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2015年03月29日21:15

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今日の「花燃ゆ」

今回、これらの大流行が描かれました。
この流行は日本に限らず、世界的大流行が日本にも及んだというのが実情です。

ちょうど日本に西洋がやってきた直後なので、今回描かれたように、人々はそれを「西洋がもたらしたもの」と考えたのは当然でしょう。
しかし実際には、まだ日本に西洋が全く来ていないこの25年前にもコレラは大流行しており、これも世界的規模の流行でしたが、この25年前の流行は西洋から直接ってわけではないことは明白です。
この時日本が交易していたのはオランダと清ですが、特に西洋であるオランダは長崎の出島の中だけで、人的動きはほとんどなかったので、もたらしたのは清、もしくは国交があった朝鮮か琉球が感染経路の可能性が高いです。

ちなみに今日、当時の医者は人びとに「患者のそばに寄るな」と何度も騒いでいましたが、コレラは経口感染であって、空気感染はしません。

また、井伊がコレラの感染について「西国では」という表現をしていたように、この感染は江戸には及んでいなかったようです。
箱根の関所がくい止めたという話もあります。
関所の機能によって人的往来を抑えたため、感染が江戸まで広がらなかったという意味のようです。

さらにこの4年後にも大流行があって、よくそれが小説などでは江戸にまで広がったことになり、新選組が生まれた間接的要因となっていたりします。
(コレラで近藤勇の道場に人が寄り付かなくなったので仕方なく道場をたたみ、幕府が募集した浪士組に参加したという設定の小説もあります)
ただこの4年後の流行も、実は江戸には及んでいないという見方もあります。

たしか「JIN-仁」でも、仁先生がコレラに対処するシーンがありましたね。

井伊の開国、またそれに対抗する攘夷勢力、いずれも立場でも真剣に日本の将来を慮っての決断だったと思います。
攘夷勢力の批判を浴びながらも井伊の開国によって日本は近代国家への第一歩を踏み出す、しかし実際にその近代国家を担ったのは井伊に激怒していた村塾の子らであったというのも歴史の皮肉でしょうか。

いずれにせよ、これは「官兵衛」の時にも書きましたが、彼らにとっての「未来」を知る我われだからこそああでもないこうでもないといろんなことが言えますが、当時の彼らにとっては全く先が見えない暗中模索の中でのそれぞれの意見であり、それぞれの主義主張、行動であったわけです。

そして間もなく、松陰先生の、このドラマでの出番はなくなる時へと近づいてきています。
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