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2022年06月05日21:31

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『鎌倉殿の13人』第21回「仏の眼差し」

 ぶお、下書きだけしてアップしたつもりになっていました。というわけで、もう22回が放送されているけれど、いまさらながら21回の感想を上げておきます。

 源頼朝は源義経を利用し尽くした。平氏を討伐させ、反乱して逃亡後はその捜索を口実に全国へ守護や地頭を置いて警察権を掌握、藤原泰衡に殺させておいてまたそれを理由に東北へ攻めこんだ。
 さすがに後味の悪さを否めない北条義時に頼朝に悔やむなという。究極において善悪は人知の及ばざるところというのは、なかなかに肚が据わっていて、変革期にはそういうある意味で無茶な考え方が必要なのかもしれないけれど、過激で危険でもある。
「天の与えた罰ならば、わしは甘んじて受ける」
 とは、最期を暗示した台詞のようでもある。あと、八田知家も登場していた。記憶にあるようなないような、微妙に引っかかる感じの名前だけど、市原隼人が演じているのでそれなりに重要な役なのだろう。

 俳優というのは、年齢も能力になりうる職業だけれど、老人枠というのは老けた外見と撮影に耐える体力という相反した要素を両立させないといけないので、たいてい手薄なジャンルである。岡林信人はそこを見こんで起用されたはずで、年齢としては十分だけれど、見た目が若々しすぎるため、老けメイクや台詞回しでの頑張りが逆に際立ってしまうという謎の状況にある。

 なにもかも頼朝の狙い通りに進みつつあり、後白河法皇にはすでにすべての手札を失っている。八方ふさがりの状況の責任を押しつけられ、平知康が失脚させられてしまう。保元・平治の乱の後、もはや実態どころか建前としても破綻してしまった律令体制になんとしてもしがみつこうとする法皇に詰め腹を切らされた感じである。
 当事者に時代の潮目が見えないのは仕方ないとはいえ、無理筋を通そうとしては裏目に出て、結果的に誰よりも歴史を進めてしまった人らしい振る舞いともいえる。

 その後は鎌倉における、表面上は和やかな交歓の場面が続く。頼朝の跡継ぎの頼家は、すでに駄目な感じを醸し出しているし、頼朝がなにかといえば八重との過去を蒸し返そうとして、政子がガチ気味にキレるのはこの後の八重の顛末を暗示してのことと思われる。

 北条時政とりくの間に、当人たちにとっては待望の子どもが生まれる。りくは「これで北条にも跡継ぎができました」と喜ぶが、こういう場合は真衣演じる宮澤エマが不自然ではない程度にわかりやすく微妙な表情をしてくれるので、見ていて戸惑うことがない。
 ここでは妙にまとめて関係の更新や新たな人物の登場が語られていて、まず、時政には義時や政子や真衣の下にまだちえという娘がいて、それが畠山義忠に嫁ぎ、そこにも子どもが生まれているのだった。義忠が時政の婿であるとは知らなかった。
 それから、さらにあきという妹もいて、こちらは稲毛重成に嫁入りしている。ちなみにこのあきを演じるのは『騎士竜戦隊リュウソウジャー』でリュウソウピンクだった尾碕真花である。正直、顔では思い出せなかったけれど、クレジットの名前でひっかかって調べてみたら判明した。真花はいちかと読むそうな。
 そして、義時の弟、義連も遅れて登場。ネタバレしてしまうと、この義連が時房なのである。どこがネタバレじゃい、と言われそうだが、後の鎌倉幕府初代連署だから、かなりのキーパーソンになるはずである。年齢としては、義時とその息子の金剛(泰時)のちょうど間に入る。この後、幕府内での血で血を洗う内部抗争が始まって、基本的に誰も信じられないようになっていくけれど、そういう状況にあって心を許せる頼もしい片腕という存在になると思われる。

 なにかとおめでたい話題が続くのだけど、そこへ微妙に水を差すのが、やたらとまじないやらオカルト方面に目覚めた大姫である。勝手に葵を名乗るが、これもあまり縁起のいい名前ではないらしい。あるべき姿とのずれを描くことで、そこから見えてくる人物の矛盾や破綻をより強く視聴者に印象づけている。

 一方で、りくの台詞によって、鎌倉殿への食いこみ方について北条は比企に後れをつりつつあることも述べられる。北条家は大きな家ではなかったから、この時点では頼朝の外戚としての地位は比企家に移りかけていたのである。この点も今後の展開に大きく影響してくるはずである。

 後半は八重について語られる。頼朝との子、千鶴丸を彷彿とさせる鶴丸という孤児を引き取るが、鶴丸が川の淵にはまりかけて岩にしがみつき助けを求める姿に、溺死させられた千鶴丸を重ねてしまい無理を押して救うも自分が流されてしまう。
 同一モチーフのリフレインでシーンを構成していく手法がここでも一貫している。

 そのころ、義時は運慶の作った阿弥陀如来像を見て、八重を思い出していた。ほぼすべての宗教がそうであるように仏教を殺生をタブーとするが、ことに平安仏教は血を穢れとして忌み嫌うのが甚だしい。しかし、当時は農民であっても獣を狩るし、そうしないと農作物を獣害から守ることはできない。厳密に規範に沿った生活が可能なのは一握りの貴族のみであって、武士ともなれば殺生が仕事といえる。

 そうした現実に対応するため、鎌倉仏教が出てくる。阿弥陀如来は生きとし生けるものすべてを救うというが、義時がそれになぞらえた八重は彼が知らないうちに去ってしまった。
 おそらく全体のターニングポイントになるのは、頼朝の死だろうけれども、その手前で静けさのうちにカタストロフの前兆をしのばせてきた回だったように思う。

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