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2015年10月21日17:24

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【アニメ感想】 機動戦士ガンダム 第13話「再会、母よ・・・」

みなさん、こんばんは。連雀です。

先日から見ている「機動戦士ガンダム」ですが、順調に消化しています。

今回は、全43話の中でも異色のエピソードであった13〜15話を見ました。

第12話で左遷されたシャアに変わってランバ・ラル隊が実に印象的な登場を遂げた次ですので、普通ならばランバ・ラル隊との死闘が続けて描かれるのでしょうが、ここで何故かボトルストーリーが三本も続きます。

もっとも、第13話は2クール目のアタマの話でもあり、アムロが母親に象徴される今までの平和な生活と決別し、仲間とともに戦う道を選ぶエピソードであり、どこかでは必要だったと思いますが・・・ここである必然性はないのではないかな?と・・・

その辺がずっと疑問だったのですが、最近読んだ文章で、実はすでにこの頃には打ち切りのウワサが流れていて、そうなる前にどうしてもやっておきたかったエピソードを無理矢理ここに入れたのだ、と言う説が紹介されていて、なるほど!それならば納得いく!!と思ったところでしたので、そういう意味でもこの三本はじっくりと観ました。

つまり、富野由悠季監督をはじめ、制作スタッフが、「ガンダム」と言う作品を通して最も言いたいことがここに詰まっているはずですので!



◯ 第13話「再会、母よ・・・」脚本:星山博之、演出・演出:藤原良二、作監:安彦良和

上にも書きましたが、挿入された位置こそ謎でしたが、ガンダムの中でも屈指の名エピソードです。脚本はメインライターの星山博之で、安彦良和の作画も実に安定していて雰囲気を盛り上げます。

・・・と、ずっと思っていたのですが、最近、この話についてのある解釈を読んで、ちょっと引いてしまっている気分なのです。

その説とは、まず最後の別れのシーンで、カマリアを待っているエレカの運転手男性が、カマリアの愛人であると富野由悠季監督が明言していた・・と言うことから、カマリアが地球に残ったのはその愛人との生活を選んだからではないか?と言うものです。

そう考えると、全てが怪しく思えてきます。

まず、くすんだ色調で統一され、年寄りと子供しかいない難民キャンプにおいて、カマリアだけは明るい色のブラウスを着て、実に華やいで見えます。きっちりセットされたヘアスタイルといい、このオシャレは誰のためでしょうか?

また、久々に再会した喜びのあまりとは言うものの、人目もはばからず抱き合うのも、回想で幼いアムロを見送る時に何度もキスするところも、なんとも違和感がありました。宇宙世紀はそれだけ性的に開放的な世界となっている・・・と言う描写も他にはありませんし。

つまり、母カマリアは、アムロの母親である以前に、一人の女であることを選んだ女性なのではないか?と思えてしまうのです。

正直、富野由悠季と言う人の女性観には歪んだものを感じていますので、それと合わせると、むしろしっくり来るところもあるのですよね。なにしろ「Z」では、はっきりと息子カミーユの口から、母親の愛人の存在を言わせるくらいですし。


だからと言って、このエピソードの存在意義や価値に変わりがあるわけではないのですけどね。

「機動戦士ガンダム」には、まだまだ新しい発見があるってことに感動しましたので、この話をしないではいられませんでした(;^ω^)


唯一、富野由悠季が自ら脚本を書き、絵コンテも切っている第14話「時間よ、とまれ」や、異色中の異色で荒木芳久が脚本を書いている第15話「ククルス・ドアンの島」についても思うことが色々あるのですが、ちょっと時間がなくなりましたので、それはまた次回にしたいと思います。
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