mixiユーザー(id:9504635)

2024年03月09日19:30

12 view

人との関りをシンプルにしたい人なんです・・・

少し前のことですが・・・ご近所のお家が、いつの間にか消えたと思ったら、あっという間に、新しい家が建ち始めていました。それで、ふと「最近、地鎮祭も、餅まきも見ないなぁ〜」って気づきました。神社が主催するような大規模な神事は、そうそう簡単になくなりはしないのでしょうけど、個人単位で行う神事なんかは、確実に消えつつありますね・・・

かくいう私も、実は、実家の檀家を引き継がないつもりでいます。すでに、世話役さんには、その旨伝えたのですが、お返事がいただけなくて、今は宙ぶらりんな状態なのですが・・・ずっと私の両親と同居していましたが、結婚して姓は変えてますから、正確には離檀でもないんですけどね。ここ数年は、お寺の掃除当番なんかを母の代理で勤めていましたから、みなさん、当然、引き継ぐものだと思われていたみたいですが・・・、

伝統を守るというと大げさですが、地域活動とか、昔からの習慣みたいなものを、継続させるべく務めるというのは大切なことだと思うのですが・・・形だけ引き継いでいても・・・・・・

地域での人間関係を大切にするなら、いまだ、有効なつながりだと思うんですよ、檀家。他にも、明郷会だとか、同行だとか、いろいろあるみたいなんですけど・・・母のようには務まらないです・・・だって、みんな母任せで、わたしは全くノータッチでしたから。みなさんは優しくて、いろいろ気遣ってくださるんですが・・・だから、頑張れば、なんとか馴染んでいけるとも思うんですが・・・ん〜・・・

自分でも「棟上げ式での餅まきを思い出して懐かしんだくせに」って思うんですが、そのままでいられることって、あまりないと思うんですよ。変化に応じて、相応しい形を模索していくしかないんじゃないかって・・・

お寺のことに限って言うなら・・・わたしが子どもの頃は、お寺と檀家の繋がりは、たしかに密でした。お盆の棚経にいらしたら、そのあとに長い世間話タイムがあったものです。お葬式なんかでも、式の後に、住職さんが故人の在りし日のことをいろいろとお話しされて・・・参列した皆で故人を悼む時間がありました。でも、今は、もうそんなわけにはいきませんよね・・・

得るものがあれば、失うものもある・・・得ることは当たり前に享受するけど、何も失いたくはないというのは贅沢でしょ。それも、自分は失わないために何も努力しないけど、自分以外の誰がが頑張って古きよきものを守ってほしいなんていうのは、ほんと虫が良すぎるってもんです。

世の中の変化に、うまく順応していける人はそれでいいけど、変化に取り残されて、どんどん生きづらくなっていると感じている人もいるかもしれない。今の我々は、革命だとか敗戦だといった、短い時間に精神的な部分から実際の生活まで一気に覆されるようなタイプの変化を経験しているわけじゃないけど・・・科学的な進歩っていうんでしょうか・・・その変化のスピードはとんでもなく早いので、全部じゃなくても、部分的取り残され感というのは、誰もが何かしら感じているかもしれません・・・

上手に変化し、上手に居残り・・・自分の居心地の良さを自分で模索しないと・・・ただただ変化に乗っかっていても・・・変化を拒否して過去ばかりに縋り付いても・・・漠然とした微妙な居場所のなさ中で暮らさなきゃいけなくなるような気もします・・・

だから、檀家を抜けるって? いやそれは、単に、わたしが人見知りの引きこもりで、人との関りをシンプルにしたいから(爆)。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31