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2018年06月10日14:42

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東京裁判での裏切り者


東京裁判で忘れてならないのは、田中隆吉です。元兵務局長、上海事変を起こした張本人でもあり、A級とまではいかなくても戦犯になりそうな人ですが、検事局に大変な協力をし、彼がいないと被告が挙げられないというほどいろんなことを喋ったので、被告として追求されることはありませんでした。

一方、陸軍にとっては「裏切り者」というわけで、戦後も元軍人さんたちが「名前を聞くのも嫌だ」というほど憎まれました。この人は巨魁といってもいいような顔をした「大入道」で、堂々と検事局の質問に答えるのですが、それまた記憶力が抜群で、ものごとの年月などがはっきりと頭の中に入っているのです。こういうのが本当は困るのです。

人間あまりに記憶力がいいのも考えものだというくらい、日時や場所をいちいち淀むところなく正確に答えています。たとえば、満州事変で石原莞爾と組んだ、後の陸軍大臣、板垣征四郎さんについて尋ねられた時には、本人の前で、「私の恩人であります」と言っておいてから。

「板垣閣下は…関東軍がもっておりました内面指導権というものをいかんなく行使せられまして、巧みに満州国をコントロールされました」これ、どう考えても、板垣さんが満州国を牛耳った悪者だと言っています。本人の前で、恩人と持ち上げておいて、しゃあしゃあと恐れもなく述べるのです。これに検事が喜ぶと、またどんどん喋るわけです。

張作霖爆殺事件については、「直接、河本大作大佐から聞きました」「長勇大尉からも聞きました」とへとも思わず堂々と言うので、いざ確認しようとすると、河本さんは中国に抑留されていますし、長大尉も、後に中将までいきましたが、すでに沖縄で戦死しています。二人とも証人として引っ張り出すわけにもいきませんから、陸軍はかたなしです。

また満州事変については、建川美次少将が、計画を止めるために日本から派遣されたものの、飲まされて酔っ払っている間に事件が起きてしまったという経緯がありましたが、田中さんは「本人から聞かされた打ち明け話」として喋ります。

「自分は満州事変を予期しておって…南陸軍大臣は関東軍の行動を中止せしめるように…という話だったが、自分は止める意思はさらになかった…自分は18日の夕刻奉天についたが…料理屋に行った。そのうちに大きな大砲の音がすると芸者がぶるぶる震えだした。

自分は、なにオレがここにいる。…ブルブルするなといっても、一晩じゅう芸者ならびに家のものは震えあがっておった。朝までぐっすり寝たら花谷少佐が迎えにきた。それからはじめて関東軍に行ったが、もう事件ははじまっており、自分の使命は果たされなかった」

−このように建川閣下が言うのを、私はちゃんと聞きました、と田中さんは言うものの、当の建川さんは昭和20年に亡くなっていて、これも証人として呼び出せません。つまり、田中隆吉少佐は、ほとんど亡くなっていたり、日本にいない人たちの話を「自分が直接聞いた」と繰り返して喋るのですが、日時や場所がまったく正確ですから、なにかこう「聞いた」という内容も間違っていないんじゃないかと思わせる迫力がありました。

こうして次々と自分の上の人たちの「悪行」をさらにあげつらって検事局を喜ばせたのです。正直な話、陸軍としては当時、煮え湯を飲まされる以上の思いでこれを聞いていたでしょう。「お前、何を言っとるんだ」なんてもう言えないわけですから。板垣さんなど、目の前で恩人呼ばわりしながらなんでそんなことを言うのか、と思ったでしょう。
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