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2015年01月03日13:13

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【去年の振り返り:その5〜かみさま〜】

【去年の振り返り:その5〜かみさま〜】

その2からは仙台で過ごした2014年の4〜5月頃を書いています。
前回は、ずんだま氏こと東梅ちゃんについて、書きました。

今回も、仙台に滞在中のこと。
再会ではなく、僕自のちょっとした転機を書いています。
4月30日の日記です。

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僕の祖母はクリスチャン……カトリックだった。

母も、カトリックだ。

父は、一応、仏教徒……なのかな?みたいな。

僕はと言えば、
『近所だから』という理由で、プロテスタント系の高校、大学を卒業したものの、
典型的な無神論者だった。


幼い頃は、

『神様が見守っているからね』

という母の言葉を信じて、神様に祈ることもあった……いや、多かったが。


詳しいことは語らないけれど、
苦しい時間が多かったからだ。


『神様、お願いですから、どうか僕を助けて下さい』

けれど、自分に降りかかる現実に、変化はなかった。

そのうちに僕は、祈ることをやめた。
意味がないと思ったからだ。


そんな僕が、
幼いながらに学んだことがある。

『価値観は1つではない。』

『そして、¨これが正しい¨というような、絶対的な正義は存在しない』

『……むしろ、1つの価値観に固執した瞬間、それは矛盾を生む。』

ということだ。

これは、
人と人が衝突する場面をたくさん見た僕の、
ポリシーのようなものだった。

僕は僕。君は君。

それぞれに、それで良いではないか、と。

逆を言えば、

『1つの価値観を押し付けられること』

が、死ぬほど嫌いだった。憎んですらいた。

だから、プロテスタントの学校に入学し、
礼拝の時間がきて、

『これこそが正義だ。人間の目指すべき姿だ。』

という説教を聴いた時、

とてもアタマにきて、理性で自分を抑えるのに、苦労したものだ。

それも、回数をこなせば、

彼らは彼ら、
僕は僕だ
……と冷静に受け止められるようになったのだが。


そうして冷静になってから、聖書の授業を受けていくと、

『宗教とは、1つの人生哲学なのだな』

と感じるようになった。

何が良いことで、
何が悪いことか。

どう生きていくべきか。

その、1つのカタチを示すものなんだと。


でも、生意気な僕は、こうも思っていた。

『宗教は、自分で生き方が決められない、弱い人が頼るもの。
俺は、誰にも頼らず生きていく、強い人でありたい。』

……今、思えば、

¨誰にも頼らないのが、強さ¨

だと思っているあたり、既に弱いのにね(笑)


話が逸れるけど、僕はいまだに人に頼るのが苦手だ。
自立していない、甘ちゃんではあるんだけど、
誰かに相談したり、頼むのが苦手なのだ。

なので今は、特に病気療養中という今は、意識的に、友人の好意に甘えさせて頂いています。(^^)

みんな、本当にありがとうね。
愛してる。


さてさて、突然こんなことを日記に書いているのは、
僕がある1冊の本に出会ったから。


¨自分を大切にしてはいけないのですか?¨
ほんとうの愛を生きるための88のことば


これは、祖母がお世話になっていた、あるシスターから母が頂いた本だ。

愛について

その時、その時、を生きることについて

現代の社会を生きることについて

フランシスコ会士の、福田勤という神父の著書だ。


僕はこの本を読んで、1つの考え方に衝撃を受けた。

『かみさまとは、愛そのものです』


かみさまは、何かしてくれる人ではない。

ただただ、ありのままの僕を、今までも、今も、これからも、愛してくれる存在。

……これは、凄く良いと思った。


僕は、ある時期を境に、

『自分は生きている価値がない』

と考えていた。

ただ、音楽をやっている自分だけは好きで、楽しくて

何かを生み出す限りは、自分にも何か意味がある気がして、

命を磨り減らすように没頭している時があった。

その他、色々な要因が重なって、
大学時にうつ病を発症して、(当時は、うつだとは知らなかった)


その後も、再発を繰り返して、今の療養に至っている。


そんな僕が、一体何を求めてもがいていたのか……分かった気がした。

(求めていることすら、気付いていなかったが)


愛だ。


自分の全てを愛してくれている、そんな愛。


僕には。本当に良い友人が沢山居る。

みんなきっと、僕を愛してくれている。

家族だって、色々あったけど、今の仲は良好だ。


それでも、
本当にこれだけ恵まれていて……自分でもあきれてしまうのだけど、

心にはどこか、穴が空いたままだったようだ。

それがいっぺんに埋まったわけじゃないけれど、


僕の中には、愛という名のかみさまがいて、

ありのままの自分を、見ていてくれる、愛してくれている

……そう、思うようにしたら(まだ慣れないし、むずかしいんだけれど)、


凄く良い感じがした。

もっと、人を愛したいと思った。


何より、自分に必要な感じがした。


別にキリスト教に改心したとか、そういうわけじゃないのだけど。


『かみさまは居ると思う?』


と聞かれたら、


僕は、『居る』と答えることにした。


世界には、愛という名前の神様がいて、

みんなに、宿っているもんだと思うことにしたのです。

だから、ある意味では、
みんな、かみさま。


かみさま、ありがとう。

あなたのおかげで、
僕は沢山の友人、家族に支えられて、
今を生きています。

色々な痛みも知りましたが、
それを愛に変えて、
なにかの役に立てればと思っています。

みんな、ありがとう。
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さてさて、
まだまだ仙台編は続きます。

続く。
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