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2020年10月25日10:50

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“自由“と“責任“の綱引き

綱引きの歴史を辿ると

「綱を引く」と言うことは、

世界各地でふるくは、

儀式と信仰から始まり、

豊作を願う行事や争いの沈静手段などで

世界各地で様々な形態があるそうな。

日本では奈良時代にそれらが貴族遊戯となり

時代に室町時代になると庶民へと広まった。


この問題を綱引きで見てみると

校則におけるこの綱引きは

“綱“が校則で、両者が引っ張るもの。

“自由を願うもの“と“責任を背負うもの“が

“校則“を引っ張り合う。


マスコミは、“不合理だ“ “多様性だ“と

声を揃えて、願うものを応援する

ずるずるとずるずると

“自由を願うもの“が優勢だ。


昔々、人々は“綱“に願いを込めた

細い糸を絡ませて

力強くほつれないように。


“綱“のほつれを追いかけて

解いてゆくのは簡単だ。


“綱“にどんな想いが込められたのか

そして、今、なぜ、この“綱“を

お互い引き合うようになったのか


“自由“と“無責任“が紙一重の世界で

そのあたりが語られるといいかなと

思った今日この頃。


勝敗のゆくえが気になるのは

仕方のないことかもしれないけど


“綱“に込めた子供への願いに

勝敗はなく、そこに込めた想いを

ほつれなく束ねたはずだから。


必要ないと思う校則アンケート
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6280510
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