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2013年08月10日00:38

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ナガサキの日。

原爆の恐ろしさは3日前の日記に書いた。

なんというか・・・原爆の恐ろしさは勿論なんだけれど、「戦争ってどんなものなの?」ということをちょこっと考えてみる。

戦争が始まったら自衛隊だけで兵隊さんの数は足りると思いますか?
不足分はどこから補充されると思いますか?
兵隊さんは自ら望んで戦地に行ったとアナタは思いますか?
「俺は、私は、戦争になんか行きたくない!」が通用すると思いますか?
戦争をしたいのは誰だと思いますか?

戦争をして得られるものはなんだと思いますか?
戦場での「死」というものが、アニメやマンガにでてくるような「一瞬で終わるもの」だと思っていませんか?

楽に成るすべが何もない、痛い、ただ痛い状態が何日も続いて、その先に「死」がある場合もあるのだと理解していますか?
それでもアナタは「死」はコワくありませんか?

ワタシの答えは全部「NO」である。
ワタシも、ワタシの大切な人たちにもそんな思いはして欲しくない。


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■<長崎原爆の日>95歳の語り部 「惨状を伝えんば」
 「全身焼かれ」伝える被爆体験
 http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2535394
 毎日新聞 - 2013年08月09日 11:28

9日、68回目の「原爆の日」を迎えた長崎は、原爆犠牲者への鎮魂の祈りに包まれ、一瞬にしてすべてを奪った原爆への怒りを新たにした。原発事故に苦しむ高校生たちが、被爆地の苦しみの歴史と向き合う姿も見られた。憲法改正の動きが活発化する中、平均年齢が78歳を超えた被爆者たちは、被爆体験の継承への思いを一層強くしている。核兵器を使った人間の過ちを忘れず、平和の尊さを学んだ68年前の「原点」に戻ろうと誓った。

◇「献水」役を務めた尾畑さん

平和祈念式典で「献水」役を務めた尾畑正勝さん(95)は、長崎の被爆者で「最高齢」の語り部だ。68歳の頃から語り始め、今でも修学旅行生らに年30回も講話をする。「いくつになろうとも、あの日の渇きや、この目でみた惨状を伝えんば」。猛暑に負けないしっかりとした足取りで登壇し、焼け野原で水を求めて亡くなった原爆犠牲者に清らかな水をささげた。【梅田啓祐】

尾畑さんは、語り部活動をする長崎平和推進協会継承部会の中での最高齢者。原爆に遭ったのは27歳。爆心から約1・5キロの三菱造船所幸町工場(長崎市幸町)で作業中だった。突然、青白い閃光(せんこう)に包まれ、とっさにうずくまると、ごう音と共にスレート屋根の破片やガラス片を背中に受けた。しばらくして起き上がると、鉄骨のみが残る建物、ぺしゃんこになった木造事務所、全身を焼かれ真っ赤な肉の塊となりぼうぜんと歩く同僚たち−−。「全てを焼き尽くされ、一滴の水を求めて死んでいった仲間の姿が忘れられんですよ」。父は広島の三菱の造船所で被爆し、長崎に戻ったが、まもなく他界した。

退職後、同継承部会などで語り部になった。「亡くなり、語ることができなくなった人の代わり」となり、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを伝えてきた。

語り部を始めた68歳の頃、長崎の反核運動を引っ張り、今年7月に亡くなった山口仙二さん(享年82)に言われた言葉が忘れられない。「被爆者が語り継ぐことが反戦反核に結びつく」。その言葉を励みに、ピーク時には年80回、小中高校生に講話した。自宅には、全国各地の学校から届いた感謝状や感想文が飾られている。

あの夏から68年。「山口さんを含め、当時を知る人が少なくなった。あっという間に私が最高齢です」とこぼす。歴史に関心を持たない子供が増えたと感じることも多くなった。「『献水』という儀式がなぜ行われるのか知らぬ子もいる。無関心が一番おそろしかです」。懸念の矛先は平和憲法を変えようとする「戦争を知らん政治家」にも向いている。「再び戦争に突入しないよう、若者は正しい歴史を学ぶべきだ。戦争とは何なのか、平和とは何なのか、伝えていかなければ」と決意を新たにした。
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