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2015年11月28日11:36

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最近、考えたこと。Part0011


 さてと、続けますか。前回、文明史の概要について書いたけど今回は日本における文明の発達について書きます。さて話は12万年前、最終氷河期がはじまりゆっくり寒冷化が進んだときに始まる。考古学的に確認できる日本における最古の居住は10万年の旧石器時代のこと、おそらく寒冷化で南下した獲物を追って当時地続きだった樺太からやってきた古アジア系のハンターたちだったろう。そのハンターたちは3万年前に磨製石器(局部磨製石斧)を開発して日本は世界に先駆けて新石器時代に入る。ご先祖様はハイテク石器人だったわけだ(笑)。それから1万5000年前に最終氷河期が終わり、10万5000年間冷え続けた地球はたった5000年で平均気温が10度近く上がりポッカポカに暖かくなった(笑)。これはまさに神々の恩寵(グレイス)だった。だた、副作用が強烈だった。海面が123メートルも上昇し(縄文海進)、海が襲ってきた(笑)。1万2000年前当時半島だった日本は大陸と切り離され「列島」となった。これで古アジア人たちは移動(ノマド)生活をやめ定住生活に移り縄文文化が起こる。ここに、プロト・日本人が現れたわけだ。1万年前、そこに後に海人族と呼ばれることとなるマレーポリネシア系の海洋民が黒潮の北上とともにやってきた。平たく言うと「漁師」だね。ハンターたちに島だった日本列島にフッシャー達がやった来たわけだ(笑)。記紀の「山幸彦と海幸彦」の物語はこの辺の事情を具象化しているのだろう。これは、劇的な変化だった。いまでも、海産物は日本料理の主菜だけどこの伝統は1万年の歴史を持ってるわけだね。同時に、これは海路を使った商業・交易の始まりでもあった。ポッカポカに暖かった縄文時代の技術的・文化的中心は明らかに東北地方にあり、5500年前には日本最初の都市「三内丸山遺跡」が青森県に建設される。最盛期には人口500人に近く、軍事用・宗教用の塔と正倉院に酷似した大型倉庫を備えていたそうだから本格派だ。4500年前に日本原産の陸稲を使った補助的農耕が始まる。栗やくるみといった果実の栽培は5000年前ぐらいから始まっていたようだ。そして2300年前、突如として北九州に弥生文化が起こるのだ。とりあえず、ここまでのチャートは以下のとおり。


1、120000年前 最終氷河期(ヴェルム氷期)始まる。
     ↓
2、100000年前 寒冷化したシベリアから獲物を追って古アジア系人種が移住する。
     ↓
3、 30000年前 磨製石器を発明し世界に先駆け新石器時代に入る。
     ↓
4、 15000年前 最終氷河期(ヴェルム氷期)が終わり縄文海進始まる。
     ↓
5、 12000年前 日本列島が大陸と分断され定住が進み縄文文化が起こる。原・日本人現る。
     ↓
6、 10000年前 縄文海進が終わる。このころよりマレーポリネシア系の海人族が列島に移住を開始する。
     ↓
7、  6000年前 氷間期(後ヴェルム氷間期)が終わり寒冷化、後氷期に入る。海水面が3メートル下がる。
     ↓
8、  5500年前 日本最初の都市「三内丸山遺跡」が建設される。
     ↓
9、  4500年前 日本原産の陸稲を使った補助的農耕が始まる。
     ↓
10、  2300年前 北九州に突如として弥生文化が起こり、同時期水田農耕が始まる。


 弥生時代は謎の時代だ。期間はみんなが思っているよりずっと短い、ずばり500年間。2300年前に始まり1800年前に終わった。この期間は、日本の建国期そのものであるにもかかわらず、意図的に隠蔽されされた時代だった。戦後、極左の学問弾圧のみならず建国以来ずーーとだ。そろそろ、語ってもいい時代に入ったのではなかろうか?まず、なぜ隠蔽されたのか?それはショッキングな話かもしれないが良く聞いてほしい。


「弥生時代」とは「皆殺し戦争」の時代だった


んだって事を。いやな話だか事実だ。弥生時代は水田農耕と海外貿易と金属器の使用が同時に始まった日本最初の「文明開化」の時代だった。だが同時にチャイナの史書にさえに「倭国大乱」と書かれた陰惨な「皆殺し戦争」の時代だった。証拠なんざ山ほどある。環濠集落と高地性集落で検索してみろ。縄文時代の研究者が弥生時代を研究するとみんな寝込んじまうぐらいだ。10才ぐらいの女の子の頭蓋骨に槍がささったまんまの遺骨とかがゴロゴロ出てくる。子供まで全員殺すこの時代の戦争は、1万年にわたって「まぬけてビンボーだが平和」な縄文時代を生きてきた俺たち日本人にはあまりにもショッキングな時代だった。「リメンバー弥生」「ノーモア弥生」が国民の合言葉になった(笑)。そして、封印されたわけだ。


 では、封印をといていこう。まず始まりは、チャイナの内乱だった。2800年前に西域から鉄器が伝わり、それまでの隔離された都市国家の連合体だった東周の体制が崩壊し、鉄器を使用した新技術により開墾が進み地方地方の有力都市が領土国家へと成長していった。そして、2400年前に7ヶ国に集約され戦国時代へと突入する。その一国である「燕」王国(現在の北京周辺)が同時期に当時「東胡」と呼ばれていたモンゴル人たちへのけん制と後背地を求めて満州南部へと侵攻し、北朝鮮の平壌に交易のためのコロニーを置いた。これが「箕子朝鮮」だ。作ったのは当時、北京付近にいた殷(商)王朝の末裔らしい。商人達がやってきたってわけだ(笑)。この商人達は青銅器技術と鉄器技術を両方持っておりこれらが当時まだ石器時代だった現在の日本・韓国・満州といった周辺地域へ伝播していった。当初は生産技術を持たず使用技術だけだっだろう。ほぼ100年程たって、北九州に突如、弥生文化が発生していることから商人達の列島への移住も考えられるが、あったとしてもごく少数だったに違いない。もし、大量移民があったのなら文字と言語に大変化があるはずだかそれが見られないからだ。ほぼ、同時に始まった稲作(水田耕作)については二説あってこの時に商人たちが持ち込んだとの説(稲作北伝説)とそれ以前にそれとは無関係に西南諸島沿いに長江発祥の水田技術が伝来したのが金属器技術の導入によって爆発的に広まったとする説(稲作南伝説)だ。諸資料から考えておいらは南伝説をとっている。

 始まった、弥生時代は西欧の青銅器(都市国家)時代に酷似している。青銅器と鉄器はほぼ同等の性能を持つが鉄より錫や銅の方が今でも価格が高いように鉄のほうが技術的には高度だが大量安価に手に入るのだ。弥生時代初期に日本に青銅器と鉄器は同時に伝わったが製造技術を持てず輸入に頼り利用技術だけしかもてなかったので、全体の技術レベルが青銅器(都市国家)時代と同じになってしまったのだろう。このレベルでは開墾は河川敷等のごく限られた場所でしか行えずこの利用可能な耕作地をめぐって出来たばかりの「わ」と呼ばれた都市国家や部族が激しく争い始めた。すぐ利用価値のある土地はそれぞれ占拠されそれを奪おうと奪われまいとして基本ゼロサムゲームの戦争が行われた。「皆殺し戦争」が始まった。本当にいやな話しだ。西欧でも青銅器(都市国家)時代は「皆殺し戦争」の時代でギリシアの古典オデッセイアは都市トロイの皆殺しを格調高く歌い上げている。

 そして、この陰惨な時代に日本の建国は始まった。おこりは南九州の瀬戸内側つまり宮崎県南部から鹿児島県西部にかけて勢力を持っていた海洋民海人族の一部族が瀬戸内を通って東に移住し始めたことに由来する。この部族をここでは仮に「天孫族」とでもしておこうか。「天孫族」はもともと水田耕作技術を日本に輸入した部族であり同時に海洋民として半島を含む多くの地域との交易にも従事していた裕福な部族だった。この部族は北九州の特に福岡県にあった「奴国」や佐賀県にあった「肥国」等の強力で裕福な先行諸国と協力関係にあったが、同時にその残忍さをひどく嫌悪していた。「天孫族」は北九州の諸大国と張り合おうとせず新天地を求めた。幸い、「天孫族」は強力な武器となる「機密情報」を握っていた。日本列島の地理的構成である。日本は東西に長く、東には九州より大きい有望な新開地が多数あることを知っていたのだ。もともと、瀬戸内と太平洋岸を商圏とする海洋民だったから方々の諸族と同盟を組んで少しずつ部族を移民させていった。これがおよそ2200年前の話。そして、2100年前に決定的な事件が起こる、朝鮮半島にチャイナが大軍で攻め込み、同時に鉄の製造技術がついに日本に伝来したのだ。おそらくは今の島根県にあった「出雲国」がこれを最初に導入したのだろう。これによって大規模な開墾が可能となり「出雲国」は強大化していく。だが出雲は九州こそ日本の中心と「大勘違い」をして攻め込み泥沼にはまって戦力を消耗してしまう。これを見た「天孫族」はついに本隊の移住を決意、先行部隊が移民に成功していた奈良県の大和盆地へと部族総出で船出した。しかし、大阪に上陸しようとしたところでなんと本家にこられるのを嫌がった先行部隊の長、ナガスネヒコの攻撃を受け族長のイツセノミコが戦死してしまう。急遽、弟のイワレヒコノミコトが族長を継ぎ船団を和歌山県南部の熊野へと移動させる。正直、全滅の危機だった。そこへ、タカクラジというおそらく神官が尋ねてくる。どうやら、移民団内部でも本体を受け入れるべきか拒絶するべきかで意見が割れているらしい。チャンスと見たイワレヒコノミコトは受け入れ派の諸族と連絡を取り本体を武装させて和歌山県の密林の間道を抜け大和盆地を南から奇襲した。大勝利だった。ここにイワレヒコノミコトは大和盆地の移民団(臣)や諸部族(連)を団結させ「大いなる和(協力)」という意味の「ヤマト」の理念をかかげてこれを国名とし、大和桜井の地で「スメラミコト」つまり初代天皇へと即位した。これが日本建国の縁起だ。いまから、2075年前の話。ってことで今日はここまで、とほほ。


おまけにみくしー検索かけてみました。正直、出てきてビックリ。とほほ。

「青銅器時代」

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