小津安二郎監督の「東京物語」を YouTube で観られた。
無料で、しかもアマゾンスティックからTVで観た。
溝口健二監督の方が好きだったので、世界的に有名なのに小津安二郎監督作品は、正直初めて観た。
たぶん、幼い頃、映画が好きな親に連れられて、観ているのかもしれないが、幼ければ意味も判らずに忘れているのだろう。
最近、アマゾンプライムで観たのかYouTubeで見たのか混在してしまう。アマゾンプライムはシネマとして観やすく処理されているので、その違いはあるにはあるのだが。。。
1953年作品ということは、終戦から8年後の映画だ。
街並みはロケが多い。
部屋の中は一軒家を前後に開け放ち、セットとは思えないリアルな設定だった。
主役の笠智衆さんは、この時49歳で70歳過ぎのじい様の役、お顔にシワは見られないものの、違和感のない老人になりきっていた。杉村春子さんはそのじい様の長女役で、嫁に来た美容院経営の女房で、歯に絹きせずに言いたいことをはっきり言う、チャキチャキの下町のオバちゃんの役。
美しく光り輝く原節子さんは、じい様の戦地で亡くなった息子の嫁さんの役。
皆が東京に住み、両親からは独立しているのだ。
東武伊勢崎線、下町駅のホームから「かねがふち・うしだ」がワンカット映る。
と言うことは、このホームはほりきり駅なのか。全体が撮られていないので不明だ。
見晴らしの良い下町で、6本のオバケ煙突が東京を象徴するかの如く目に入る。
ビルなんてない。遠くに小さく国会議事堂まで見えた。
子供達がそれぞれ結婚し東京に転居、尾道から両親が遊びに来るという設定で、物語は始まる。
ばあ様はじい様になんでもハイハイと従順で、じい様は子供達ひとりひとり、未亡人の嫁さんにまで優しい言葉をかける。
こんな優しいじい様を中心に、健やかに育てられた子供達なのに。。。ね。
古い形の固定電話が各家庭にあり、皆がみぎれいな出で立ち、成功されたご一家の設定なのだろう。
明日のお米の心配をする事もないそれぞれの一家。。。。。
戦後8年でこんな生活ができていた人たちも居たのかな? 多少疑問にも感じながらも
ほんわかとする言葉のやりとりや所作に、かなり慰められた。
*今回初めて認識したこと。かねがふち駅がたまのい駅だと勘違いしていたが、東向島駅が玉ノ井駅だった。某書に、文人墨客は世間体をはばかり、たまのい駅を降りずに、隣の駅、かねがふち駅から某地域に遊びに行くのが常だった。とあったので。。。
1,000人以上居たと言われる遊女たち、いったいどんな生活をしていたのだろう。
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