mixiユーザー(id:9504635)

2023年06月29日10:50

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近頃の若い奴らときたら(爆)

"近頃の若い奴"批判は、案外、年寄からは出てこない気がする。年を取れば、若者のアレヤコレヤに全く共感できなくても、そのヤンチャぶりや未熟さ、傲慢さすら可愛く感じてしまうもので・・・"近頃の若い奴"批判は、そんな年寄りから見たら十分すぎるほど若い世代から発せられるように思う。

でも、私自身は、どの年齢期でも"近頃の若い奴"的発想はしなかった自負がある。ただし、包容力があったとか老成していたというのではなく、そういう自分でありたいと自己演出して、自分の中からふつふつと沸き起こってきた"近頃の若い奴"批判を小さな泡のうちに押さえ込んでいたからだと思うが(^^;。

そんな私が、どう受け止めるべきがずっと悩んでいる、最近(といっても、もう言われ始めてからずいぶん経つ気もするが)の若者の行動に、"ドラマや映画などの映像創作作品を二倍速や三倍速で鑑賞する"ことがある。

本音を言うと、そうする気持ちは非常によく分かる。けど、自分の中の価値観?道徳観?なんだかよく分からないが、わたしの中の何かが「それだけはしちゃダメだ」と強く私を諫め、どうしても出来なかったのだ。それを、今の若者たちは、いとも軽々と、当たり前のこととして気軽に行っている・・・それが妬ましくもあり羨ましくもあるのかもしれない・・・

でも、最近、ちょっとずつ自分の中の"何か"の箍が緩んできて、飛ばし飛ばし鑑賞ができるようになってきている・・・。さすがに"最初から二倍速三倍速で鑑賞する"ことが自分のスタンダードな鑑賞スタイルになることはないと思うが、その作品にイマイチ入り込めない時には、見飛ばすことも出来るようになってきた。

それはたぶん、本当に好きな作品なら、倍速で見たり見飛ばしたりナガラ鑑賞なんて、しろと言われても出来ないということが、よくよく分かったからだと思う。

以前は、見始めた映画が楽しめなくても、途中で止められなくて、拷問でも受けている気分で最後まで見きっていたものだった。当然、ノーマルのスピードで。小説などもそうで・・自分には合わないと思っても、読み終えないと次の本を手に取れなかった。それは、作品を作った人への敬意と礼儀、それから、最初は理解できなくても途中からドハマりする作品が少なからずあるという経験からなのだが・・・。あっ、そうだ・・・演劇だけは例外で、「キライ」と思ったら、芝居の途中でも席を立ったことがあったっけ。途中で鑑賞を止めても作り手に気付かれることがない映画や小説と違って、作り手の目の前で退席するから、よほど失礼なのだけど・・・だからこそ、それが誠実だと思っていたのかもしれない・・・若き日の私は(^^;。

ちょっと的外れな例えかもしれないが・・・藍那が、歴代のボーイフレンドを三つに分類していた。"お母さんにその存在を伝えない彼""お母さんに色々と話を聞いてほしくなる彼""お母さんに会ってほしい彼"。彼女曰く「お母さんが知らない彼氏なんていっぱいいる」けど、「お母さんが知るべき人のことは、ちゃんと話している」のだそうだ。今一つ、意味がよく分からないが(^^;・・・これを、わたしの創作作品への向かい合い方と置き換えてみれば、なんとなく分かるような気もする・・・たぶん・・・そういうことなんじゃないかな・・・どういうことやねん(爆)。
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