■「人類総体がニュータイプにならないと突破は…」 ガンダムで富野由悠季が気づいた地球の限界値
(朝日新聞デジタル - 07月05日 22:23)
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地球資源の枯渇によって人類が宇宙に移住した時代を舞台にした「機動戦士ガンダム」。現在も続くシリーズの生みの親であるアニメーション映画監督・原作者の富野由悠季さん(81)は、ガンダムを制作する中で「このままだと絶対的に地球の限界値を超える」と気づいたという。「人類の総体がニュータイプになることができない限り、突破できない」と、将来を担う若い世代に問題の解決を期待する。
機動戦士ガンダムは1979年に放送開始。その7年前の72年に科学者らの集まりであるローマクラブが、地球の持続可能性に警鐘を鳴らす「成長の限界」を発表した。
富野さんは、成長の限界を当初は「インテリの遊び」だと軽視していたというが、ガンダムの制作を続ける中で、石油や石炭といったエネルギー、食糧の枯渇を理解した。「これは永遠のテーマになる」と感じたという。
ガンダムでは、宇宙で暮らすようになって新たな力を得た人「ニュータイプ」が登場する。富野さんは環境問題などの地球規模の課題について、「スーパーマンみたいな1人のニュータイプがいるだけじゃだめ。人類の総体がニュータイプになることができない限り、突破できない」と指摘。そのための方法をガンダムという作品を通して見つけたいと考え続けたが、できなかったという。
一方、今の若い世代には期待しているという。「きちんと歴史を理解してほしい。人類の独善や資本主義というものについて。そこに地球を汚染した理由を見つければ、改善策を発明できる」と説明。
「今の世の中の事態を小さな頃から見てきた子どもたちなら、地球のことを考えることができる」(市野塊)
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ニュータイプの定義の最初はハテナが頭上に浮かびあがり、テレパシー限定のエスパーであったり、宇宙で意識を拡張した新人類の覚醒であったりと、ま、好き好きに解釈可能であった。
作者が何をいおうが、ニュータイプは作中においては、主人公側が都合よく勝利する理由付けの意味合いが強い。つまりキャラクター設定の一種だと感じた。軍という現実を作品世界に持ち込んだために、必ず主人公が勝つという従来の文法は成立しない。
ではなぜ主人公たちは勝てるのか、というエクスキューズに答えるために持ち込まれた新しい設定と理解する。所がニュータイプという用語は作品上の設定では収まらず独り歩きを始めた。遂には雑誌のタイトルにまでなった。
この世間ではそう認知されなかったがアニメを中心に爆発的な認知度を得たニュータイプという概念に作家も含めて様々な解釈が持ち込まれたのは自然な流れであったろうと思われる。ここに決定的な答えはない。
なぜならニュータイプとは、敵味方で無線機もないのに互いの会話が成立するという従来のロボットアニメでさりげなく無視されたリアリティに答えを与えるための発明だからだ。ロボットアニメであろうが、物語である以上、会話は欠かせない。
しかし軍というリアリティの導入がそれを許さない。敵味方で通信回路を開いて会話が成立するなどありえない。しかし、それ以外で会話が成立するとガンダムという兵器のリアリティが失われる。
レコンギスタでガンダムにトイレを付けた程の人がこういうリアリティに無頓着とは思えない。ガンダムのランドセルが小さい事の理由として宇宙空間で救出を待つ間のユニットがあれでは搭載できないという人が基本的な技術について考えないとも思えない。
作品の要諦として敵味方のキャラクターは憎しみあったり分かりあったりする物語を必要とする。そこで分かり合う努力を続けるならば問題は解決できるだろう。戦争は終わらせなければならない。なぜなら地球が耐えられない、そういう想いがあると考えると、今のロシアの行動を如何なる気持ちで見ているのだろうか、とも思う。
ニュータイプはそのような思いを乗せるのに便利な言葉だったのだろうと思う。また幸運にも、そのようになるように作中では書かれている。あらゆる疑問を解消できるマジックワードとして成立するように描かれている。
でなければあれほどの戦場の中で生き残れたはずがない。という作品の奥底でリアリティを支えている。ミノフスキー粒子も考案もニュータイプという発明も作品の中にリアリティ、ここでいうリアリティとは軍の事だが、を成立させるための舞台装置だった。
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