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2007年05月08日19:51

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「サルコジ」 と 「ブラッサイ」。

  ▲ニコラ・サルコジ。  ▲ブラッサイの写真。



〓フランス大統領に、ニコラ・サルコジ氏が当選しました。彼の名前は、フランスでも、

   Nicolas Sarkozy [ ニコら サルコ ' ズィ ]

という表記が標準です。しかし、一般に通用している名前が、正式の名前とは限りません。
〓日本でも、緒形拳さんの芸名は、ホントウは 「おがた こぶし」 と読む、なんて例もあるし、笑福亭鶴光 師匠は、「しょうふくてい つるこ」 という名前なのに、東京のマスコミが、勝手に 「ツルコウ」 にしてしまった例もあります。

   Nicolas Paul Stéphane
       Sarközy de Nagy-Bocsa

   ニコラ・ポール・ステファヌ・サルケジ・ドゥ・ナジ=ボチャ

〓これは、2004年12月に発表された 「レジオン・ドヌール受勲者」 のリストに記されている名前です。Nicolas, Paul, Stéphane の3つは、フランス語の男子の個人名です。Sarközy de Nagy-Bocsa が 「姓」 ということになります。綴りをよく見ると、一般に使われている姓と1文字ビミョーに違う点があります。

   Sarkozy
   Sarközy

〓あとで書きますが、彼の先祖はハンガリー貴族です。そして、-ö- というのは、ハンガリー語の原綴にある文字です。いわゆる、ドイツ語の 「オー・ウムラウトの長音」 の音で、フランス語では 「短音の eu, œu 」 がこの音にあたります。発音記号では [ ø ]。オとエとウの中間のような母音です。
〓国境の関係で、フランスにもドイツ系の住民は多数住んでいて、そのような人々の中には、-ö- の文字を姓に持つ人がいます。ときに、フランス語の表記に合わせて、-œ- に綴り換えている人もいます。
〓教養のあるフランス人ならば、-ö- は [ ø ] と発音すべきことを知っているでしょう。なので、なかには、

   「彼の姓は “サルコジ” じゃなくて、“サルケジ” だよ」

というウンチクを、ここぞとばかりに振りまいているフランスの物知りオヤジなんぞもいるかもしれません。
〓 Google France で、フランス国内限定で、表記の多数決を取ってみましょう。

   Sarkozy 2,750,000件
   Sarközy  13,100件
   Sárközy   1,710件
      ※ Sárközy という表記については、これから説明します

〓 Sarkozy が圧倒的ですが、Sarközy も無視できない数です。

〓彼の父親は、ハンガリーの小貴族でした。名前は、

   Nagybócsai Sárközy Pál
   [ ' ナヂボーチャイ ' シャールケズィ ' パーる ]
   ナジボーチャイ・シャールケジ・パール

です。「シャールケジ」 が姓で、「パール」 が個人名。ハンガリー語は、日本語と同様に、

   姓−名

の順に、名前を記します。Pál は、英仏の Paul にあたります。その前に付いている、

   Nagybócsai 「ナジボーチャイ」

というのは、貴族の称号です。「出身地」 の地名に 「〜出身の」 という接尾辞 -i を付けたもので、

   Nagy-Bócsa 「ナジ=ボーチャ村」

という地名を 「貴族の肩書き」 にしたものです。この肩書きは、遠く 17世紀、一介の農民にすぎなかった、彼の先祖

   Sárközy Mihály
   [ ' シャールケズィ ' ミハーイ ]
   「シャールケジ・ミハーイ」

が、オスマン帝国軍との戦闘に武勲があったために、時の神聖ローマ皇帝 フェルディナント2世 Ferdinand II によって貴族に取り立てられ、出身地の村名 Nagy-Bócsa を取って、

   Nagybócsai ナジボーチャイ

の称号を名乗ることが許されました。
〓この Nagy-Bócsa 「ナジ=ボーチャ村」 は、現代ハンガリーには見当たりません。nagy というのは 「大きな」 という形容詞で、反対語は kis 「小さな」 です。以前は、

   Nagy-Bócsa ナジ=ボーチャ、「大ボーチャ村」
   Kis-Bócsa キシュ=ボーチャ、「小ボーチャ村」

がありましたが、現在では合併して Bócsa 「ボーチャ村」 となっています。ブダペストの南方の村です。
〓「シャールケジ家」 は、小貴族として、ブダペストの東92キロのところにある 「アラッチャーン村」 Alattyán に、領地と小さな城を持っていました。第二次大戦において、ドイツの敗色濃くなった 1944年、枢軸国側 (日独伊側) についていたハンガリーにソ連軍が進軍し、シャールケジ家の領地は接収され、亡命を余儀なくされました。

〓ここで、フランス語の姓の解説に戻ります。ハンガリーでの貴族時代の肩書きと姓は、

   Nagybócsai Sárközy 「貴族の肩書き」+「姓」

でした。フランス貴族は、通常、「姓を持たず、“de + 領地名” を姓として用いる」 のですが、ハンガリー貴族である 「シャールケジ家」 には、「貴族の肩書き」 と 「姓」 の両方があります。なので、これを併記して、

   Sarközy de Nagy-Bocsa

としました。“de Nagy-Bocsa” は、フランス語では 「ナジ=ボーチャに領地を持つ貴族」 という意味になります。英語ならば、“of Nagy-Bocsa” ですね。
〓原綴にあった 「長音を表す “´” 」 は全て省かれています。フランス語では意味をなさないばかりか、混乱をもたらすからでしょう。唯一、フランス語でも意味を持つ -ö- だけを綴りに残したものと思われます。

〓 Sárközy 「シャールケジ」 というのは、貴族に取り立てられる以前から名乗っていた 「アダ名」 です。英語で byname 「副名」 などと呼ばれるもので、同じ名前が重複することの多かったヨーロッパでは、早くから個人を識別するために 「アダ名」 が発達し、個人名に添えられていました。これが、いつしか 「姓」 として固定化します。
〓 Sárközy は、現代ハンガリー語でも、容易に解釈できる姓です。

   sár [ ' シャール ] 泥、ぬかるみ
    +
   köz [ ' ケズ ] 路地、細い道、袋小路、はざまの土地
    +
   -y [ イ ] 「〜出身の」 という意味の接尾辞
    ↓
   Sárközy 「ぬかるんだ路地の住人」

〓接尾辞の -y は、-i の古いバリアントです。ハンガリー語では、i も y も発音は同じです。現代ハンガリー語では、「〜出身の」 という接尾辞は -i に統一されていますが、固有名詞には、古い -y が残るようです。

〓以上、まとめますと、

   Sarközy de Nagy-Bocsa

という姓は、

   「ぬかるみ横丁出身の大ボーチャ村領主」

という意味になります。



   【 「ブラッサイ」 という写真家 】

〓写真が好きなヒトなら、フランスの写真家

   ブラッサイ

を知っているでしょう。彼が生まれたのは 1899年、ルーマニアに併合される少し前の、ハンガリーのトランシルヴァニア地方の都市 「ブラッショー」
Brassó [ ブ ' ラッショー ] です。
〓今日、この都市は、ルーマニア語で 「ブラショフ」 Braşov [ ブラ ' ショフ ] と呼ばれます。もともと、このあたりは、2世紀初頭にローマに征服され、ラテン語化されたローマの属州で、「ダキア」 と呼ばれていました。
〓「ブラショフ/ブラッショー」 も、もともと、ラテン語で Brassovia 「ブラッソーウィア」 もしくは Corona 「コローナ」 と呼ばれていました。
〓12世紀になると、東方から侵入するチュルク系民族に対する橋頭堡として、ドイツ人入植者の要塞的都市が建設され、多数のドイツ人が入植してきました。そのため、この地域は、

   ルーマニア人 (ラテン語化した先住民)
   ハンガリー人 (ドイツ人以前に西方より移住)
   ドイツ人

といった民族が住んでいます。ブラッショーもドイツ人の建設した都市で、ドイツ語名は 「クローンシュタット」 Kronstadt でした。これは、ラテン語名 Corona 「王冠」 をドイツ語の Krone [ ク ' ローネ ] に訳し、ドイツ語 Stadt 「町」 を付けたものです。
〓ロシア連邦のレニングラード州、サンクトペテルブルクの沖合に浮かぶ島に、同名の、

   Кронштадт [ クランシュ ' タット ] クロンシュタット

があります。語源は同じですが、トランシルヴァニアの 「クローンシュタット」 の名を引いたものかどうかはハッキリしません。

〓ハナシをもとに戻しますと、このブラショフ出身のフランスの写真家に、
Halász Gyula [ ' ハらース ' ヂュら ] (姓+名) という人物がいます。ハラース・ジュラは、ハンガリー人の父親、アルメニア人の母親とともに、3歳の折りにパリに移住してきました。
〓 1933年、彼は、夜のパリの街を撮影した写真ばかりの写真集

   «Paris de nuit» 『パリの夜景』

を発表して、一躍、有名になります。このとき、彼はすでに、

   Brassaï [ ブラサ ' イ ]

という作為名 (pseudonym) を使用していました。この名前は、ちゃんと説明されていることが少ないんですが、

   Brassó ブラッショー
    +
   -i  「〜出身の」 の意味の接尾辞

という構成のように見えます。
〓本来のハンガリー語ならば、Brassói [ ブ ' ラッショーイ ] 「ブラッショー出身の(者)」 となるはずです。どうしたもんか?
〓実は、19世紀トランシルヴァニアの教育者、音楽家で、「トランシルヴァニア最後の博学者」 と呼ばれた人物がいます。

   Brassai Sámuel [ ブ ' ラッシャイ ' シャームエる ]

という人物です。
〓ブラッサイは、出身地の 「ブラッショー」 と 「ブラッシャイ・シャームエル」 をカケて、

   Brassaï

と名乗ったのではないか、と思います。
〓これは、あくまで、アタクシの説です。今まで、誰も 「ブラッショーイ」 Brassói と 「ブラッサイ」 Brassaï の綴りが異なっている理由を説明しないどころか、疑問にも感じていないようなので、このような説を挙げてみました。


〓今日は、“A Hungarian in Paris” でまとめてみました。
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