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2020年04月16日22:39

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映画「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」

 瀬奈、聖名、世凪、星那、せな、セナ・・・
 1990年ころ生まれの人に、そこそこ見かける名前だ。
 佐藤世那というプロ野球選手もいた(オリックス、2016−8年)。
 「千夏」 いや、これで「せな」と読ませるのは、キラキラがすぎる。
 全員が全員というわけでもないが、ブラジル人F1レーサー、アイルトン・セナからの命名だろう。

フォト

 1988年、90年、91年、3度の世界チャンピオン。
 実況の古館伊知郎が「音速の貴公子」と呼んだ端正な風貌と圧倒的な強さから、日本でも絶大な人気をほこり、F1ブームの火付け役となった。
 その人生を追った2010年、英国作成のドキュメンタリー映画を見た。
 幼少期からカートレース時代の貴重な映像。
 F1デビューと、王者アラン・プロストらとのコース内外での激しいバトル。
 車両上のオンボード・カメラ映像は、エキゾーストノート(排気音)入りで、迫力ある。
 華々しい私生活と家族愛。
 そして、1994年、サンマリノ・グランプリ(以下GP)での衝撃の事故死。

 映像の中には、レポーター時代の岡田美里さん、フジテレビ中継の三宅正治アナ、今年1月に亡くなった今宮純さん、鈴木保奈美さんの最初の夫となる川井一仁さんら、懐かしい顔も多く見える。
 そう、年間16戦のF1の15戦目、鈴鹿サーキットで行われる日本GPは、つねに年間王者争いの舞台となった。
 1987年、セナは7位スタートから2位フィニッシュ。この年、ロータス・ホンダでチームメイトとなったのは、34歳にして日本人初のフル参戦F1ドライバーとなった中島悟。粘りの「納豆走法」で6位入賞、がい旋を飾った。
 ホンダのエンジンとともにトップチーム、マクラーレンに移籍した翌年、セナは、ポールポジション(予選1位)からのスタートに失敗し、後方の14位から1台ずつ抜いていき優勝、初の年間王者に輝くという伝説的なレースをした。
 面白くないのは、先輩王者で同じチームのアラン・プロスト。1989年の日本GPでは、レース終盤、年間ポイントの上位に立っていたプロストと2位セナの車両が接触、結果的に両者失格となり、プロストが年間王者となった。
https://www.youtube.com/watch?v=Fup5cODGwEw
 英国製のこの映画では、フランス人のFIA会長が、ルールの適用などで、同朋のプロストに肩入れしているように描かれている。
 ところが、翌1990年の日本GPは、スタート直後、年間ポイント上位のセナが、プロストと接触、双方リタイヤで、セナが王者となった(後に故意であると認めた)。

 これらの激闘を、古館伊知郎、三宅アナらが、面白く実況して盛り上げる。フジテレビの番組テーマ曲は、T−スクエアの「トゥルース」、聴けば誰でもわかるはずだ。
https://www.youtube.com/watch?v=FZaUPGjjA4c
当時の古館は、テレビ朝日のプロレス中継でのマシンガン・トークと大げさな比喩表現をF1中継に持ち込んだ。
 長いので冒頭だけでも。https://www.youtube.com/watch?v=wG4Aa8Endhc
 三宅アナも負けていない。1992年モナコGP、狭い市街地コースを抜群のテクニックで、英国人ドライバー、ナイジェル・マンセルに抜かさせず優勝した際の実況は、今も語り草である。https://www.youtube.com/watch?v=-o-QL2J_xtE
 そのころの日本。まさにバブル全盛期。ホンダ・エンジンが世界一となったF1の世界でも、ジャパン・アズ・ナンバーワンをおう歌していた。
 下世話な話だが、当時のF1スポンサー会社のオーナーや役員、フジテレビ幹部、広告代理店部長、そこそこ地位のある男性の多くは、レースクイーンさんを愛人にしている、そんな話を見聞きする時代であった。あるいは、東京で会うよりも、グアムやサイパンで誰それに会った、バブルオヤジ同士お互い若い女性を同伴していた。そんな「うらやましい」時代であった。
 本田宗一郎をレース界の父と慕うセナは日本に愛され、日本を愛した。
 ファミコンのレースゲームやセナのマンガ、テレビCMや「笑っていいとも」への出演、とんえるず石橋とのカート対決などを覚えている人もいるだろう。

 そんなセナに不運が忍び寄る。時代は、ドライバーの技術より、コンピュータ化された高速マシーンの性能によって勝敗を決するようになる。
 1994年、セナは、高速マシーンを求めて、マクラーレンからウィリアムズに移籍した。しかし、フランス人会長が今度は、その最新機能にストップをかける。
 安定性を欠いたままのマシーンに乗らざるを得なかったセナは、3戦目、サンマリノGPのカーブで、制御を失った車両ごとコンクリート壁に激突し、即死した。
 一般ニュースを伝えているのは、おぞましいあの人だ。
 https://www.youtube.com/watch?v=H8Pzm6mwuEY 

 事故死の無念を伝える三宅アナらの放送が、そのまま映画に使われている。
 もちろん、私も、この中継をリアルタイムで見ていた。人は、こんなにあっけなく死ぬものなのか。心にぽっかり穴があくとはこういうことだろう。
 その後も、F1は、ミハエル・シューマッハ、ルイス・ハミルトンら王者を生み出した。
 しかし、プロスト、セナ、マンセル、中島悟・・・
 男たちがおのれの技量と気持ちの強さで走り抜いたあのころの興奮はもうない。
 新型コロナ感染防止の外出自粛下、F1が、世界が、日本が、バブルの熱狂に沸いた映像を観たら、何もかもが、とても懐かしく思えた。
 アイルトン・セナ・ダ・シルバ 1960年3月21日生まれ、1994年5月1日死没。栄光と名声のすべてを手に入れた人生は、わずか34年だった。

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