こちらは生活館。
現場に赴く旦那を見送って、自分は家事をするというのが女性の仕事だったようです。
体力的に過酷な上に重大事故での死亡や重傷も大人数になることが多かったようです。火災で延焼を防ぐためにまだ人が残っているにも関わらず水を注入したりして塞がざるを得なかった…というようなことも聞いたことがあります。
この見送りが今生の別れになることもあったと思うとなんというか…。確か映画「フラガール」でも、しずちゃん演じるダンサーのお父さんが炭鉱の工夫で、落盤事故に遭い命を落として、しかしそんな状況でもダンサーの自分を応援してくれていたお父さんのためにステージに立ったという場面があったと思います…。スパリゾートハワイアンズのダンサーは現在はプロを志す人たちが挑んでくる場所だと思いますが、最初はダンスの経験が全くない炭鉱夫の奧さんや娘さんたちが、廃れていく炭鉱の町を再興するために立ち上がったんですね…。
模擬坑道の昭和19年(1944年)ごろの後から女性の人形がなくなるんですが、時代が進むと坑内に入るのは男性だけになり、女性は家事に従事するようになったようです。
家事だけではなく、事務所へ行っていろいろと交渉したりするのも女性の仕事だったようです。
こちらは日本全国の温泉分布図。
こちらは明治30年代の湯本駅周辺の模型。
常磐線のほかに、小野田炭鉱専用線という炭鉱鉄道があったり、馬に引かせる軽便鉄道があったようです。
日本は石油はほとんどなさそうですが、石炭は意外ととれたようです。石炭が主流だったころ、国鉄の線路から石炭鉱山へ線路が引き込まれていて、採掘した石炭を鉄道で運び出していました。
ちなみに、木材を運び出す森林鉄道も全国のあちこちにありました。しかし現在は、全国いろんなところで国鉄の線路から引き込まれていた炭鉱鉄道や森林鉄道はほぼすべて姿を消しています。
再びロビー・エントランスを通り、外へ出ました。
陸橋を渡って、線路と県道56号線の間の道路を歩いていきます。
駅前ロータリーの周辺に彫刻があるんですが、おそらくこの1体だけ離れたところにあるようです。
湯本駅に到着。
そして、帰って来て記念スタンプがあったことに気が付きました…。
2時間くらいで一通り見ましたがぜんぜん時間が足りませんでしたし、またこれを押しに行かないといけませんね。(^-^)
つづく。
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