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2018年11月17日13:40

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11月歌舞伎座・夜「法界坊」ほか

18年11月歌舞伎座(夜/「楼門五三桐」「文売り」「隅田川
続俤 〜法界坊」)



色欲・金欲、人殺し、なんでもござれ! 猿之助の「法界坊」


法界坊は、色欲・金欲、人殺し、誘拐、なんでもござれ! 歌舞伎屈指の汚れ役、破天荒な、破戒坊主を当代の猿之助が初めて演じる。最近では、二代目吉右衛門の法界坊、十八代目勘三郎の法界坊が演じられてきた。この劇評でも、何度か書いている。その法界坊像に、猿之助が、初役ながら、いわば「殴り込み」をかけてきた。いや、挑戦か。猿之助は、先達らの法界坊像に何を付け加えようとしているのか。今月の歌舞伎座、夜の部の目玉演目は、「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ) 〜法界坊(ほうかいぼう)」だろう。猿之助初役の法界坊、澤瀉屋型の「法界坊」である。私は、歌舞伎の「法界坊」は、今回含めて4回観ている。うち、播磨屋型の吉右衛門が2回。串田版という新作歌舞伎の十八代目勘三郎、そして、今回が、いよいよ、澤瀉屋型の猿之助に遭遇した。

実は、「法界坊」は、歴代の役者に愛された演目の一つであった。四代目市川團蔵、三代目と四代目の中村歌右衛門、三代目坂東三津五郎、四代目中村芝翫、六代目尾上菊五郎、*初代中村吉右衛門、*二代目市川猿之助、*十七代目中村勘三郎らの当り藝であった。それゆえに、それぞれの名前を引き継いだ役者たちは、家の藝として、「法界坊」を演じたがる。例えば、*印をつけた役者の後継者では、二代目吉右衛門も4回演じている。四代目猿之助は、今回初役で演じた。十八代目勘三郎は、勘九郎時代を含めて7回演じた。底抜けに明るい悪人の法界坊は、誰もが持っている人間の欲望をストレートに出したがゆえの「悪人の極み」という側面も強い。だから、役者は皆、演じたがるし、観客は皆、観たがる。

今回まで、私が3つの型の「法界坊」を見た範囲内での、途中経過の「結論」(とりあえずの、まとめか?)を先に述べてしまうと、澤瀉屋型の「法界坊」は、古典版の播磨屋型に以下の2つの要素を付加したという感じではないか。

法界坊の「単体」の幽霊の宙乗り。三囲土手で、法界坊だけが宙乗りをする。ただし、本舞台の上だけで、いつもの花道上空の宙乗りではなかった。これが、澤瀉屋の型、というのか。法界坊の宙乗りでは、二代目猿之助が得意とした。十八代目勘三郎も、本舞台の上で「合体霊」で、宙乗りしているのを私も観たことがある。今回、当代の猿之助も「単体」の幽霊の宙乗りには本舞台上でチャレンジしたが、合体霊の宙乗りではなかった。

野分姫の霊は、まず、種之助が演じ、途中で、猿之助に替わる、ということか。ただし、替わった後は、合体霊となり、外見は、おくみにそっくりになる、という趣向。法界坊の霊の方は、猿之助から合体霊となり、おくみ(尾上右近)そっくりに扮した猿之助が演じる。整理して書いているが、それでも混乱しそう。

大喜利「双面水澤瀉(ふたおもてみずにおもだか)」の演出。ここでは、男女の「合体霊」という二人分を一人が演じるユニークな幽霊が登場する。つまり、法界坊と野分姫の合体霊である。合体霊は合体してしまうと、おくみにそっくりになる、という趣向だ。これも、澤瀉屋の型という。

私が観た合体霊の比較をしておこう。

*吉右衛門の合体霊。
吉右衛門は、法界坊の衣装、法界坊の声は吉右衛門。野分姫の声は、黒衣の女形が、甲の声で代行した。双面のときも、立役・法界坊が主軸で、女形・野分姫は、口を動かさずに(人形浄瑠璃の人形と同じだ)、女形の黒衣に声を任せて、立役の地を滲ませながら演じていた。これが本来か。否か。

*勘三郎の合体霊。左半分が、顔も、衣装も法界坊。右半分は、顔も、衣装も野分姫。鬘は、一つに繋がっている。

*猿之助の合体霊。薄暗がりの中で、背中あわせになった野分姫(種之助)と法界坊(猿之助)が、背中合わせのまま、互いにすり足でぐるりと回ってみせた。初代市川猿翁は、亡霊が現れる場面では、舞台上に洞(ほら)のある大きな桜の木の作り物を置き、その洞の中から法界坊と野分姫の亡霊を「田楽返し」という手法で交互に見せていたというが、今回は、これに近い演出のように見えた。「田楽返し」は、大道具のひとつで、背景の書割の一部を切り抜き、上下または左右の中心を軸に回転させ、書割の背面を出す仕掛け。

荵売りに扮した要助とおくみ。隅田川の渡し守・おしず(雀右衛門)とともに、野分姫の菩提を弔う。すると花道からおくみそっくりの野分姫(猿之助)が荵売りとしてやってくる。ただし、中身は、おくみではなく、野分姫と法界坊の合体霊そのもの。霊は、野分姫と法界坊。外見は、永楽屋の娘・おくみ。それもパワーは法界坊より野分姫の方が強いようだ。

なぜ、法界坊は、野分姫を殺した加害者でありながら、法界坊自身と野分姫の両方の霊を持った双面の悪霊になり、それも、おくみそっくりの忍売りになって人々を悩ますのか。要助がキーパーソンらしい。要助は野分姫から見れば、吉田松若丸。おくみから見れば、店の手代の要助。双面(野分姫と法界坊の二重性)の悪霊は、忍売りに身をやつして、野分姫の霊は恋敵のおくみとそっくりな格好をしている。そのおくみそっくりの霊の半分は、法界坊というわけだ。合体霊は、内部で嫉妬の炎を燃やし続ける。それが、合体霊のエネルギーになっているようだ。

合体怨霊を吉右衛門が演じるというのが、大喜利「双面水照月〜隅田川渡しの場」(隅田川『双面水照月』)の趣向。本物の要助とおくみに襲いかかるのは野分姫の霊だが、法界坊の霊は、野分姫の霊に引っ張られているだけなのだろうか。野分姫に嘘をついて殺した下手人・法界坊は、死後も被害者の野分姫に引き摺られながら漂流して行く運命なのだろうか。

吉右衛門が法界坊を演じたのを私が観た時の、おくみの配役は、次の通り。
97年、松江時代の魁春。14年、芝雀時代の雀右衛門。いずれも、歌舞伎座。

勘三郎が法界坊を演じたのを私が観た時の、おくみの配役は、05年、扇雀。やはり、歌舞伎座。

猿之助が今回、荵売りに扮した合体霊では、ニセおくみを猿之助自身が演じる。本物のおくみは、尾上右近。松竹の上演記録掲載の配役一覧は、便利だが、ニセおくみの配役は、載っていない。普通に考えれば、法界坊役者が配役されている、ということだろう。

贅言;吉右衛門も勘三郎も、大喜利は、皆、「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」という外題である。澤瀉屋のみ「双面水澤瀉(ふたおもてみずにおもだか)」。戦後しばらくは、「双面荵姿絵(ふたおもてしのぶのすがたえ)」という外題で上演されることがあった。それぞれ違いがあるのだろうが、今は、未調査。

澤瀉屋の演出。私の座席の関係もあるが、良く判らない部分があったように思う。法界坊と野分姫が合体した霊は、既に述べたように、外見はおくみそっくり。ダーティな破戒僧の法界坊と可憐な町娘を踊り分ける巧さが求められる。演奏も舞台下手の常磐津と上手の御簾内で出語りする竹本との掛合いである。今回は、重々しい、大声の東太夫が法界坊を、優美な常磐津連中が野分姫を分担する形で表現した。

吉右衛門の「法界坊」は、いわば、古典版。吉右衛門自身は、14年9月歌舞伎座までに4回演じている。前回の興行時には、年齢的にも、体力的にも、最後の上演かな、という吉右衛門(74)のつぶやきが聞こえてきた。ということは、前回が、「一世一代」(普通は、演じ納め。演目引退)なのか、あるいは、次回、正式に「一世一代」という看板を掲げて、演じ納めをすることがあるのかどうか。それにしても、播磨屋型の「法界坊」は、誰が引き継ぐのか、興味深い。

私は勘三郎の「法界坊」を13年前、05年8月歌舞伎座で観ているが、これは串田和美演出で、いわば、「串田版法界坊」、つまり新作歌舞伎版ということになる。勘三郎は、その後、08年浅草、09年名古屋、10年大阪、12年浅草、いずれも「平成中村座」という大仕掛けのテント小屋で、「串田版法界坊」の上演を続けて、12年12月に逝去してしまった(初演は、平成中村座の00年11月の浅草で、その後、大阪、ニューヨークを経て、私が観た05年歌舞伎座の納涼歌舞伎上演となる)。


これまでの印象として、「芝居の本筋から言うと、播磨屋型、吉右衛門の法界坊の方が、おもしろかった。十七代目勘三郎の串田版、法界坊は、新作歌舞伎らしい奔放さで、勘三郎のキャラクターに合わせ過ぎていて、おもしろいことはおもしろいが、本筋の法界坊ではないと思った」と、私は前回の劇評で書いている。

ならば、澤瀉屋型、猿之助の法界坊は、どうであろうか。見終わった印象論で述べれば、勘三郎とは違うが、猿之助のキャラクターに合わせているのではないか、と思う。まあ、いずれにせよ、場面を追いながら、今回の舞台、澤瀉屋型の法界坊の宙乗りなどを観てみようではないか。

芝居の主筋は、京の公家・吉田家が、朝廷から預った掛軸「鯉魚の一軸」を紛失(実は、吉田家の反対派が、盗んだ)したため、家名断絶となったことから、嫡男の松若丸がお家再興を願い、東国に下り、江戸の道具屋・永楽屋の手代・要助(隼人)に身をやつしながら、古物として販売されてしまったらしい「鯉魚の一軸」を探す物語だ。家宝探索という、歌舞伎では、よくある話。

法界坊は、物語としては副筋だが、芝居では、特異なキャラクターを生かして主筋となる。要助と恋仲の永楽屋の娘・おくみ(尾上右近)、都から許嫁の松若丸を追ってきた野分姫(種之助)が、要助とおくみに絡んで行く。三角関係。これもよくある話。

今回の「法界坊」の場の構成は、次の通り。
序幕第一場「向島大七入口の場」同 第二場「大七座敷の場」同 第三場「向島牛の御前鳥居前の場」同 第四場「向島三囲土手の場」大喜利「隅田川渡しの場 浄瑠璃『双面水澤瀉』」となる。

序幕第一場「向島大七入口の場」。
「鯉魚の一軸」の現在の持ち主、大阪屋源右衛門(團蔵)が、向島の料理屋「大七」にやって来た。そこへ来合わせた代官の牛島大蔵(吉之丞)と出会う。牛島大蔵は、「鯉魚の一軸」を吉田家から盗み出した反対派の一味。要助、こと松若丸の命を狙っている。牛島の手先になっている源右衛門は、おくみに横恋慕しており、おくみとの結婚を条件に、おくみの母親・おらく(門之助)に掛軸を百両で譲ることにする。大七の前で、源右衛門は、おらくに「鯉魚の一軸」を手渡す。おらくは、同行していた要助、実は松若丸(隼人)に掛軸を預ける。おくみの気持ちを承知しているおらくは、大阪屋源右衛門に金は払っても、おくみを嫁にやるつもりはない。

花道から法界坊(猿之助)登場。浅草聖天町に住む法界坊は、釣鐘建立の勧進をしている。勧進で集めた金を女道楽や飲み食いに使ってしまうような生臭坊主。法界坊もおくみに横恋慕している。大七の前で、牛島に出会う。法界坊と牛島は旧知の仲。牛島から事情を聴き、手先となる。牛島が立ち去り、出会った永楽屋の番頭(弘太郎)を一味に引きずり込もうと、番頭とともに、法界坊は、大七に入って行く。さらに、松若丸の行方を探す野分姫(種之助)一行も、大七に入って行く、ということで、ここは、登場人物の紹介を兼ねた伏線案内のような場面。

序幕第二場「大七座敷の場」。
大七で野分姫(種之助)一行は、早々と要助、こと松若丸(隼人)と再会する。「鯉魚の一軸」の所在も判り、百両という資金繰りさえ、目処がつけば、吉田家再興も叶うと言い合い、後日の再会を約する。

要助と野分姫のやり取りを窺っていたおくみ(尾上右近)は、嫉妬して、立腹。ふたりは痴話喧嘩へ。要助は、以前、おくみに書いた文を投げ捨ててしまう。要助は、大事な「鯉魚の一軸」を脇に置いたまま、痴話喧嘩に集中する。そこへ、奥から部屋に忍び込んできたのが法界坊(猿之助)。法界坊はおくみの文を拾うとともに、要助の脇に置いてあった掛軸を盗み取り、部屋に掛けてあった別の掛軸とすり替える。

法界坊が、忍び足で奥へ消えると、上手から部屋に忍び込んできた大阪屋源右衛門(團蔵)が、さらに、その掛け軸と部屋の床の間に掛けてあったもう一つの掛軸と取り替える。こういう侵入者の動きに全く気付かずに要助とおくみの痴話喧嘩は続く、ということで、正に、荒唐無稽な笑劇(チャリ場)。

さらに、永楽屋の番頭(弘太郎)が要助に百両を貸し、証文を書かせるが、これが、後に仕掛けられる悪巧みの罠。番頭のおくみへの口説き。法界坊の再登場、番頭を追い出してのおくみへの口説き、法界坊が書いた付け文の手渡しなど、笑劇の伏線が続く。おくみは法界坊の付け文など、門の外へ投げ捨ててしまう。花道から道具屋の甚三(歌六)が登場。おくみが投げ捨てた法界坊の付け文を門の外で見つけて拾う。おくみの文と法界坊の付け文。小道具は、いずれも伏線。主立った登場人物も、やっと揃う。

法界坊が、要助、おくみを連れ出し、ふたりの仲を質す。番頭は、要助に金を返せと迫る。窮地に追い込まれる要助。甚三が仲裁に入る。法界坊が拾ったおくみの文、甚三が拾った法界坊の付け文をすり替えて、甚三は、要助とおくみの窮地を救う。番頭の持っている要助の証文も丁稚(市川猿)の機転で燃やしてしまい、要助は窮地を逃れる。こうして改めて粗筋を追うと、この芝居のバタバタした笑劇の様子が良く判る。とにかく、エピソード過多の状態が続く。

序幕第三場「向島牛の御前鳥居前の場」。
上手奥に鳥居。上手から登場した番頭は、おくみを攫おうと駕籠を用意して、待ち伏せをしている。鳥居奥から法界坊が現れ、番頭に盗んだ掛軸を渡す。上手からやって来たおくみを捕え、番頭は無理矢理おくみを縛り、猿轡を噛ませ駕籠に押し込む。駕籠全体を縄で縛る。番頭が駕籠かきを呼びに行く間に、法界坊は通りかかった道具屋の葛籠を奪い、駕籠のおくみを葛籠に押し込み直し、駕籠には気絶している道具屋を乗せて、駕籠を縄で縛り直す。戻って来た番頭は、道具屋も駕籠から転げ落ちたのも知らずに駕籠を担いで行く。荒唐無稽な芝居は続く。


消えた「しめこのうさうさ」


21年前、97年9月、歌舞伎座で観た奇妙な場面が、なぜか印象に残っている。吉右衛門の法界坊を初めて観た時だ。第三場「向島牛の御前鳥居前の場」。番頭や法界坊が駕篭を縄で縛り、「こうしてしまえば、〆子(しめこ)のうさうさ、締めたぞ締めたぞ」と唄い出す。「〆子(しめこ)」は、「しめた」「しめしめ」という意味で、「〆子のうさ(ぎ)」は、「兎を絞める」という意味と掛けた地口(じぐち)。物事が、思い通りにいった時に使う。作戦が巧く行き、「しめしめ」と喜んでいるのである。小悪党が、喜んで使いそうな地口といえる。この「〆子のうさうさ」は、その後も、駕篭の場面で、パロディとして使われ、さらに、法界坊によって、おくみの代わりに駕篭に入れられた道具屋が、駕篭から抜け出し、置き忘れた桜餅の籠を駕篭に見立てて、この地口を使う場面さえある。番頭、法界坊、道具屋と何回も唄われる「〆子のうさうさ」は、瑣末な場面なのだが、なんとも印象的だったのだが……。今回は、なかったな。

序幕第四場「向島三囲土手の場」。
第三場「向島牛の御前鳥居前の場」から第四場「向島三囲土手の場」の場までで、殺される人たちを記録しておこう。

大阪屋源右衛門は、おくみに横恋慕していて、恋敵の要助の吉田家再興も阻止するべく「鯉魚の一軸」探索を妨害する。鳥居前。偽の掛軸ながら要助の前で、源右衛門が一軸を破るので逆上した要助に殺される、ということだが、実は、源右衛門は暗闇で法界坊に斬り殺されてしまう。

野分姫は、法界坊によって、要助、こと松若丸がおくみとの恋の邪魔になるから、姫を殺して欲しいと頼まれたと嘘をつかれたのを真に受けて、松若丸への恨みを飲み込んだまま、三囲土手で法界坊に殺されてしまう。

その法界坊は、自分に妨害する者を落とし込むための穴を三囲土手に掘っている。掛軸を巡って甚三との争いとなり、法界坊は、誤って自分が落とし穴に落ちてしまう。這い上がって来たが、掛軸を甚三に奪われたので、甚三に打ちかかるが、元中間で武道の心得もある甚三に討たれてしまい、本格的に穴に埋められてしまう。


大喜利「隅田川渡しの場 浄瑠璃『双面水澤瀉』」。
この場面は、薄汚い法界坊を演じていた猿之助が、一転して、綺麗で可憐なおくみを演じるというところが見せ場。たっぷりと女形・猿之助の魅力を堪能させる。一方で、話の筋は、相変わらず判りにくい。

なぜ、法界坊は、野分姫を殺した加害者でありながら、法界坊自身と野分姫の両方の霊を持った双面の悪霊になり、それも、おくみそっくりの忍売りになって人々を悩ますのか。

法界坊のキャラクター。明るいが殺人者というのが、法界坊の持ち味。滑稽味と小悪党。このキャラクターをどう演じるか。破戒僧に留まらず、殺人鬼になってしまった法界坊でありながら、なぜか、三枚目風の、憎めないキャラクターになっている。

吉右衛門の法界坊。この憎めない悪人キャラクターを、どう演じるか。立役の吉右衛門は、ひょんなことから、殺人鬼になってしまった法界坊を善人の成れの果てのように演じた。双面のときも、立役・法界坊が主軸で、女形・野分姫は、口を動かさずに(人形浄瑠璃の人形と同じだ)、女形の黒衣に声を任せて、立役の地を滲ませながら演じていた。これが、本筋の双面だろうと思う。

勘三郎の法界坊。亡くなった十八代目勘三郎は、普段から立役も女形も演じる「兼ねる役者」であるから、女形の野分姫を演じても、女形の黒衣を使っても、立役の地を滲ませることができない。むしろ、普通の女形になっている。それが、勘三郎の普通の姿であろう。どちらが、良いとか悪いとかいうことではないが、これは、吉右衛門と勘三郎の持ち味の違い。ただ、「法界坊」という芝居の本筋から見ると、吉右衛門の立役を軸としながら、法界坊を演じ、双面でも、立役を滲ませながら、女形を演じるという趣向の方が、より古典に適切だろうと思うだけだ。勘三郎は、「隅田川続俤」としての「法界坊」より、串田版「法界坊」という新作歌舞伎を演じているのだから、それはそれで、勘三郎の持ち味の法界坊ということだろう。

猿之助の法界坊。法界坊は薄汚い。合体霊は、法界坊と野分姫だが、見た目は、可憐な美人おくみ。本物のおくみ(右近)と美しさを競い合う、という場面だ。

十八代目勘三郎の巧さは、明るさの表現だったろう。いまの歌舞伎役者で、勘三郎ほど、「明るい悪」を演じるのが巧い役者は、あまりいない。特に、双面で、法界坊と野分姫の鬘ふたつをひとつに繋げて演じる「宙乗り」は、まさに、双面。顔の左右の化粧が違うのだ。勘三郎のキャラクターにぴったりだった。この場面は、場内が沸きに沸いたのを覚えている。今回の猿之助の宙乗りは別の場面で、法界坊の幽霊だけ。長い裾を引きずった宙乗りも中途半端であった。

法界坊の外題は、「隅田川続俤」。能の「隅田川もの」としての繋がりゆえに「続俤(ごにちのおもかげ)」の2文字を外題に入れ、隅田川伝説の後日談の趣向とした原作者の奈河七五三助(しめすけ)。吉田家のお家騒動。人買いに攫われた梅若・松若兄弟と子どもを探して狂ってしまうほどの母親の愛情物語の梅若伝説。「法界坊」「忍ぶの惣太」「清玄桜姫」なども、「隅田川」に絡むので、法界坊と野分姫の双面も、清玄桜姫のバリエーションとも言える。喜劇化した清玄が、法界坊か。都から下ってくるときに野分姫が扮する「荵(しのぶ)売り」も、「忍ぶの惣太」と絡むし、「お染久松」の荵売り「垣衣(しのぶぐさ)恋写絵」も絡む。下塗り、上塗り、幾度も塗り替え、自由闊達、換骨奪胎、破れたら、張り替え。毀れたら、補強。歌舞伎の狂言作者たちの、工夫魂胆、逞しい盗作、江戸時代の歌舞伎の根本である「模倣の精神」を見るようだ。


歌舞伎界の重鎮の「楼門五三桐」


歌舞伎座夜の部、最初の演目「楼門五三桐」は、人間国宝同士の菊五郎と吉右衛門。菊之助の息子、寺嶋和史のおじいちゃん同士の共演でもある。一幕ものとして私が観るのは、4回目。菊五郎、吉右衛門のコンビは、3回目。上演時間が14分の短い芝居だが、歌舞伎界の重鎮のふたりが、役者ぶりをたっぷりと見せながら、歌舞伎の絵面としての様式美も堪能させてくれる。
贅言;浅葱幕振り落しの前に、大薩摩の東武線太夫、実は、長唄の鳥羽屋三右衛門、三味線方の杵屋五七郎で、音楽の荒事と言われる大薩摩の演奏があった。


雀右衛門の「文売り」


「文売り」を観るのは、2回目だが、前回は、22年前、1996年10月の歌舞伎座で、文売りのお駒は、七代目芝翫だった。当代の芝翫の父親で、真女形だった。この時期、私はまだ、劇評の記録を残していなかったので、今回が初登場である。

1820年、文政3年、江戸多摩川座初演。「花紅葉士農工商」のうち、「商」の部の舞踊、三代目三津五郎が演じた。逢坂の関の関守の前で、士農工商の人々が、それぞれ「芸尽くし」をして、関所を通してもらうという趣向だったという。

「文売り」は、懸想文売り。恋文に似せた祝言の文章を書いたお札を売っていたという。「こもち山姥」の八重桐の「しゃべり」を取り入れた趣向から、八重桐同様の帽子付の鬘に紙衣の衣装になった。清元の語りに乗って、懸想文を結いつけた紅白の花咲く梅の枝を持って登場する。遊郭の遊女の様子を清元としゃべりで物語る風俗舞踊。文売り、お京は、雀右衛門。
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