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2021年09月20日07:24

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日本の戦後革命の敗北は何に起因しているのか? 池上彰・佐藤優著『真説 日本左翼史』を読む

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※画像は府中刑務所を出所する徳田球一、志賀義雄ら(1945年10月10日)

皆さんは以下の歴史的文章を読んだことがあるだろうか?

憲さんは今回初めてマジマジと読んだ。

題名と署名を後回しにして、まずは本文を読んでもらおう。

以下(この文章結構探すのに苦労した!)

一、ファシズム及軍国主義からの世界解放のための連合国軍隊の日本進駐によって日本に於ける民主々義革命の端緒が開かれたことに対して我々は深甚の感謝の意を表する。

二、米英及連合諸国の平和政策に対しては我々は積極的に之を支持する。

三、我々の目標は天皇制を打倒して、人民の総意に基く人民共和国政府の樹立にある。

 永い封建的イデオロギーに基く暴悪な軍事警察的圧制、人民を家畜以下に取扱ふ残虐な政治、殴打拷問、牢獄、虐殺を伴ふ植民地的搾取こそ軍国主義的侵略、中国、比島(フィリピン)其他に於ける侵略に伴ふ暴虐、そして世界天皇への妄想と内的に緊密に結合せるものであって、これこそ実に天皇制の本質である。彼等の自家広告的文句は却て彼等の欺瞞性を暴露するものである。

 かかる天皇制、即ち天皇と其宮廷、軍事、行政官僚、貴族、寄生的土地所有者及独占資本家の結合体を根底的に一掃することなしには、人民は民主々義的に解放せられず、世界平和は確立せらるるものではない。即ちポツダム宣言は遂行せられるものではない。

 四、飢えと寒さと家なき死線への窮迫状態は、かかる悪虐な天皇制を維持して軍国主義の復活に備えることに熱中する天皇の宮廷、軍事行政官僚と独占資本との結合による現政府によつては、いさいかも改善せられることなきのみか、現に刻々悪化し つつある。軍国主義と警察政治の一掃は日本民族の死滅からの解放と世界平和の確立の前提条件である。この任務は人民政府によってのみ遂行せられる。

 五、寄生的土地並に山林原野を主とする遊休土地の無償没収と其の農民への無償分配、労働組合の自由、団体交渉権の確立、失業保険、八時間労働制を含む労働者、勤務者の生活改善、信教の自由、軍閥官僚と独占資本の為の統制の排除と労働者、農民勤務者其他の抑圧された一切の人民の為の統制、十八歳以上の男女の選権による 国民議会の建設、刑法中の皇室に対する罪、治安維持法、治安警察法等悪法の撤回なしには刻下の急務は遂行せられず、ポツダム宣言による民主義の樹立と完成も世界平和の確立も水泡に帰するであらう。

 六、かかる任務は封建的圧制の下に天皇制の権力と妥協しつづけて発展したエセ自由主義、社会主義である天皇制支持者達の指導によっては果されるものではない。彼等は天皇制と共に欺瞞を自己保存の武器とした為に人民大衆の信頼を失っている。又国際的にも信頼せらるべき何等の事蹟をも有せぬ。

 七、今ここに解放された真に民主々義的な我々政治犯人こそ此の重大任務を人民大衆と共に負ふ特異の存在である。我々はこの目標を共にする一切の団体及勢力と統一戦線を作り、人民共和政府も又かかる基盤の上に確立されるであらう。

 我々は何等報いらるることを期待することなき献身を以てこの責任を果すことに邁進するであらう。

以上。

お分かりだろうか?

これは、1945年10月10日に発せられた、日本共産党出獄同志 徳田球一、志賀義雄、外一同の「人民に訴ふ」という文章である。

参考(画像が載っている)

「稀覯資料紹介‎
日本共産党『人民に訴ふ』」
https://sites.google.com/site/nagato0326/archives/jinminniuttau

徳田球一については以前書いた憲さん随筆で触れている。

参考

「共産党は『革命』を放棄したのか!? 知性なき「国際弁護士」の言説を検証する! 『されど 六全協の日々−?』」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-4e0dfc.html

志賀義雄は共産党員で、戦前に治安維持法で逮捕され獄中18年を非転向で貫いた。

参考

【志賀義雄】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E8%B3%80%E7%BE%A9%E9%9B%84

ここで、注目されるのは日本共産党の幹部である徳田や志賀が「ファシズム及軍国主義からの世界解放のための連合国軍隊の日本進駐によって日本に於ける民主々義革命の端緒が開かれたことに対して我々は深甚の感謝の意を表する。
米英及連合諸国の平和政策に対しては我々は積極的に之を支持する。」

と、米軍を中心とした連合国軍を「解放軍」規定したことにある。

あの、広島長崎に原爆を投下し、東京を初め日本の主要都市に無差別に焼夷弾を落としまくり焼きつくし、人民を殺戮した米軍を「私たちを監獄から出してくれて感謝する」と述べているのである。

獄中18年で「浦島太郎」となった徳田、志賀は進駐軍を「占領軍」ではなく「解放軍」と位置付けてしまうのである。

この10月10日「自由戦士出獄歓迎人民大会」の集会後にGHQまでデモ行進した彼らがしたのは代表団がサザーランド参謀長に面会して、政治犯釈放に関して謝辞を述べることであったというのである。

ここで思うのは彼らに「帝国主義論」はなかったのか?ということである。非転向の共産主義者にも関わらず・・・。

参考

【帝国主義論】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%AB%96

そして、十二月一日から三日にかけて共産党の第四回「再建」党大会が開催される。
ここでも進駐軍を「解放軍」と規定する徳田、志賀の粗雑な情況認識は問題にされず、その後の拡大中央委員会で徳田球一が日本共産党のトップたる書記長に選ばれたことからしても、中央委員会のメンバーの誰一人として進駐軍を無条件に「解放軍」と規定することに異論はなかったのが明らかである。

この当時前衛党であった共産党の間違った認識により、日本の戦後革命の芽は潰されたのである。

・・・・・・・・・。

その事を再確認させてくれる書籍を読んだ。

池上彰、佐藤優著『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960』である。

参考(書評)

「池上彰と佐藤優が語る『左翼史』が今、売れている」
https://books.j-cast.com/topics/2021/08/03015738.html

マルクス主義や社会主義、共産主義のことを学んだり再確認するにはこの二人のコンビの解説書が入門書として最適であり、大変読みやすい。

以前も憲さん彼らの『資本論』の入門書を読んで随筆を書いている。

参考

「講座派か労農派かそれが問題だ!『希望の資本論』を読んで」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-0e5f82.html

特にこの、外務省のラスプーチンと呼ばれ、国策捜査である鈴木宗男事件で有罪とされ外務省をクビとなった佐藤優氏は高校2年生から大学2回生まで日本社会主義青年同盟(社青同)の同盟員であったそうだ。

参考

【日本社会主義青年同盟】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%9D%92%E5%B9%B4%E5%90%8C%E7%9B%9F

なので、彼のマルクス主義や左翼に関する知識は膨大である。

これを、ニュース解説でお馴染みの池上彰さんと分かりやすく解説してくれるのである。

そして、本著で「この共産党の間違った認識により、日本の戦後革命の芽は潰されたのである」ことを再認識したのがこの部分である。

以下、引用

共産党の失望を決定づけた「二・一スト中止」

佐藤 そして一九四七年。この年には二・一ゼネストの中止がありました。

池上 そうですね。ゼネラルストライキ。 要するに共産党が主導して、あらゆる産業が一斉にストライキをしようと呼び掛けた。それに対してマッカーサーが、これを実行に踏み切ると大きな混乱が起きるということで中止を命令した。このストを最高責任者として計画していたのは、当時の国鉄労働組合総連合の中央執行委員長で、四六年一一月に結成された全官公庁労働組合共同闘争委員会(全官公庁共闘)の議長でもあった伊井弥四郎ですが、共産党の指導者である徳田球一委員長も中止の決定に関与していました。
 マッカーサーの命令を苦渋の決断で受け入れた伊井は、最後はNHKのラジオ放送でスト中止を発表し、その時に「私はいま、一歩後退二歩前進という言葉を思い出します。・・・日本の労働者および農民万歳!我々は団結さねばならない!」という名セリフとともに泣き崩れました。
 この二・一ストをめぐっては、仮にこのストが成功していたら吉田内閣の打倒はおろか共産党と労働組合の幹部たちを中心とした人民政府の樹立も不可能ではなかったのではないか、という歴史的な評価もあります。 しかしここで足を引っ張ったのが、巣鴨から の釈放時にGHQを「解放軍」と規定してしまった徳田による声明「人民に訴う」でした。
 自分たちが解放軍として祭り上げてしまった以上、共産党はGHQの占領政策を批判できない立場になっていましたし、その総帥であるマッカーサーの命令にも逆らうことできなかったわけです。
 結局この声明により、徳田らはいちばん肝心な場面で自分たちの手足を縛る結果にな てしまいました。

 佐藤 さすがにこれ以降、共産党も目が覚めたようで、進駐軍が解放軍でないことには気付くのですけどね。しかしいずれにせよGHQに屈してニ・ーストを中止したことで、共産党は日本の労働運動を大幅に後退させる決断をした、という批判を浴びることになり、労働運動における主導的立場から転落してしまいます。一年前には共産党との人民戦線形成を目指した社会党の左派も、これを機に共産党とは一線を画すことを考え始め、五月一 五日に絶縁を宣言する、という流れです。
 徳田球一個人にとっても、この二・一ストを指揮するまでが革命家としての絶頂の時期であって、この後は下り坂を転がるような運命を辿ることになります。

以上、引用終わり。

これがいわゆる共産党が戦後革命を裏切ったと言われる所以(ゆえん)である。

これを今の共産党はどのように総括しているのであろうか?

どう考えても連合国軍とGHQを「解放軍」とするのは誤謬である。

日本の戦後革命の芽は敵ではなく内から崩壊してしまったと言って良いであろう。

その後、日本の革新勢力が苦戦を強いられ今や青息吐息であるのもこの戦後革命の敗北から来ているのではないだろうか?

この本、このように日本の左派と呼ばれる左翼勢力を共産党や社会党は当然ながら右は民社党から左は新左翼まで網羅して解説してくれている。

そして、この本では1956年に起きたソ連がハンガリーに侵攻するといったいわゆる「ハンガリー動乱」を機に日本でもソ連をスターリン主義として批判する新左翼の登場までを扱っている。

そして、続編はさらにこの「新左翼」について掘り下げていくらしい。

続編が楽しみである。

この池上彰氏と佐藤優氏の新書版の書籍は簡単に読め、入門書としては是非お勧めです。

よかったら読んでみてください。

どーよっ!

どーなのよっ?

※参考サイト

「断片の昭和史(1) 日本共産党の迷走 再建を経て2.1ゼネストの挫折からコミンフォルムの衝撃へ」
https://teru0702.hatenablog.com/entry/20120122/1327212463
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