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2016年08月11日00:10

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書き忘れ ビルマの竪琴

もう1度竹山の回顧談

竹山にとって重要だったのは、日本兵と敵兵が共通の歌を歌うことによって、戦闘が回避されると言うシチュエーションだった。竹山は、最初、中国の奥地の県城を物語の舞台として設定しようとしたが、どう考えても、日本人と中国人が共通の歌を知っているという可能性は存在しなかった。そこで、いろいろと思案したあげく、イギリス兵との組み合わせなら、その可能性はあるだろうと考えるに至った。ビルマ戦線が物語の舞台として選ばれたのは、そのような条件が満たされる場所だったからだ。「日本人とシナ人とでは共通の歌がないのです。共通の歌は、われわれが子供のころからうたっていて、自分の国の歌だと思っているが、じつは外国の歌であるものでなくてはなりません。「庭の千草」や「ほたるの光」や「はにゅうの宿」でなくてはなりません。そうすると、相手はイギリス兵でなくてはならない。とすると、場所はビルマのほかにはない。」(竹山道雄「ビルマの竪琴ができるまで」『ビルマの竪琴』新潮文庫1959年、189頁) また、竹山自身は、後になって、「何も知らないで書いたのですから、まちがっている方が当然なくらいです。たとえば、坊さんの生活などはなにも分かりませんでした」と書いている

竹山が書き始めたのは1946年。終戦(敗戦)
の翌年からだ。もう竹山を責めるよりも、一応
尊敬の念を集めてた東大教授がなぜかくも簡単
に粗雑なことが出来たのか、そして開き直りの
色を全く感じさせない『間違ってて当然』発言
が出来たのか、に興味が湧く。
竹内が言う、アジア蔑視、もあろう。昨今流行
りの、知識人の思い上がり、もあろう。社会学
者の分析、どっかにないかな?戦争に負けたの
に全く懲りてないとも言えるし、鈍感だ。大衆
の支持の本質は何だったのか?フジヤマ、ゲイ
シャには文句を言ったくせに。うーーーん、こ
の分析はカンしかないおれにはムリだ。
カン(3ヶ月ぶりに戻っての)で言うと、マレ
ーシアやばいな。

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