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2009年12月08日19:55

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「秋の日のヴィオロンの……」

  




湯のみ 泉井久之助 (いずい ひさのすけ) 氏の著書、示唆に富んだ 『印欧語における数の現象』 (大修館書店 1978) を読んでいて、ビックリするようなことを教えられたのでありますよ。


――――――――――――――――――――
Les sanglots longs des violons de l'automne blessent mon cœur d'une langueur monotone.

【上田敏】
秋の日のヸオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し。

【堀口大學】
秋風の ヴィオロンの 節(ふし)ながき啜泣(すすりなき) もの憂き哀しみに わが魂を 痛ましむ。

【金子光晴】
秋のヴィオロンが いつまでも すすりあげてる 身のおきどころのない さびしい僕には、ひしひしこたえるよ。
――――――――――――――――――――


湯のみ 日本語訳のみを読んだとき、どんな光景が思い浮かぶだろうか。

   秋の夜、ワタシがひとり閑居していると
   どこやらからか、ヴァイオリンの寂しげな音色が聞こえてくる
   ああ、身に沁みることよ

ってな感じでしょ。

湯のみ ところがこれが大違い。

   アリテイに言ってしまえば、既存の日本語訳は、すべて “誤訳”

です。


湯のみ まず、原文は violons と複数形になっている。つまり、多数のヴァイオリンの音が響いてくるのですよ。むしろ、

   耳障りな音

なのです。風流なんじゃない。

湯のみ それと

   les sanglots longs

ですね。仏和を100回ひいても、「長いすすり泣き」 としか訳せない。ところが、フランス語は、ラテン語の子どもであること、が落とせない。

湯のみ つまり、おそらく、19世紀なかばに高等教育を受けたヴェルレーヌがラテン語を勉強しなかったわけがない。日本の高校で漢文をやる以上にミッチリやったでしょう。

湯のみ ウェルギリウスの 『アエネーイス』 第9巻には、Sulmō 「スルモー」 という人物が、トロイの英雄アエネーアースの部下 Nīsus 「ニースス」 の槍に斃 (たお) れる場面があります。
湯のみ 死んでゆくスルモーの断末魔の声を、ウェルギリウスは、

   longis singultibus [ ' ろンギース スィン ' グるティブス ] 複数与格

と表現しています。これの主格形は

   singultūs longī [ スィン ' グるトゥース ' ろンギー ] 複数主格

です。単純に、この句に対応するフランス語形が、

   les sanglots longs [ れサんグろ ' ろん ]

です。

湯のみ そして、この声は、もちろん、「長いすすり泣き」 などではありません。Lewis & Short は、『アエネーイス』 のこの部分の用法について、次のように説明しています。

   a rattling in the throat of dying persons, Verg. A. 9.415;
   死にゆく者の喉から聞こえるゴボゴボいう音

湯のみ つまり、singultus longi というのは、

   死にゆく者の喉から聞こえるゴボゴボいう音が、長く続くもの

と言えます。

湯のみ どうですか。ヴェルレーヌが歌ったのは、日本語訳の 「秋の日のヴィオロン」 とはまったく懸け離れたものですね。

   Les sanglots longs des violons de l'automne
   死に瀕した秋のヴァイオリンたちの喉から聞こえる、
   長く続く声とも言えぬうめきは、

   blessent mon cœur d'une langueur monotone.
   生気なく衰弱したわが心を傷つける。

湯のみ どうです。文学的ではないが、この訳のほうが “意味がすっきりと通る” でしょ。死人の断末魔の声が、弱っている自分の心を痛めつける、ということを言ってるんですね。秋の物寂しさを言ってるんじゃない。
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