※画像は2017年6月25日の東京新聞書評欄の紙面。レイアウトに注目!
※この随筆は2017年6月に執筆したものに加筆修正しました。
( ^_^)ノおっは〜!
今回は東京新聞ネタ
題して!
「憲さん、東京新聞書評欄を“書評”する!」
憲さん仕事がつまんないから毎日こういう雑文を書いて過ごしてまーす!
(´艸`)くすくす
プチ長文なので暇なとき読んでね!
以下、高校の同級生ブッシュ君が薦めた書籍の紹介メールより。
(>以下がブッシュのメール、→以下が憲さんの返事)
>俺も先日『謀叛の児』という本を読んだ。 下記のブログはこの本の抜粋をやたらのっけてる感じなので紹介がてらリンクしてみた。
謀叛の児: 宮崎滔天の「世界革命」 加藤直樹
https://kingfish.hatenablog.com/entry/20170624
→おー!
なんとブッシュが読んだ『謀叛の児』、先日の東京新聞の書評欄にでてたよ!
※文末に全文採録
タイムリーだな!
参考
↓
【宮崎滔天】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%BB%94%E5%A4%A9
でもこんな新刊本読めるなんてブッシュもセレブだな〜!
この本の著者は憲さんと同い年か〜。
参考
↓
【加藤直樹】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9_(%E8%91%97%E8%BF%B0%E5%AE%B6)
いい仕事してるね〜
滔天と言えばブッシュからもらった安彦良和の漫画『王道の狗』の最後のほうにも出てたよな。
参考
↓
【王道の狗】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E9%81%93%E3%81%AE%E7%8B%97
東京新聞の書評曰く
「なぜ、著者は本書を世に問うたのか。(中略)それは、かつて、滔天のような人物が日中間にいながら、現代日本には不在だからだ。(中略)見返りのない滔天のように純粋に理想を追求する生き方を再認識する必要があると考えたからである。」
「理想と現実という二律背反の世界を滔天は煩悶した。それでも、もっとも理想としなければならないのは、社会の底辺で蠢く人々への平等な富の配分であり、権力に左右されない社会の実現だった。(後略)」
「孫文も滔天も、その中途において生を終えてしまった。しかし、両者の理想が世界に波及したことは事実である。それを著者は『世界革命としての中国革命』と表現したのであった。」
だと!
うーん!
滔天、興味湧いてくるな〜!
でも、なんで「浪曲師」なのかね?
ますます興味深い!
>宮崎滔天は内田良平とかと一緒の大陸浪人、右翼のイメージしかなかったが、この本を読むとかなり違っていた。
参考
↓
【内田良平 (政治運動家)】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E8%89%AF%E5%B9%B3_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%AE%B6)
→この時代の人を右翼、左翼と分けて考えるのは無意味じゃないのか?
そもそもまだ社会主義の思想なんか日本には根づいていないのだろ?
憲さん幕末史を勉強してそう思うようになったね。
っつーか、現在も左右のイデオロギーで社会を分析するのはもう無駄だと思うようになったね。
そんなイデオロギーとは別のところにもっと普遍的な真理があるような気がしてきたよ。
「五十にして天命を知る」歳になった憲さんとしては!
>横井小楠や熊本民権党に影響を受けた滔天は、孫文などとも親交をあたため、1906年の時点で中国、ロシアの革命を突破口に、いわゆる第三世界の被抑圧民族の革命の連鎖で世界革命をやろうというテーゼを打ち出していた。その早さに驚いた。
→横井小楠は全く興味わかなかったな、憲さん。
ただの学者だろ?
彼、福井藩のイメージが強いけど、出身は熊本藩ね。
でも、楠正行(小楠公)に憧れて「小楠」なんて号をつけるんだから底がしれてるだろ?
参考
↓
【横井小楠】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E5%B0%8F%E6%A5%A0
【楠木正行】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E8%A1%8C
しかし、孫文の中国革命はアジア人として勉強する必要はあるわな!
参考
↓
【辛亥革命】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E4%BA%A5%E9%9D%A9%E5%91%BD
>幕末〜明治維新過程の思想と運動を勉強したくなった。
→やろう!
やろう!
“幕末勉強会”やろう!
ところで、今回の東京新聞書評欄、楽しいよ!
まずトップにこの本をもってきてる!
『儒教の歴史』
中国思想史家小島毅さんの著作
参考
↓
【儒教の歴史】
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784634431355
なんでかわかる?
答えはその下にある『ベストセラー』欄
1位が、ケント・ギルバート『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』だからだよ。
これに対するカウンターとしてもってきたのね。
東京新聞。
(´艸`)くすくす
記事曰く
「本書には朱子学と陽明学が明治維新に果たした役割も語られる。幕末の思想家の佐久間象山や横井小楠は朱子学の素養をもとに近代化を構想した。倒幕を企てた吉田松陰や西郷隆盛には行動主義的な陽明学の影響がみられるという。暴力が横行した明治維新に自身は批判的だが『私たちが営んでいる生活の起源をたどっていくと、儒教の恩恵を被ったのは確か』と語る。」
ってあるけど本当かよ?
そもそも日本において儒教なんて武士なんか特権階級の「たしなみ学問」なんじゃないの?
参考
↓
【儒学】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99
朱子学なんて幕府の御用学問だし。
参考
↓
【朱子学】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6
陽明学も「大塩平八郎」みたいに民衆のためを志向したものもあるけど、赤穂浪士の大石内蔵助はバカ殿のためだけに大石含め仲間47人+吉良の家臣数十人を殺す原動力となったし、幕末期においては吉田松陰、西郷隆盛はじめこの先生いう通り暴力(それも理のないテロリズム)を肯定する原理となったでしょ?
参考
↓
【陽明学】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E6%98%8E%E5%AD%A6
そんな原理に私たちの現在の生活が恩恵をうけてるのかね?
本当に?
どう思う?
とくに民衆においては明治維新以降、皇民化教育の中で儒教的教育が上から押し付けられたけど、結局は根付かなかったんじゃないの?
民衆の中では。
ネトウヨ文化人ケント・ギルバートの「嫌韓・反中」を煽る?本に対するアンチとしてはいいかもしれないけど。
参考
↓
憲さん随筆アーカイブス ギルバートかデリカットか、それが問題だ。 巷に溢れるヘイト本を考える
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-892d29.html
でも、きちんと儒教の日本における歴史的位置付けを勉強する必要はあるわな。
で、紙面の横に目を移すと芥川龍之介の『朱儒の言葉、文芸的な、余りに文芸的な』の岩波文庫が紹介されているのはご愛嬌。「曰く、『軍人は小児に近いものである』」だと!
正しいな。
参考
↓
【侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な】
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784003600139
で、紙面の左側に目をさらに移し、『謀叛の児』の隣に紹介されているのが『万葉集から古代を読みとく』(上野誠著)
参考
↓
【万葉集から古代を読みとく】
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480069627
この書評で目から鱗なのは、「日本では、古代復興のルネサンスは遅れた。王朝文化である『古今集』と『源氏物語』が、江戸時代の中期まで、日本文化の玉座に君臨したからだ。(中略)(賀茂)真淵は、女性的な王朝文化を否定し「ますらおぶり」の古代文化(万葉集・古事記)に光を当てた。」
んだと!
憲さんは古今集や源氏物語は万葉集や古事記の延長線上にあると思ってたけど違うんだね〜
でも、この評者はこの著者について「上野(著者)は(中略)古代と王朝は対立概念ではなく、科学的な説得力を伴って結ばれた。(中略)古代と王朝を結ぶ「和」の力で二十一世紀の日本文化はバージョンアップし、世界と結びつき、『平和』な未来を創造できる」んだと!
本当かよ?
ちょっとなに言いたいかわからんな。
だれか解説キボンヌ!
キボンヌ
でも、確かにやっぱ古今集より万葉集だよな〜。
それにこれらの方がまだ、儒教よりは日本人の臓腑にはしっくり落ちるよな〜。
で、極めつけは。
文庫本の紹介コーナー。
これだ!
下川耿史著『混浴と日本史』
参考
↓
「混浴と日本史」書評 みんなで楽しんでなにが悪い
https://book.asahi.com/article/11626412
(゚∀゚ 三 ゚∀゚)きたっー!
これだよ!
これ!
憲さんが待ち望んでた本は!
紹介文曰く
「性風俗研究家の著者がたどる混浴の歴史。『天照大神も混浴から生まれた!』というこじつけめいた神話解釈はともかく、(中略)日本で公共の風呂と言えば、混浴が主流なのだと主張する。」
待ってました!
そうだ!
そうだ!
日本の民衆文化は「混浴文化」であり、「夜這い文化」なのだ!
「男女七歳にして席を同じうせず」なんて儒教の愚にもつかない教えなんか、日本には根底から根付かない訳なのよ。
わがる〜?
今回の東京新聞の書評欄、パンチが効いてるよね〜!
この『混浴と日本史』の文庫本の紹介で上にある『儒教の歴史』なんかも含めて完全に木っ端微塵にぶっ飛ばしちゃってるね!
で、
混浴万歳\(~o~)/
儒教なんかくそ食らえ!
って読者に訴えてるのよ。
わがる〜!
わがる〜!
さすが、東京新聞
東京新聞LOVE
最後に本欄で紹介されている岩波ジュニア文庫『英語名言集』からマーティンルーサーキング牧師の言葉で締めよう。
参考
↓
【英語名言集】
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784005002290
「私たちは兄弟として共にいきることを学ばなければならない。それができなければ、馬鹿者として共に滅びるばかりなのだ。」
どっかの誰かに聞かせてやりたいよ。
でも、儒教も憲さん、『二十四孝』は好き
参考
↓
【二十四孝】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%AD%9D
こんな漫画チックで馬鹿馬鹿しい話を真面目に語る中国人て素敵
(´艸`)くすくす
どーよっ!
どーなのよっ?
※以下、加藤直樹著『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』の東京新聞書評
読む人 謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」 加藤直樹著(河出書房新社・3024円)
孫文を支え、追求した平等
2017.06.25
表紙を飾る宮崎滔天(とうてん)は、中国革命の孫文を支援した人として知られる。自身の半生をつづった『三十三年の夢』は中国語に翻訳され、中国の革命家たちの愛読書となった。現代に至るも国内外での愛読者は多い。ただ、残念なことに、原典を読破するには解釈を必要とする。ゆえに、著者は底本に補記する形で本書を綴(つづ)った。
滔天は明治新政府が誕生して間もなく、熊本の荒尾に生を享(う)けた。いわば維新という革命直後の日本を生きた人だった。しかし、器が新しくなっただけで、一向に世の中は良くならない。全ての人々が平等に生を享受し、権力に支配されることのない社会を生み出さなければならない。その理想を家訓として受け継いだのが滔天だった。
なぜ、著者は本書を世に問うたのか。序章、終章を含め全十四章にもなる大部だが、書き綴らねばならないと衝(つ)き動かす要因は何だったのか。それは、かつて、滔天のような人物が日中間にいながら、現代日本には不在だからだ。政治的であり、打算的であり、歴史認識の乖離(かいり)であったりする関係を憂慮するからだった。見返りの無い、滔天のように純粋に理想を追求する生き方を再認識する必要があると考えたからである。
理想と現実という二律背反の世界を滔天は煩悶(はんもん)した。それでも、もっとも理想としなければならないのは、社会の底辺で蠢(うごめ)く人々への平等な富の配分であり、権力に左右されない社会の実現だった。そのことは、孫文が墨書した「天下為公」が示している。これは滔天と孫文とを強く結びつける共通認識だった。
中国革命は、少しずつ、周辺の国々に影響を及ぼし始めながら、孫文も滔天も、その中途において生を終えてしまった。しかし、両者の理想が世界に波及したことは事実である。それを著者は「世界革命としての中国革命」と表現したのだった。滔天の再評価到来を願うばかりである。
(評者 浦辺登=文筆家)
かとう・なおき 1967年生まれ。フリーライター。著書『九月、東京の路上で』。
もう1冊
榎本泰子著『宮崎滔天』(ミネルヴァ書房)。孫文との出会いと革命運動、浪曲師・著述家としての活動など波乱の生涯を描く評伝。
※以下、小島毅著『儒教の歴史』の東京新聞書評
書く人 『儒教の歴史』中国思想史家 小島毅さん(55) 日本人が受けた恩恵
2017.06.25
紀元前の中国で誕生し、日本や韓国、ベトナムなど東アジアに広がった儒教の通史を一人で書き切った。「共同執筆だとどうしても文体や主張が違って読みにくいので、自分で全部を書けないかお願いしました。蛮勇ですね」と笑う。
本書は儒教の倫理・道徳の教えだけでなく、「礼楽」と呼ばれる祭祀(さいし)や儀礼の教説を丁寧に追う。現代の中国や台湾でも礼楽の宗教性は注目されず、「儒学」「儒家思想」と呼ばれることが多い。「儒教は仏教、道教と並ぶ『教(きょう)』なんだと知ってほしいと思います」
専門は中国宋代(九六〇〜一二七九年)の儒教。紀元前五、六世紀の孔子を祖とする儒教は、宋代に変質し、朱子学(しゅしがく)を形成する。
朱子学は「聖人学んで至るべし」と説く。従来は理想的為政者を指した「聖人」の概念を、誰もが学問を通して到達できる人格者の意味に変えた。明代(一三六八〜一六四四年)には朱子学の影響を受け、読書よりも行動による学びや実践を尊ぶ陽明学(ようめいがく)が生まれる。
本書には朱子学と陽明学が明治維新に果たした役割も語られる。幕末の思想家の佐久間象山(しょうざん)や横井小楠(しょうなん)は朱子学の素養をもとに近代化を構想した。倒幕を企てた吉田松陰や西郷隆盛には行動主義的な陽明学の影響がみられるという。暴力が横行した明治維新に自身は批判的だが、「私たちが営んでいる生活の起源をたどっていくと、儒教の恩恵を被ったのは確か」と語る。
中国に関しては習近平国家主席の儒教観までを論じ、「儒教は今再び中国の国教として復活しつつある」との見方を示す。儒教が弾圧された一九六〇〜七〇年代の文化大革命の時代とは打って変わって、「今の中国は儒学研究に巨額の国費を投じているんですね」。
一方、「日本では儒教がまともに論じられていない」と嘆く。いま部数を伸ばすケント・ギルバート『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社+α新書)には、特に手厳しい。「中国と韓国は儒教だから駄目だと。日本とは本質的に違うという書き方をしているけど、儒教の何がいけないのか彼は全く言っていない」
確かに、日本には中国、韓国ほど儒教は深く根付かなかった。「それは中国人、韓国人と日本人に本質的な違いがあるからではなく、歴史のいきさつがあるからです。そう単純じゃないと知っていただければと思います」
山川出版社・三七八〇円。(小佐野慧太)
以上
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