mixiユーザー(id:5691043)

2018年12月24日18:33

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本日は・・・・・

本日は何故か心身ともに一日中ボーっとしている。気分が悪いとか、どこかが痛いとか、疲労感があるとか、夜更かししたと言う訳でもないのに、朝寝坊のうえ寝起きも頭脳不明瞭・思考迷走状態である。食欲も有るんだか無いんだか良く分からない気分で、朝昼パン+紅茶を漫然と口に入れているような気分である。
・・・・コレはいよいよ俺も老衰の兆しか?・・・・などと思いながら、ネットのニュースを見ていたらこんな記事が目についた、

>以前「老衰」、今「フレイル」(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181223-00010004-jij-sctch)

言葉にはイメージがある。「老衰」の言葉の”老”も”衰”もよほど痩せ我慢でも張らなければ、確かに一般的にはポジティブなイメージは無い・・・・「あなた、老衰ですね・・・」等と言われれば気分はよくなかろうし、”俺も老衰か?”などと自覚するのも決して将来に希望が湧いてくると言う物でもない。しかし、悪いイメージが有るからと言ってソレをカタカナ用語にかえると言うのは(前回の日記に書いた”徘徊”<->”一人歩き”より更に?)安易に過ぎるように思う。

フレイル…語源の"frail"を辞書で引くと”弱い”とか”ひよわ”とあるが、中には”意志薄弱”なんて言うのもあって、この言葉自身の英語圏でのイメージも決して希望がモリモリ湧いてくるような代物でも無い様に思われる。してみれば、”老衰”を”フレイル”に言い換えるのは、なじみの無い言葉で”誤魔化す”だけのことで、なんら実質的なメリットは無い様に思う。カタカナ用語で実態を誤魔化すことが”老衰”医療の重大事であるのなら、米国では"frail"を"rowsui"とでも言い換えれば宜しかろう・・・・と嫌味の笑い話が出来そうに思う。
人間の精神は事実の全てを冷徹に見極めて常に理性的に振舞うことができるほど強く(も、優しく)は無いことは明白ではあるけれど、外見やイメージに惑わされたり安易な言葉の言い換えで事実を誤魔化したりせず、世界の実相を見極める(努)力の弱さそのものこそが不当な差別や蔑視の根底にあることも同時に意識の端には残しておきたい。

・・・・・てなことを考えているうちに、少し頭のモヤモヤが晴れてきたような気がする。風呂にでも入って今晩一晩ゆっくり寝れば、明日はもう少し意識も明瞭になるような予感がする。

音楽
Bach : Die Kunst der Fuge, BWV 1080, Hesperion XX / Jordi Savall, Alia Vox. AVSA9718 A+B

サヴァールらしく色々な楽器を使って徹底的に古楽器演奏でやっているけれど、全曲聴くと演奏は意外に単調な気もする(決して聞くに耐えない・・・・と言うような酷い演奏じゃないけれど・・・・)。ヴァルヒャのようにオルガンだけでやっても単調にならない場合も有るし、アレコレ楽器を使っても単調になることもある・・・・つくづく「フーガの技法」と言うのはそれだけ底が知れない難しさがある。
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