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2015年07月20日11:01

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中村天風「夢与え 希望の光 ともす人」


清水榮一「中村天風に学ぶ絶対積極の言葉」より。

“夢与え 希望の光 ともす人”。
人を喜ばせて自分がまたその人と
共に喜ぶということが、いちばん尊い。


犬養通子さんの話をテレビで聞いた。「難民キャンプで、恐怖と飢えに苦しんでいる子供たちに、『夢を持って』と言ってもダメなんですよ。それよりも『あなたは何が出来るの?』と聞くと、どの子も目を輝かせて、話そうとします。そここから希望がでてくるのですね」。

平成15年の大晦日のNHK紅白歌合戦。そこでSMAPが歌った『たった一つの花」が、ヒットしている。たとえ小さくとも、世界にたったひとつの花の誇りを歌ったものだ。

「ナンバーワンよりオンリーワンたれ」という言葉もはやった。

たとえちっぽけでも、私はこれが出来る、そしてそれをやらせたら、他の誰よりも絶対に負けないのだと自負出来るもの、自分の中にあるオンリーワンを見つけよう。

それこそ自分の中にある花一輪。種のままに腐らせてはならない。それを慈しむように育てよう。それが自分を大切にするということだ。

種は種だけでは、ただのゴミに過ぎない。一粒の種が落ちて、雨に当たり風に吹かれ、太陽にあたためられて、やがて芽を出す。

光エネルギーを受けて光合成を繰り返し、やがて大輪の花が咲く。
原因と結果の間には、環境条件を含めて様々な“縁”がかかわっている。

この縁のおかげで、花が咲くか種のまま枯れて粉々に崩れていくか。

いうまでもなく自分自身に、愛する人に、身内の者に、友人知人にも、また見知らぬ人にでも、底に問題を抱えているなら少しでもいいご縁となり、積極的肯定的に、働きかけることが大切となる。

そのためには、まず自分が光を発するみなもと、すなわち光源の人となることだ。光は明るい。明るく温かい。光がないのは闇だ。闇は暗くてじめじめしている。光の前には闇は消えてしまう。

自分が光源となって、いい縁を与えることだ。

何という崇高で心が洗われることか。自分を大事に生かすというのは、自分を尊く生かすことであり、尊く生きるというは、人の喜びをわが喜びとすることである。

「袖すり合うも他生の縁」という。出会う相手には、いかなる場合にも、相手の気持ちをふるい立たせ、勧(すす)め励まし勇気づけ、相手にとっていいご縁となるうよう、心の糧を与えること。そんな人になりたいものだ。




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