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2018年12月13日16:48

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11月の。

11月に観たのは『スターシップ9』『ボヘミアン・ラプソディ』『ラスト・スペースシップ』の3本。

●『スターシップ9』
小さな移民船に乗り、制御コンピュータのレベカと2人で移民先セレステに向け宇宙を旅するエレナ。或る日、酸素供給システムが故障し、修理人としてアレックスが派遣されて来る。初めての、束の間の、他人との接触。やがて修理は終わり、アレックスは立ち去るが……。
「……ん?」て思うでしょ。修理人は何処から来たの?て云う。だから宇宙船じゃないってのは映画内で明示される前に早期に判る。それだけでなくイロイロ不自然だから。でもそれはこの映画の導入部なので判って仕舞ってもいいのでしょう。きっと。知らんけど。菅浩江の『雨の檻』を思い出したな。
ずっと宇宙船の中で育って居るエレナ。地球での生活、宇宙船の『外』の経験がないエレナ。そんな彼女を『モニター』にする意味はあるの?て少し、思ったな。精神的なアレコレは、地球の日常を知ってると知らないとじゃ全く違うのに。大人の志願者を集められなかったから仕方なく……なのかしら。
取り込まれオチも、まぁ仕方ないと思うのだけれど、てのはつまり映画がそう作られてるからだけど、でも釈然とはしないな。え?それで君はいいの?的な。まぁ綺麗な終わり方ではあると思うけどさ。
このテの映画なら冒頭に必ずと云っていいほど映る『宇宙を飛ぶ宇宙船の外観』の映像がなかったのはまぁ映画の約束事として『映像で嘘はつけないから』なのだろうけど、それは同時に宇宙船内の閉塞感を高めて居たようにも思う。それが何処まで意図的なのかは判らないけど、この映画には合ってたな。
初めて『外』に出たエレナ、彼女の視点である『キラキラふわふわする映像』も何か、良かったな。浮かれてて不安定で非現実的で。僕らにとってはただの森でもエレナにとってはそうなのだよね。映画で見た、映画でしか見れないと思ってた風景。それを呼吸出来ただけでもまぁ、救いではあるのかな。
あぁアト彼女の『両親』。死んだハズの。プロジェクトからの脱走者である娘に対する父母の対応の違いが興味深かった。通報しようとする夫を殴り倒す妻。遺伝子を提供しただけであっても母親は母親。
映像の硬質さと話運びのストイックさ、キャラの存在に伴う空気感、みたいなのが何かちょとだけ『私が、生きる肌』を思い起こさせると思ったらスペイン映画なのかコレも。そう云うの、あるのかな。

●『ボヘミアン・ラプソディ』
コンプレックスを抱えつつ空港で働いて居たフレディが、メンバーが抜けてバンドが頓挫したばかりのブライアンたちと出会い、一緒に演り始めてから、エイドの演奏までを駆け抜ける2時間半。歌手フレディ・マーキュリーの鮮烈な人生。
まさに『駆け抜けた生涯』と云う形容がピッタリ来る映画の疾走感。2時間半が短く感じる。それで居て彼の孤独感や苦悩にもキッチリ踏み込んで丁寧に描き切ってると感じる。ラスト、エイドの演奏を終えたトコロでストップモーションになる、其処で映画内の時間が止まる、カッコイイけど切ない。
僕は彼らのコトは殆ど知らない、その音楽しか知らなくて、それでも、いや『だからこそ』かもね、こう云う流れであの名曲が、みたいなのは、まぁ作為や演出がてんこもりに入って居るとしても血が燃えるし、楽しい。『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のくだりとかバンドの雰囲気もまぁ、面白かったし。
それは『事実とは違う』のかも知れないけど、でもバンドメンバーも製作に参加して居るみたいだし、その上でもし違うのであればそれは意図的なモノ、この作品に必要なウソなのだろうね。『事実よりも真実を伝えるウソ』て云うモノはあるし。記録映像ではなく『映画で創った』コトの意味て云うか。
歌詞がね。映画を観るとフレディの境遇や心境とマッチしてるように思えて来る。てのはまぁ、映画がそう創られて居るからだと思うのだけれど、それでもね。エイドでの『ボヘミアン・ラプソディ』、皆を残して自分は死んでゆかなくてはならない、て云うクダリなんかホントに胸が締めつけられる。歌の後ろには生きた人間が居る、て云うアタリマエの事実。ともすればそれを忘れがちではあるのだけど。
厳格な父は彼の活動をずっと快く思って居なかったのだけれどラスト近くで和解する。この流れはほっとしたな。あと脇役の中では、バンドと離れたフレディの傍で外界の情報をシャットアウトして居たマネージャ的な彼、が気になったな。天才を独占したかったのか、フレディ自身を独占したかったのか。
シィンとしては、AIDSの診断を受けて病院の廊下をひとり戻る彼。椅子に座ってる恐らく同じ病気であろう肩を落とした若者が彼に気づき「エーオ」と控えめに歌う。かつてライヴでやったように。そして彼も「エーオ」とだけ、返す。コレがとても印象に残ってる。他にコトバは要らない、歌の持つ力。
応援上映だったのね。狙ったワケじゃなくて内心(えー?)だったのだけど、でも誰も声出してなかったな。まぁ空いてたってのもあるけど。僕はとにかく圧倒されて呼吸すら忘れてたくらい、観終わってもしばらく指が震えてたくらいでアレで声を出せるヒトが居たらスゴイなと思ってたのだけど。
バンドモノ、音楽モノてコトで『グレンミラー物語』と『バック・ビート』辺りを思い出したのだけどまぁ、コレは音楽だけじゃなくて主役が死んで仕舞うって云うモノ寂しさ辺りからなのだろうなぁ。

●『ラスト・スペースシップ』
米中の核戦争で地球環境は完全崩壊、生き残った僅かなヒトたちは宇宙船で移住先の星を探すもリストの惑星は次々と潰えて。人類の最後の希望となったペガサス号は、目的地の星の手前に応答なく浮かんで居る中国船を発見、乗り込むが……的な。
メアリー・セレスト号のような中国船。見つけた生存者は小さな子供が1人だけ。コトバは通じない……。宇宙を舞台にしたパニックホラーだと思い込んで居たので『目的の星にも住人が居て、滅びかかって居て、地球人の肉体を奪って脱出しようとしてる?でも船の操縦の仕方が判らない?今度は大人を乗っ取ろうとしてる?でもなぁ』とかイロイロ考えて居たのですよ。それが実はミステリだったと云う衝撃。
まぁ冷静になれは割かしよくあるコトだけど、すっかりホラーのつもりで観てたから「あ。コレ謎解きだったのか」て気付いたのは犯人が明かされてからでしたよ。うん、考えてみれば宇宙船は究極の密室、嵐の山荘だしね。面白かったかどうかで云えば面白かった方なのでいいか。ジャンルは何だって。
真相が判ってみればこんな人類が滅びるかどうかの瀬戸際でさえ、自分の死が間近であると云う極限でさえ、恨みを忘れるコトの出来ない悲しさが浮き上がる。でもまぁ、仕方ないよね。それが人間。
ツッコミどころは幾つかあるけどまぁ、目をつぶりましょう。オチも定番ではあるけれどそれなりに感動的ではあったしね。「私たちの生存確率は?」「ゼロです。おめでとうございます」のやり取り。
『中国船の殺人鬼』は、なぁ。微妙だったな。重要なミスリード要素なのは判るけど、それと同時に物語の中では不純物、雑味になって仕舞ってるのだよね。少しだけ。どうせなら中国語を理解出来るのが『彼』だけって設定をもっと生かして殺人鬼の存在自体を彼の捏造にしちゃえば……とも思った。
ライラと仲良かったピートが彼女に云った「ピートはいつも君に本当のことを話す」を、死の間際もちゃんと守ってたのが泣かせる。それとエドワードね。憎まれ役ぽかった彼だけど彼の主張は一応『正論』なのだよね。まぁ、殆どは。マイクと酒を飲みながら映画観てたシィンは、うん、よかったな。

●●●
月間賞はもう文句ないでしょう『ボヘミアン・ラプソディ』に。
タマシイを殴りつけられました。
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