身近にあったものなのに・・・初詣だってしていたし、お祭りだって行ってたし、七五三参りもしたのに・・・ほんと、神道のこと、何も知らないよなぁ〜って思います。

どこか、神道と言えば国家神道というイメージで、国粋主義、天皇礼讚に結びつきそうで警戒心が働いていたのかな。明治政府の神仏分離令のことも連想するしね・・・。

でも、本来の神道は、ぜんぜんそういうものではないのだとすると・・・ほんとうに神道って面白いかも・・・って、最近、思っています。
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