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2018年07月25日12:50

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海老蔵版「源氏物語」はスーパー歌舞伎

18年7月歌舞伎座(夜/通し狂言「源氏物語」)


海老蔵版「源氏物語」は、スーパー歌舞伎


通し狂言「源氏物語」は、新作歌舞伎。今月の歌舞伎座は、昼の部も夜の部も、早々と満席、全席売り切れ、となった。昼の部同様、「源氏物語」としては、異例の「海老蔵宙乗り相勤め申し候」、と謳う。「宙乗り」をキーワードに、演出は、映像も音響も駆使してのスーパー歌舞伎である。

歌舞伎の「源氏物語」を私が観るのは、6回目。95年9月(新作舞踊劇「夕顔の巻」)、2000年(瀬戸内寂聴訳に基づく大薮郁子脚本)、01年(「末摘花」)、03年(「浮舟」)、11年(「浮舟」)、18年(今井豊茂作)。このうち、11年のみ、新橋演舞場。ほかは、すべて歌舞伎座で観た。

さらに、新之助時代を含む海老蔵の舞台で私が観たのは、00年5月歌舞伎座と今回の2回である。18年前、00年の新之助版「源氏物語」は、まだ、新作歌舞伎の範疇だったと思うが、今回は、澤瀉屋一門も顔負けのスーパー歌舞伎ぶりだった、と思う。

贅言;瀬戸内寂聴訳の歌舞伎版「源氏物語」は、5回上演されていて、上記のように、私が観た2000年5月歌舞伎座(大薮郁子脚本)に続いて、01年5月歌舞伎座(瀬戸内寂聴訳・脚本)で、続編(「須磨の巻」「明石の巻」「京の巻」)として上演されている(こちらを私は、観ていない)。その後、瀬戸内寂聴訳・脚本版の「源氏物語」は、03年京都南座(「須磨の巻」「明石の巻」「京の巻」)、04年名古屋御園座(「藤壺の巻」「葵・六条御息所の巻」「朧月夜の巻」)、05年博多座(「藤壺の巻」「葵・六条御息所の巻」)で上演された。さらに、08年京都南座では、瀬戸内寂聴訳の歌舞伎版ではなく、「源氏物語千年記念」として、藤間勘十郎構成・振付で玉三郎の六条御息所を相手に、海老蔵の光源氏が、所作事(舞踊劇。「五條」「夕顔の屋敷」「池のほとり」)を演じている。今回の歌舞伎座は、今井豊茂作、藤間勘十郎演出・振付の新作歌舞伎として、全く新しいバージョンとして上演されたが、光源氏の時系列的には、00年5月(主体)、01年5月(一部)の歌舞伎座の舞台が近いのではないか。時々比較してみよう。演出的には、何せ、「源氏物語」に初めて宙乗りが登場するのである。

今回の主な配役。光源氏、龍王のふた役:海老蔵、春宮(とうぐう)、後に朱雀帝:坂東亀蔵、右大臣:右團次、左大臣:家橘、頭中将:九團次、葵の上、明石の上のふた役:児太郎、光の君、春宮、後に冷泉帝:勸玄、紫式部:萬次郎、六条御息所:雀右衛門、弘徽殿(こきでん)女御:魁春、大命婦:東蔵、六の君こと朧月夜の君:玉朗ほか。

このうち、今回初めて登場した役は、龍王(海老蔵)、紫式部(原作者。萬次郎)、大命婦(乳母。東蔵)。

一方、今回の舞台に役者が登場しない役は、藤壺女御(2000年は、玉三郎)、紫の上(同じく、菊之助)。玉三郎、菊之助が演じた役どころが、今回は登場しないというのも、海老蔵らしい演出かも知れない。

今回の場面構成は、次の通りである。今回は、発端、序幕、二幕目、大詰となっているだけで、幕ごとの外題は付与されていない。以下は、外題がないので、私が内容を要約して付けたメモ。

発端;桐壺帝の第二皇子・光の君誕生と第一皇子・春宮、光の君と継母・藤壺の女御の不倫、臣籍・光源氏となった光の君の憂鬱。序幕;桐壺帝の譲位、春宮は朱雀帝へ、新春宮は、光源氏と継母・藤壺女御の子、光源氏と葵の上・六条御息所、葵の上の懐妊と六条御息所の嫉妬。二幕目;光源氏と六の君、須磨への隠退。藤壺の女御の出家、桐壺院の霊と龍王。大詰;朱雀帝とその母・弘徽殿太后(皇太后)の病、源氏の帰京、光源氏と明石の上、光源氏と藤壺女御の子・春宮への譲位(後の冷泉帝)と光源氏の太政大臣就任。

今回の海老蔵版「源氏物語」の主な特徴は、龍王役も勤める海老蔵の宙乗り、音響や映像を駆使したスーパー歌舞伎ばりの演出。能、オペラの演出の付加など新機軸が、確かに見どころの一つだろう。それを期待して 歌舞伎座に足を運ぶ観客もいるのだろう。

中でも、キーポイントになるのは、海老蔵の宙乗りへの拘りだろう、と思う。というのは、昼夜ともに宙乗りの演出を挿入させている。まず、昼の部の「三國無雙瓢箪久(さんごくむそうひさごのめでたや)」の序幕第一場「西遊記(夢の場)」を特設してまで、孫悟空(海老蔵)の宙乗りの場面を挿入している。次いで、夜の部では、二幕目で、桐壺院の霊の光源氏の守護という請願を受けた八大龍王(海老蔵)が源氏の君の許へと飛翔、つまり宙乗りして行く場面がある。背景は、舞台の間口を超えた大波の海原の映像である。

荒々しくうねる波のCG映像をバックに海老蔵が宙乗り。今回の「源氏物語」では、最新のプロジェクションマッピングの技術を活用した斬新な映像と音響が披露される。

光源氏(海老蔵)は、勢力争いで第一皇子派の右大臣らに追放され、わが子と離れて暮らすことになる。孤独や悲しみ、心に闇を抱えた源氏の君を守護するため、龍王(海老蔵のふた役)が登場するという設定だ。

大波の映像は、舞台前方に張られた紗幕(しゃまく。緞帳で、上下に開閉する)から舞台の間口を超えて、劇場天井の一部まで大きく映し出される。大波がダイナミックに形を変えて行く。

龍王に扮した海老蔵は青い隈取、青い髪。海老蔵にはセンサーが取り付けられていて、海老蔵の動きを読み取り、それに合わせて映像が変わって行く。波のほかにも桜や紅葉、雪など四季の移り変わりなども映像で見せる。

能の演出では、発端・序幕では、翁の面だろうか、面を付けた桐壺帝、般若面の六条御息所の怨霊、女面(泥眼)の六条御息所の生霊(いきすだま)、直面(ひためん)、面を付けないで上半分は、素顔、長い髭で顔の下半分を覆っている世継の翁などが、登場する。能楽師たちが活躍する。世継の翁は、結構科白も多い。序幕の「葵の上」絡みの場面は、面など能の「葵上」の演出をベースにしているだろう。二幕目では、桐壺帝、龍神、龍女、世継の翁。大詰では、桐壺帝、世継の翁。それぞれ、人間の領域を超えた場面で、能の世界として描き出される。能楽の演者は、複数が公演日により入れ替わる、というが、その日の出演者は、2階のロビーの告知板に掲示されている。それには、筋書には明記されていない白龍王という役名もある。歌舞伎座というか、松竹の現場優先主義がうかがえる。

オペラの演出では、随所に闇の精霊と光の精霊が基本的にペアで登場する。闇の精霊は、アンソニー・ロス・コスタンツォ、黒い衣装。光の精霊は、ザッカリー・ワイルダー、白い衣装。ふたりは、光源氏の深層心理の部分の心象、心の内に抱える闇や葛藤を表現する。アンソニー・ロス・コスタンツォは、女性歌手のような声を出すカウンターテナー の音域(女性声域のアルトに相当する)。ザッカリー・ワイルダーは、テノール(男性の声域のバスより高く、女性の声域のアルトより低い)。

歌舞伎、オペラ、能の演出。緞帳、廻り舞台、セリ、花道、スッポンなども活用。歌舞伎、能、オペラ混合の海老蔵版「源氏物語」なので、舞台展開を追いながら、各場面の見どころを記録しておこう。

発端; 暗転のうちに緞帳が上がり、明転すると開幕という演出は、新作歌舞伎に多い。花道スッポンから紫式部(萬次郎)が登場。書き始めた源氏物語について原作者が解説をする。それによると、桐壺帝の寵愛を受けた桐壺更衣は、第二皇子を産んだ。光の君(後の光源氏)の母親である。桐壺帝には、第一皇子の春宮がいる。春宮、つまり皇太子である。春宮の母親は、弘徽殿女御である。この物語は、第一皇子(後の朱雀帝)派と第二皇子(光源氏)派の派閥争いの物語でもある。弘徽殿女御は、桐壺更衣を妬み、それを苦にした桐壺更衣は、病を得て、亡くなってしまう。桐壺帝は、更衣の遺児・光の君をさらに寵愛する。第一皇子派は、第二皇子派に取って代わられることを警戒している。桐壺帝の后群には藤壺女御もいる。藤壺女御は、母親の桐壺更衣によく似ているので、光の君は、思慕の果てに、藤壺女御と関係を持ってしまう。知ってか知らずか、桐壺帝は、光の君を臣籍に落とし、源氏の姓を与え、源氏の君とする。父親に見放されたと思う光源氏は、心に闇を抱えるようになる。紫式部が退場すると、舞台上手のスポットの中で、闇の精霊を演じるカウンターテナーの、女性の声と聴き紛うほどの高い澄んだ声の、黒い衣装の男性オペラ歌手アンソニー・ロス・コスタンツォが英語の歌詞を歌い上げる。In Darkness Let Me Dwell. 海老蔵の源氏の君は、18年前の新之助の源氏の君同様、紗の幕の向こう、薄闇に後ろ姿のまま、舞台中央にせり上がって来た。一筋のスポットの光の中に白い衣装の光の君が浮き上がる。演出を変えていない。背景は竹林。印象的な開幕のシーンだ。

贅言;桐壺帝は、架空の人物で、本来別の名前の天皇だったが、桐壺更衣にご執心する余り、桐壺帝と名付けられたという。醍醐天皇をモデルにしている、という説がある。

序幕; 桐壺帝は第一皇子に譲位し、第一皇子の春宮(坂東亀蔵)は朱雀帝となる。朱雀帝の母親・弘徽殿女御(魁春)は、皇太后になる。新しい春宮は、藤壺中宮が産んだ皇子が引き継ぐ。つまり、光源氏の息子が新しい皇太子になる。源氏の君は父親・桐壺帝への複雑な思い、藤壺中宮への思慕の間で苦悩する。源氏の君(海老蔵)は、葵の上(児太郎)を妻として迎えたが、幼い葵の上は、夫婦の情愛を育めない。源氏の君は、その空隙を埋めるために、六条御息所(雀右衛門)と関係を持つ。葵の上は、やがて懐妊。源氏の君の子をなす。嫉妬にたける六条御息所は、生霊となって、葵の上を取り殺す。

二幕目;葵の上を亡くした源氏の君は、弘徽殿太后の妹と知らずに六の君(玉朗、抜擢!)と関係してしまう。第一皇子派は、源氏の君の追放を画策し始める。その動きを察知し、源氏の君は、自ら須磨への退隠を決意する。藤壺中宮は、出家してしまう。新しい春宮を息子と呼べないまま、源氏の君は、須磨へ向かう。不如意な息子の源氏の君を懸念した桐壺院の霊は、龍神に源氏の君の守護を祈願する。八大龍王(海老蔵)は、その願いを受け止めて、源氏の君のいる須磨へと飛翔する。

大詰;朱雀帝とその母親の弘徽殿太后は、病を得た。「兄弟手を携え」という亡き父親、桐壺院の遺言に反した報いと悟った朱雀帝は、源氏の君を帰京させることにした。それに合わせて源氏の君の息子である春宮(勸玄。名目上は、桐壺帝と藤壺中宮の子)への譲位を朱雀帝は決意する。源氏の君は、須磨明石で、明石の上と関係を持ち、姫君に恵まれた。明石の上(児太郎)と別れ、姫君を連れて、都へ戻る源氏の君。親子の別れの辛さを改めて痛感する。源氏の君の帰京を出迎える朱雀帝(坂東亀蔵)一行。この後、源氏の君は、息子の冷泉帝の即位に合わせて、太政大臣となり、新帝を助けることになる。

つまり、源氏の君は、父親の目を盗んで中宮(天皇の后)の一人である藤壺女御(実母の面影がある)と無理に関係を結び、桐壺帝の第十皇子(実は、光源氏の息子)が、後に冷泉帝になることで、新帝の事実上の実父となり、さらに太政大臣(朝廷の最高職)になることで、自身も実際に権力を上り詰めることになる。

贅言;18年前、私は次のように書いている。
* 新之助の「光源氏」は、 多分この人がこれをやってしまったので、もう当分ほかの人では「光源氏」が、できないのではないか。「光源氏」とは、この新之助のような顔をし、声をしていたのではないか、と納得させるようなリアリティがある。写真で見る十一代目團十郎より、良さそうな気がする。
* 新之助は、なかなか演技派。今回の光源氏で、この人は、完全に「大化け」し たのではないか。「水も下たる」、「光り輝く」、「匂うような」という常套句の褒め言葉が、霞んでいる。それほど、新之助は、光源氏になりきっている。
* (祖父の十一代目團十郎・前名九代目)海老蔵は、戦後の新しい時代を象徴する歌舞伎役者の「華」になった。そういう、この「時代」独特のものがもたらした感動は、今回の「源氏物語」には、ないかもしれない。しかし、新しい歌舞伎役者の「華」が、それも「大輪」の予兆を、感じさせながら登場したことには、 間違いがないだろう。 新之助は、まだまだ未熟だし、これから精進する課題はたくさんあると、思うが、精進の土台となる「華」は、「三之助」のなかでも、いちばんしっかりしている。

注を入れると、ここで書いている「三之助」とは、18年前の丑之助(当代の松緑)、新之助(当代の海老蔵、いずれ、團十郎へ)、菊之助(当代)の3人である。新之助は、既に十一代目海老蔵となり、今や、次期十三代目團十郎襲名を噂されている。18年前の私の予言は、こうして読み直すと、ほとんど修正が不要と思われるが、いかがであろうか。歌舞伎界は、今、新しい世代への転換点に立っていると言えるだろう。
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