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2018年10月26日10:04

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最近、思ったこと。part0040

 〔緊急連載〕ロシア東欧史概論対露アウトライン・ダイジェストその14{かっ飛びつまみ食い編その12}。やる事山盛り。チャッチャと片付けよう。実は今、また新しい「課題」が俺の頭に舞い降りてきて、悩んでいる(-_-;)。「上野千鶴子」叩かなきゃどーーにもならんぞ(怒)。


上野千鶴子は「支離滅裂発言」を撒き散らすだけの典型的な「カス学者」

だが、

同時に現代日本における最高の「政治的」成功者である


と、みんな判ってない(激怒)!その立ち位置は「能力」を悶絶「ディスカウント」した丸山真男に良く似ている。現代的「日本フェミニズム」は「女アナーキスト(ヤクザ)」の養成機構であり、その悶絶「悪影響」は皇室問題にしろ、相続問題にしろ、教育問題にしろ、筆舌に尽くしがたし(-_-#)。「フェミニズム退治」なんて実は簡単なんだよ、「マルクシズム」特に「レーニズム(レーニン主義)」を導入すればすぐ「消え」る、4〜5ヶ月で「物理的」にね(黒笑)。


「フェミニズム」とは「男」を底に追い込むための「女アナーキスト」の「自爆テロ」


に過ぎない(怒)。いいかげんわかれや「馬鹿おんな」共(激怒)!これから上野に限らず「悶絶能無し」のフェミニズム系「女学者」を順次俎上に乗せていくけど、この作業もの酷くイライラする(-_-#)。酷い「隠蔽」と「歪曲」と悶絶「ペテン」のオンパレードで、吐き気が止まらなくなる(ToT)。はーーーー、だが、今やフェミニズム官庁・男女共同参画局等が主管する


フェミニズム関連予算は年間10兆円以上だぞ(激怒)!


「糞フェミニスト」共が男女を問わず俺たち「日本国民」に「増税」し、そして「社会解体」を強いているのさ(-_-#)。これを素通りして「財政再建」だ「自由経済」だって抜かすリバータリアンはじめ「偽装保守」・「偽装リベラル」のアナーキストが多いけど、いい加減にしてくれ(怒)。これほっぽっといたら


笊に水(激怒)!


ふーーーーーー、くそ、始める前から疲労感極大だよ(ToT)。えっと、何処まで言ったんだけっけ?そうそう、簒奪者・クビライが送ったバラク・アカが自立してイランに攻め込んだけどアバガ・カンに返り討ち食らってカイドゥ・カンに暗殺されたってとこまでだったな。直前のチャートは以下の通り

           ・
           ・
           ↓
62、アリクブケ・カーンの降伏後、オゴタイ家の棟梁カイドゥ・カンが簒奪者クビライに対してエミルにて挙兵。
           ↓
63、クビライは事態収拾のために中央アジアを押さえるチャガタイ家の本拠地イリ渓谷に代理人のバラク・アカを送り込む。
           ↓
64、バラク・アカはチャガタイ本家のムバラク・シャーの権力を簒奪。カイドゥ・カンとジュチ・ウルスの代表者とタラスで会盟し、本来大カーン直属の要衝マーワラーアンナフル(シル川とアム川の間の大オアシス地帯・現ウズベキスタン)を3家で分割しチャガタイ汗国を建国。
           ↓
65、バラク・アカは40000騎の大軍を率いてフレグ・ウルスに進攻するもフレグ・ウルスのアバガ・カンに撃破され、直後にカイドゥ・カンに暗殺される。
           ↓


ここから始まるのが一般に「カイドゥの乱」と呼ばれる中央アジアを舞台とした「西モンゴル帝国」と東モンゴル帝国つまり「ダイオン(大元)・イェケ・モンゴル・ウルス」通称「ダヤン・ウルス」との対立と「抗争」なのだが、イデオロギー的封鎖もあってヒジョーにわかりづらい。しかも、


モンゴル帝国の「東西分裂」と東モンゴル帝国(ダヤン(大元)・ウルス)による「チャイナ併合」


という二つの世界史的事件がほんとーに「同時進行」的に重なって進むのだから厄介だ。具体的には1260年〜1280年までの20年間だ。頭がこんがらかる(ToT)。簡単に年表を掲げておこう。


1259年   モンケ・カーン戦死。アリクブケ・カンがクリルタイ召集。

(東)1260年 クビライ・カンが内蒙古で違法即位しカーンを僭称。

1260年   驚いたアリクブケ・カンが召集したクリルタイで急遽第5代大カーンに即位。

(西)1261年 フレグ・カンがイランでフレグ・ウルスを建国、ジョチ・ウルスの指揮官を皆殺しにする。

(西)1262年 指揮官を皆殺しに怒ったジョチ・ウルスのベルケ・カンがフレグ・ウルスに攻め込む。

(東)   同年 アリクブケ・カーンがシムルトゥ・ノールの戦いでクビライ本営を強襲するも敗北する。

(西)1263年 アリクブケ・カーンが裏切ったアルグ・カンを追い出しチャガタイ家の本拠イリ渓谷を占領。

1264年   イリ渓谷に疫病が発生し、アリクブケ軍が空中分解。簒奪者クビライに大カーン降伏。

(西)   同年 フレグ・ウルスでフレグが急死、クビライ・カーンの命令でアバカ・カンが当主につく。

(西)1265年 フレグ・ウルス遠征中にベルケ・カンが陣没し、クビライ・カーンの命令でモンケテムル・カンが当主に就任。

(東)1266年 オゴタイ家のカイドゥ・カンが簒奪者クビライに反旗を翻す。

(東)   同年 クビライの4男ノムガンが北平王としてカラコルムへ進駐する。

(西)   同年 チャガタイ家の当主アルグ・カンが急死、クビライ・カーンの命令でムバラク・シャーが当主に就任するも、クビライが補佐に送り込んだバラク・アカがチャガタイ家をのっとる。

(東)1267年 クビライ・カーンが帝都をカラコルムからダイドゥ(大都、現北京)に遷都する。

(東)1268年 クビライ・カーンが南宋進攻作戦を開始、襄陽・樊城を囲む。

(西)1269年 カイドゥ・カン、バラク・アカ、モンケテムル・カンの大叔父ベルケチェルがタラスにて「会盟」し、大カーン直属の要衝マーワラーアンナフル(シル川とアム川の間の大オアシス地帯・現ウズベキスタン)を3家で分割し、チャガタイ汗国を建国する。

(西)1270年 バラク・アカが「東の分邦」フレグ・ウルス殲滅のためイランに攻め込むがカラ・スゥでアバカ・カンに大敗しする。

(西)1271年 バラク・アカが急死、カイドゥ・カンが遺児ドゥアと結んでチャガタイ汗国を乗っ取りカイドゥ汗国を建国。

(東)   同年 クビライ・カーンが東モンゴル帝国・ダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス(ダヤン(大元)・ウルス)の建国を宣言。

(東)1273年 襄陽・樊城が陥落。守将・呂文煥が降伏する。

(東)1274年 南宋制圧作戦の側面支援のために大元・高麗連合軍が日本に侵攻(怒)。

(西)1275年 クビライ・カーンの命令で北平王ノムガンがチャガタイ家の本拠イリ渓谷へ侵攻。首都アルマリクを占領する。

(東)1276年 クビライ・カーンの命令で左丞相バヤンが南宋に侵攻、首都・臨安陥落。

(西)1277年 モンケテムル・カンの示唆でイリ渓谷のノムガン軍でシリギによるクーデター発生。ノムガンと右丞相アントンが反乱軍に捕囚され、ジョチウルスに移送される。

(東)   同年 大元軍がミャンマー侵攻開始。

(東)1279年 崖山の戦いにて南宋艦隊壊滅。南宋亡命政権滅亡。

(西)1280年 モンケテムル・カンが死去。捕囚されていたノムガン、アントンが釈放されダヤン(大元)・ウルスに帰国。

(東)1281年 南宋の残軍処理のために日本へ軍事侵攻(怒)。南宋残軍九州にて全滅。

(西)1282年 後ろ盾を失ったシリギらが北伐してきた左丞相バヤンに降伏。


ってとこか。(西)が「東西分裂」で、(東)が「チャイナ併合」にきれーーになってるだろ?日本侵攻はミャンマー侵攻と「対」になった東モンゴル帝国の降伏した南宋残軍の「棄民」だったことがよく判る(怒)。もう一度言うぜ、モンゴル軍事文化で存在できるのは武官と文武権任官だけだ。それ以外は


家畜と奴隷とその他(庶民)


に分類され、可能な限りその他(庶民)→奴隷→家畜の順に「貶め」られていく(怒)。日本に送られた南宋残軍は弱なりといえども武人だったから家畜・奴隷にできない「いらないその他(庶民)」として「海中投棄」されたのさ(-_-;)。そして、「全滅」した(怒)。ほとんど計画的にね(-_-#)。


みんな、どんな「連中」と戦っているのか少しはわかった(黒笑)?


これからの日本では「ネオ元寇」ともいうべき事態が急速に進むだろう(-_-#)。止め様としている者のはゼロ、反発している者はゼロ、気付いているものさえほとんどゼロ、本気で警告しているのは俺を含めてほんの数人だ(-_-;)。気が滅入ってきた。項をを改めることにするよ。はーーーーーー。とほほ。




おまけにみくしー検索かけてみました。

「フェミニズム」


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