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2010年08月12日15:21

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「拘置所からの読書感想文」7

それまで作品の題材とすべく、いろいろな人間の転落人生を取材していたんだが、その中で、札付きの毒婦がいることをつかんでいた。
結婚詐欺紛いの甘言で男を次々と篭絡し、金をまきあげている女。その女の周辺では少なくとも二人の男が命を落としている。公判では採用されなかったがね。

で、一人で海外旅行に出かける前のその女を、仲間三人で拉致した。
そして、シーズンオフで誰も訪れることのない別荘地の空き家に女を監禁した。
どんな叫び声も誰にも届かない山の中だ。

最初のうち俺達は義賊のような使命感さえ持っていたんだが、女の頬に拳を振り下ろした段階でそんなものはまやかしであることをすぐにも自覚した。

女を縛り上げ、なだめたりすかしたり、脅したり騙したりしながら、なかなか口を割らない口座番号や通帳のありかを聞き出そうとするのだが、その時、同時に体に直接ダメージを加えることが効果があることを知った。
傷めつけるだけでは駄目なのだ。言葉による「誘い」が共用されてはじめて相手は言うことを聞く。
それは自白剤の使用法と同じだろう。
相手を折伏させるのは、行為だけでも言葉だけでもダメだ。いや、それらは別べつのものではない。
他者を自分の意にそわすための、同じ一つの伝達手段の別々のフェーズなのだ。

ただデータや出来事を並べただけでは相手に伝わらない思いも、そこにエピソードを添えたり、表現順を変えたりと、物語にすることで伝達することが出来るように。あるいは単純な言葉も仕草や演技を添えることで雄弁になることがあるように。それらの総合的なパッケージが「表現」でありその中のそれぞれの要素は本来的に同質と言えるのだ。
そして、その表現が最大効果をあげ、相手に強烈なインパクトを与える時、それは「暴力」と呼ぶものになる。
フィジカルなダメージを与えることが暴力なんじゃない。表現のこれ以上無い伝達効果があがること、それが暴力なのだ。そして、物書きって奴はそれをいつも願望している生き物なんだ。
そうだろ。先生。


一日の引き出し限度額までで、銀行に不信に思われない程度に時間をあけて、俺達は少しずつ金を引き出していった。その間、女を監禁し続けて。

暴力の空間にいると、人間は残虐性の箍がはずれるようだ。
俺達はもてあました時間の中で、女に対し嗜虐の限りをつくした。
綺麗だった女の顔は無残に腫れあがり、原型をとどめていなかった。
かん袋に詰め込んだ猫を蹴毬にするように、俺達は殴るとうめく女の反応を面白がった。
もはや、女は俺達の言うことを何でも聞いた。

俺はそれがとても気持ちよかった。
屈服させたことが気持ちいいんじゃない。自分の「表現」が十全に相手に伝わっている事がわかるその反応が気持ちよかったんだ。
議論をしている相手を完全に論駁し、その相手を自説の信奉者にまでしてしまうような快感だ、といえば、先生にも少しは俺のその時の気持ちがわかるかな。

一向にデビューも出来ない物書きの卵だった頃の俺は、売れなくてもいい、俺の伝えたい思いをそのままの形で受け取ってくれる人間が一人でもいてくれたら満足なのにと、よく思っていたもんだ。
この女はまさしくそれだった。

脅せば、そのままに目に恐怖の色を浮かべた。
優しい言葉をかければ、これ以上ないほど相好を崩した。
腹を蹴り上げれば、その威力通りに悲鳴を上げて痛みにのたうちまわった。

それは言葉に出来ない快感で、俺はまるで思い通りに育った出来のいい子供を持った親のような充溢した満足感を覚え、いつしか女を愛おしくさえ感じたのだ。

その時俺は、自分が望んでいたもの、手に入れたいと切望していたものはこれだったのだと、天啓が下ったように悟った。
その感覚を言葉で表すのは難しい。
三文文士にもなれなかった俺の、それが限界って奴だ。




続く
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