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2015年06月27日22:00

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平等

我が国においてもほんの150年ほど前には士農工商という固定した世襲の身分制度があって当時の人々はそれを当たり前と思って生きていた。国の制度は諸侯の一つである徳川幕府が天皇を補弼して国政を運用するという建前のもとに堅牢な幕藩体制を長く保ってきた。

この幕藩体制は大政奉還をもって終焉を迎えた訳だが大きな車輪が慣性力でもって回り続けようとするように旧来の制度を保ちたいと考える諸侯もいた。これらの人々の糾合は残念ながら武力による力比べに依って成し遂げられた。

力づくで旧守勢力をねじ伏せはしたものの新しい国の形は新担当者の間でも未だ定かではなく、片目を瞑ってえいやとヨーロッパ諸国のものを取り敢えず取り入れるが如き勢いで法律や制度を作り変えていった。急ぎ暫定的に制度を作っておいて後日、しっかりしたものに改めて行こうというものだった。

大政奉還は革命的な権力構造の転換ではあったが武力による旧権力の打倒ではなかった点がフランス革命などとは異なる。おかげで幕藩体制下にあった六十余州の諸侯はそっくりそのまま残っていて、幕藩体制下の社会の仕組みをそのまま引き継ぐ形でのスタートにならざるを得なかった。

その後は廃藩置県や民権運動など、多岐にわたる制度の変革や運動を経て現代に繋がって行く訳だが、ここで感じるのが長きに亘って続いた幕藩体制を根底で支えた、ほぼ全国民に浸透された儒教的倫理観の影響力の強さだ。倫理的フィルターを通した話は「好き嫌い」ではなく、「正か邪か」になるので取り扱いは非常にデリケートである。

昨今マスコミなどで取り上げられる世論というものはこのような倫理観のフィルターを通した多数の人の考え方の事を言っているのだ。この点、ボク自身の考え方を見下ろすように観察してみると100年以上前の人々の考え方を受け継いでいるところが満遍なく、うっすらと色づいているように感じられて驚いてしまう。

ボクは戦後生まれの団塊世代の人間だ。大戦前後の白を黒と言うが如き大転換を経験した世代ではない。敗戦によってGHQの管理下、有無を言わさぬ強権をもって戦後の国の形を与えられたと言っても大外れではあるまい。そんなボクでも倫理観においては両親のそれを色濃く受け継いでいるのだ。

この事を思うと家庭において何気なく交わした日常の会話がボク自身の倫理観形成に強い影響を及ぼしたと考えざるを得ない。子供の頃、褒められたり叱られたりする経験を通して褒められる訳、叱られる理由が徐々に意識に刻み込まれて行くのだ。その「訳」こそが倫理観と呼ばれるものに非常に近い。このように受け継がれるものだからなかなか急には変わって行かないものなのだ。

ボクは自由・平等についてかなーり大切なものだと考えている。これを阻害するものが差別だ。この思想は先に述べた倫理観を色濃く反映する。その為に差別を「正義」と思い込んでしまう人たちが絶えないのだ。そんな正義なんて自分自身が、また隣人が、さらにその関係者がお互いを認め合って幸せに暮らすのに何の役に立つのだろうか?冷静に考えれば簡単に分かる事だ。要らないものなんかさっさと「断捨離」してしまえば良いのだ。今、自身が何の気なしに差別をしているやもしれない。意識に上らないものは気づき辛いものだから余程注意深く振り返ってみないと見逃してしまい勝ちだ。

米国の連邦最高裁判所が26日に同性での結婚を憲法上の権利として認めるとの判決を下した。同性婚を認められない事で苦しんできた人たちは多かった。今回は良い判決であると、お祝いを申し上げたい。

未だに人種による差別、宗教による差別などを臆面もなく、ときには神の名を騙りながら声高に主張する輩、自分のアタマで考えろと言いたい。
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