mixiユーザー(id:13098104)

2020年11月22日15:28

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我が家のルーツ

我が家のルーツのわかる戸籍が出てきた。
これは以前、東京に居る息子が司法書士に調べてもらったものを送ってくれていたのだ。

それを見ると弘化元年(1844年)2月に菅沼権基の長男、権十郎が菅沼家を相続している。

住んでいたのは新潟県三島郡蛇塚新村18番地で、百姓をやっていた。

今の住所でいうと

新潟県長岡市寺泊蛇塚になるのだそうな。

その息子が丑松、丑松の長男が徳治で俺の爺さんになる。

徳治は明治18年(1885年)5月27日に出生。

明治44年(1911年)9月に北海道に転居してきた。

どういう理由で北海道にやってきたのかわからないが、旭川第七師団で飯を作っていたと聞いたことがあり、転居先が旭川市大町7丁目で現在の陸上自衛隊の駐屯地や護国神社の傍であることを考えると、はなから兵隊になるためにやってきたのではなかろうか。

第七師団では炊事班だったらしい。

昭和13年(1938年)3月に音威子府に転居している。

52歳くらいだから退役してから音威子府で百姓を始めたのだろう。

うちの親父の名前は巌(いわお)で、随分ごっつくて頑固者そうな名前だとずっと思っていたが、もしかすると日露戦争で満州軍総司令官だった 大山 巌にちなんで名付けたのかも知れない。

妹の旦那のご先祖が新潟県新潟市西蒲区漆山で、市は違っていても15キロくらいしか離れていない。

明治40年に北海道に来たらしく、住んだところも旭川市鷹栖だった。

旭川って新潟からの移住者が多かったのだろうか。

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