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2018年05月16日21:45

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5月歌舞伎座・昼/海老蔵と菊之助の「團菊祭」

18年5月歌舞伎座(昼/「雷神不動北山桜」「女伊達」)
 

海老蔵と菊之助の「團菊祭」


今年の團菊祭は、成田屋は海老蔵を軸に、音羽屋は菊五郎を軸としながら、軸足を菊之助へ移譲するという試みも滲み出ているようだ。

まず、「口上」。開幕すると、金地の襖に青い三枡の紋どころ。海老蔵が伏している、顔を上げると上手、下手、正面に顔を向けて挨拶。続いて、口上となる。先祖の二代目團十郎の生誕三百年、父親の十二代目團十郎の五年祭の紹介。初代團十郎は、子宝に恵まれず、成田山新勝寺の不動明王に子授け祈願をし、待望の長男を得た。長男は、後世の二代目團十郎になったなど。金地の襖の上部に飾られた通し狂言「雷神不動北山桜」の5枚の舞台写真を使って、あらすじも紹介。写真は、上手から順に、鳴神上人、安倍清行、不動明王、粂寺弾正、早雲王子。早雲王子のことは、「どんな時代にも悪い奴はおりましてね」と紹介。5人をひとりで演じるので、いつもの数倍のご声援をお願いしたいなどと挨拶した後、緋毛氈に座ったまま、セリに乗って、奈落へと下がって行く。

通し狂言「雷神不動北山桜」は、「毛抜」と「鳴神」を軸にした上演だが、こういう通し狂言として「雷神」を観るのは2回目。前回は、14年12月歌舞伎座。今回は、二代目團十郎生誕三百三十年、十二代目團十郎五年祭と銘打って、昼の部冒頭に海老蔵の「口上」があり、さらに「序幕」の前に、「発端」が付くので、前回と幾分違う演出なのだろう。

1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶん)らの合作「雷神(なるかみ)不動北山桜」(全五段の時代もの)が原作。現在も良く上演される「毛抜」は、三幕目の場面で、四幕目が、「鳴神」。二代目、四代目、五代目の團十郎が引き継ぎ、これは、90年後の1832(天保3)年、七代目團十郎によって、歌舞伎十八番に選定され、「毛抜」に生まれ変わった(團十郎型)。しかし七代目亡き後、長らく上演されなかった。「鳴神」も、歌舞伎十八番に選定された。

今回の場面構成は、次の通り。
発端「深草山山中の場」。序幕「大内の場」。二幕目「小野春道館の場」。三幕目第一場「木の島明神境内の場」、同 第二場「北山岩屋の場」。大詰第一場「大内塀外の場」、同 第二場「朱雀門王子最期の場」、同 第三場「不動明王降臨の場」。

因みに、前回の場面構成は、次の通り。
序幕第一場「神泉苑の場」、同 第二場「大内の場」。二幕目「小野春道館の場」。三幕目第一場「木の島明神境内の場」、同 第二場「北山岩屋の場」。大詰第一場「大内塀外の場」、同 第二場「朱雀門王子最期の場」、同 第三場「不動明王降臨の場」。

要するに、前回の序幕第一場「神泉苑の場」が、今回は発端「深草山山中の場」に変わっているが、二幕目以降の場面構成は、前回も今回も同じ。

前回の序幕第一場「神泉苑の場」は次の通り。「忠臣蔵」の大序の真似で、大薩摩の床(チョボ)での出語りの間、役者は人形のように目を瞑ったままで動かない。やがて、一同一斉に覚醒し、動き始める。陽成天皇は、女子として生まれる身であったが、鳴神上人の変成男子(へんじょうなんし)の行法により、男子となって生まれたという。性同一性障碍者というわけか。陽成天皇の異母兄の早雲王子(はやくものおうじ)が皇位に就けば天下が乱れることになると陰陽博士が占ったからだ。

海老蔵は早雲王子を演じる。旱魃に苦しむ日本のために神泉苑に参籠して早雲王子が雨乞いをしていた。山上官蔵(新蔵)らが出迎える。きょうは満願の日。小野家の執権八剣玄蕃(やつるぎげんば)とその子息の数馬(道行。現在の九團次)を召し出し、褒美の品(蝶花形の櫛笄と唐来ものの磁石)を与える。この辺りまで、「忠臣蔵」の大序の「兜改め」に雰囲気が似ている。花道から文屋豊秀(愛之助)がやって来る。雨乞いに来たという。官蔵らが後手ぶりを嘲笑する。旱魃は鳴神上人の行法の所為なので、鳴神を追放したという。豊秀は反感を抱くが黙っている。階段を降りて、平舞台から花道を通って早雲王子一行が去って行く。以上が、前回。

今回の主な配役は、鳴神上人、粂寺弾正、早雲王子、安倍清行、不動明王の5役が、海老蔵。雲の絶間姫が、菊之助。秦民部が、彦三郎、秦秀太郎が児太郎。
文屋豊秀が、松也。関白基経が、錦之助。小松原中納言が、家橘。小野春道が、友右衛門、小野春風が、廣松で、矜琨羯羅(こんがら)童子と二役。腰元巻絹が、雀右衛門。八剣玄蕃が、團蔵。八剣数馬が、九團次で、制多迦(せいたか)童子と二役。小原万兵衛、実は石原瀬平が、市蔵で、黒雲坊と二役。白雲坊が、齋入ほか。

暗転後、薄闇の中、発端「深草山山中の場」。雨の降る夜更け。早雲王子の家臣たちが朝廷に仕える仕丁たちと立ち回りを演じている。家臣の石原瀬平(市蔵)、八剣数馬(九團次)。天下を狙う早雲王子(海老蔵)の旗揚げ(クーデター)だ。王子を演じる海老蔵は、舞台中ほどの中セリで上がってくる。折りから、雷鳴。鳴神上人が朝廷を困らせようと、龍神を滝に封じ込めた。これ以降、雨を降らせない、という合図でもあり、早雲王子のクーデターへの着手の合図でもある。家臣の石原瀬平(市蔵)、八剣数馬(九團次)らは、思い通りにクーデターが動き出したのを喜ぶ。早雲王子は、二人に褒美の品(蝶花形の櫛笄と唐来ものの磁石)を与える。定式幕が閉まる。

序幕「大内の場」。旱魃に苦しむ百姓たちが大内へ雨乞いをしてくれるようにと、朝廷に直訴に行く。百姓たちは舞台下手に集まり、下手から花道を通って向う揚幕へ入って行く。幕が開くと、大内の場。改めて、花道から押しかけてきた百姓たち。大内の黒塗りの御殿の御簾が上がると、関白の基経(錦之助)、小野春道(友右衛門)、小松原中納言(家橘)、文屋豊秀(松也)が様々な雨乞い策をしてきたと百姓たちに説明をする。御簾内の背景は、能の舞台のような松の巨木の絵。

そこへ安倍清行(海老蔵)が、白い狩衣という公家の衣装に黒い烏帽子を被った姿で家臣の紀定義(新十郎)に案内されて花道をやってくる。白塗りの公家顔で、おっとりというか、ぼうっとしているというか、清行は、手ごたえがない、いかにも頼りないという感じで登場。「若う見えても百を超えているので、力にならない」などと家臣が百姓たちに言う。清行は旱魃の原因を占うよう朝廷から要請された。清行は百歳を超えたが、今も好色で、女のこと以外は、気が乗らないようで、「女は、どこにいる」などと言いながら、舞台下手、大内の奥に引っ込んでしまう。

百姓たちは、直訴を進めてくれた早雲王子(海老蔵)に合わせて欲しいと願うと、王子が雨笠、簑姿で、手に鎌を持ち、舞台上手から現れ、百姓たちに思いやりのあることを言う一方で、旱魃対策について、関白の基経責任を追及し、参内を禁じる命令を発する。早雲王子(海老蔵)は、百姓たちを連れて、花道から向う揚幕へ退場して行く。御殿の御簾も下がる。

小野家の腰元小磯(玉朗)が雨乞いに効果のある重宝の短冊を持ち、参内してきた。御殿の御簾は下がったまま。小野春道が取り寄せた短冊を届けに来たのだ。御簾の下手奥から安倍清行(海老蔵)が現れ、小磯を口説き始める。小磯は上手から御簾内へ逃げ込む。小磯の声が聞こえ、小磯を追って御簾内に入ろうとして追い出された清行は、観客席には、後ろ姿しか見せない。清行は吹き替え役者に代わっている。清行は、吹き替え役者が後ろ向きのまま演じて時間を稼ぐ、という場面だ。なぜか、清行は突然気絶する。代わって、御簾内から姿を見せたのは、早雲王子に早替りした海老蔵、というわけだ。王子は、鎌で小磯を殺してしまう。早雲王子の家臣・石原瀬平(市蔵)と山上官蔵(新蔵)が現れ、小磯から短冊と手紙を奪う。小磯は、小野春道の嫡男・春風と恋仲なのだった。手紙は、春風が小磯に宛てたもの。石原は、短冊を王子に渡し、手紙を自ら持ち、小磯の兄になりすまして、小野家の館へ向かうという。清行を探しに来た豊秀(松也)が早雲王子らの悪事の一端を知るが何もできない。早雲王子(海老蔵)は豊秀を嘲笑う。序幕は、早雲王子の物語。

二幕目「小野春道館の場」。二幕目は、歌舞伎十八番の、いわゆる「毛抜」。三幕目第二場は、同じく歌舞伎十八番の、いわゆる「鳴神」。いずれも、独立(「みどり」)して上演されることが多い。は、今回は海老蔵が5役(鳴神上人、粂寺弾正、不動明王、早雲王子、安倍清行)を演じ分けている。

海老蔵がこういう形の通しで上演するのは、今回で6回目。歌舞伎座では前回、初演で、今回で2回目。私は、歌舞伎座上演の、この2回は、いずれも拝見。「毛抜」、「鳴神」は何回も「みどり」(独立上演)で観ているので馴染みはあるが、こうして「通し」で観るとみどりで上演される場面の洗練さと馴染みのない場面の落差に気付かざるを得ないが、これは仕方がないことだろう。

海老蔵は父親の十二代目團十郎そっくりになることを志向する。科白がこもる團十郎の口跡の悪さは、海老蔵にはないが、成田屋特製の「睨み」も随所に交える。海老蔵は前回より、見応えがある。

二幕目「小野春道館の場」は、歌舞伎十八番に選定された「毛抜」と同じ芝居である。豊秀の使者・家老の粂寺弾正(海老蔵)が登場する。小野春道館では、小野家を支える家老の秦民部(彦三郎)、弟の秀太郎(児太郎)、同じく家老ながら、重宝の短冊(先祖の小野小町直筆)行方不明の責任について八剣玄蕃(團蔵)、息子の数馬(九團次)が、管理責任者の民部を責めている。そもそも短冊紛失は、春道(友右衛門)の息子・春風(廣松)の仕業らしい。春風は短冊を恋仲の小磯に預けてあった。小磯をそれを届けに来て、早雲王子に殺されてしまった。

花道から文屋豊秀家の家老・粂寺弾正(海老蔵)登場。弾正は、春道の息女・錦の前(梅丸)と自分の主人文屋豊秀(松也)の婚儀のことで文屋家の使者として小野家を訪れたのだ。

御殿奥より、春道の息女・錦の前登場したが、彼女は室内なのに、薄衣を頭に被っている。わけのわからない「奇病」にかかっているということで、予定されていた婚儀が遅れているという。

粂寺弾正の人気の秘密は、颯爽とした捌き役でありながら、煙草盆を持って来た若衆姿の家老の弟・秀太郎(児太郎)や上手襖を開けてお茶を持って接待に出て来た美形の腰元・巻絹(雀右衛門)にセクハラと非難されるような、ちょっかいを出しては、二度も振られている。

それでいながら、観客席に向かって平気で「近頃面目次第もござりません」、「またしても面目次第もござりません」と弾正が謝る場面もあり相手が若くて美しければ、男でも女でも、良いというのか、あるいは、秘められた「役目」(お家騒動の解決)を糊塗するために、豪放磊落ぶりを装っているのか、真実、人間味や愛嬌のある、明るく、大らかな人柄なのか。歌舞伎の演目では、数少ない喜劇調の芝居のひとつである。

小野春道家の乗っ取りを企む悪方の家老・八剣玄蕃(團蔵)の策謀が進むなか、錦の前と文屋豊秀の婚儀が調った。しかし、錦の前の奇病発症で、輿入れが延期となった。その問題を解決すべく、春道館に乗り込んできた粂寺弾正が、待たされている間に、持って来た毛抜で鬚(あごひげ)を抜いていると、手を離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりでに立ち上がり、「踊り」出す。不思議に思いながら、次に煙草を吸おうとして、銀の煙管を置くと、こちらは、変化なし。次に、小柄(こづか。刀の鞘に添えてある小刀)を取り出すと、刃物だから、こちらも、ひとりでに立つ。いずれも、後見の持つ差し金の先に付けられた「大きな毛抜と小柄」が、舞台で「踊る」ように動く。鉄と銀の違いは、何か。弾正の理科教室の感じ。お家騒動の陰謀を見抜き、仕掛けのカラクリを理解した粂寺弾正は、座敷の長押に掛けてあった槍を取り出すと、天井の一廓を突き刺す。磁石(いつもの「毛抜」の時のような方角を測る磁石ではなく、唐来ものの長方形の磁石)を持った忍び衣装の曲者が天井から落ちて来る。先に早雲王子から家臣に渡された褒美の品、蝶花形の櫛笄と唐来ものの磁石の組み合わせが、姫の奇病のカラクリであったと判る。弾正は、春道から祝儀にと刀を授けられる。その刀で弾正は、悪巧みの張本人、家老・八剣玄蕃(團蔵)を成敗する。

腰元小磯の兄になりすました百姓姿の小原万兵衛、実は、早雲王子の家臣・石原瀬平(市蔵)が成りすましている。石原が花道からやって来て、小磯が春風の子を身籠ったが、難産の末に死んだ、生き返らせてくれと言う。弾正は万兵衛の意向を受けて、亡くなった小磯を娑婆へ返せと閻魔大王に依頼する内容の書状を書いたので、地獄の閻魔大王に届けて欲しいと万兵衛に頼む茶目っ気もある。地獄行きは御免だと、万兵衛が逃げ出そうとするが、手裏剣で万兵衛を討ち取るなど、武道の腕も確かな知恵者のようだ。見事に捌き役を果たし、花道から退場する弾正。幕外の引っ込みが弾正を演じる海老蔵の退場に花を添える。「いずれも様のお陰にて、何とか勤めましてござりまする」。二幕目は、粂寺弾正の物語。

三幕目第一場「木の島明神境内の場」。繋ぎの場面。舞台の背景は境内の書割りだけ。白木の鳥居が見える。安倍清行が行方不明になった、という。上手から家臣らが探している。雨乞いで豊秀(松也)が、上手から木の島明神へやって来た。下手から現れた巫女たちが雨乞いの神楽を始めながら、舞台を横切り、上手へ移動する。豊秀は、紀定義とともに清行を探す。二人は、舞台上手から、客席の通路に降りて、清行を探すというということで、場内の笑いを取る。やがて、行方不明だった陰陽博士の安倍清行(海老蔵)が花道すっぽんから姿を現す。清行は旱魃の原因を念力で解き明かす。早雲王子の陰謀説だと言う。豊秀は鳴神上人が行法で龍神を閉じ込めているから旱魃になった、行法を破るために、雲の絶間姫を使者(有能なスパイ)として遣わせという清行のアドヴァイスを大内に伝えるべく戻って行く。

三幕目第二場「北山岩屋の場」。ここは、鳴神上人(海老蔵)の物語。床では、大薩摩の出語り。修行に明け暮れ法力を身につけ、戒壇建立を条件に天皇の後継争いで、陽成天皇(女帝となるはずの女性を「変成男子(へんじょうなんし)の法で男性にした」の誕生を実現させたのにも関わらず、君子豹変すとばかりに約束を反古にされ、朝廷に恨みを持つエリートの鳴神上人。幼いころからのエリートは、勉強ばかりしていて、頭でっかち。青春も謳歌せずに、修行に励んで来たので、高僧に上り詰めたにもかかわらず、いまだ、女体を知らない。童貞である。また、権力を握った者は、得てして、それ以前の約束を平気で無視する。権力者は、嘘をつく。嘘に嘘を重ねて、窮地に落ち込むまで、あるいは、窮地に落ち込んでも、嘘を重ねる。今の世も変わらない。どこでも、どこの時代でも、同じらしい。まして、無菌状態で、生きて来たような人は、ころっと、騙される。歌舞伎は、さすが、400年の庶民の知恵の宝庫だけに、人間がやりそうなことは、みな、舞台に出て来る。

勅命で鳴神上人の力を封じ込め、雨を降らせようと花道からやってきたのが、朝廷方の女スパイ(大内第一の美女という)で、性のテクニックを知り尽した若き元人妻・雲の絶間姫(菊之助)という、いわば熟れ盛りの熟女登場というわけだ。鳴神上人の籠る岩屋の御簾を上げさせた上、菊之助は、鳴神上人ばかりでなく、観客たちも魅了しようと、花道七三でゆるりと一回りして美貌を見せつける。朝廷方の策士が、鳴神上人の素性を調べ、「童貞」を看破、女色に弱いエリートと目星を付けた上での作戦なのだろう。

女性(にょしょう)魔力に負けて、破戒の末、修行の場の壇上から落ちる鳴神上人。この芝居では、壇上からの落ち方が、いちばん難しいらしい(ここで、上人役者は、上人の精神的な堕落を表現するという)。上人は、姫に誘われて、仮祝言ということで酒を呑まされる。酒の呑み方も知らない上人は、子供の手をひねられるように、雲の絶間姫に手玉に取られる。酩酊を見抜かれ、利用される。姫は、気が強いようだ。「つかえ」(「癪」という胸の苦しみ)の症状が起きたとして偽の病を装う濃艶な雲の絶間姫。懐の肌身を摩れと強要する。生まれて初めて女体に触れるという鳴神上人の手を己のふくよかな胸へ導き、乳房や乳首を触らせるなど、打々発止の、火花を散らした挙げ句、見事、二人の喜悦の表情に表現されたように、雲の絶間姫の熟れた肉体が勝ちを占める。己の体を張ったスパイは強い。荒事の芝居ながら、官能的な笑いを誘う。菊之助が綺麗で、悩殺される。悩殺されるのは、鳴神上人だけではない。観客も魅了される。前回の玉三郎も濃艶だったけれど、菊之助も濃艶だ。それにしても、いつ観ても、おもしろい場面だ。

菊之助の雲の絶間姫は官能的。一方、海老蔵の鳴神上人は、演技が安定していて、生まれて初めて触れた女体の官能に酔いしれる弱きエリートの様が、実感できた。若い女体の奥深く癪を治しながら、「よいか、よいか」と別の快楽へ転げ落ちて行く海老蔵の鳴神上人。ポッキリと折れたエリートは、女スパイの思うまま。

その挙げ句、「柱巻きの大見得」「後向きの見得」、「不動の見得」など、一旦、切れたら収拾がつかない破天荒ぶり。怒りまくり、暴れまくる様を海老蔵の上人は見せる。数々の様式美にまで昇華させた歌舞伎の美学。最後は、花道を去った雲の絶間姫を追って、雷神が空を飛ぶように、海老蔵は花道を「飛び六法」(大三重の送り)で去って行った。

大詰第一場「大内塀外の場」。大内の網代塀。雲の絶間姫のスパイ活動成功のお陰で、雨が降り出した。関白の基経(錦之助)も喜んでいる。下手より豊秀(松也)が雲の絶間姫の活躍や早雲王子の陰謀を記した訴状を持ってやって来た。基経は、これをそのまま、大内へ奏上しようと御所へ向かう。上手より早雲王子派の山上官蔵(新蔵)が家臣を引き連れてやって来る。狂瀾の鳴神上人を殺してきたという。山上は、小野春道館へ向かおうとする豊秀にも斬りかかる。王子の即位の邪魔立てをするなというのだ。豊秀は、官蔵たちを追って行く。

大詰第二場「朱雀門王子最期の場」。塀外の場面にあった網代塀が引き道具で上手と下手に分かれて仕舞い込まれる。舞台下から大道具のせり上がり。朱塗りの朱雀門。すべての陰謀が露見した早雲王子(海老蔵)は朱雀門に立て籠もっている。追っ手の四天たちと早雲王子の立ち回りとなる。梯子を使った立ち回りは、「蘭平物狂」を思わせる。梯子で、三升の家紋が描かれる。花道七三の辺りで大梯子に乗る海老蔵。梯子の上で、衣装のぶっかえりを済ませる海老蔵。そのまま、ゆっくりと傾く大梯子。海老蔵を梯子に乗せたまま、本舞台中央に移動する四天たち。王子は梯子から朱雀門の屋根に移る。早雲王子の行状を嗜める声が天から響いて来る。不動明王の登場。明王の霊力には早雲王子も敵わない。

舞台は、暗転し、青い煙幕が舞台全面を覆う。この状態が暫く続く。時間稼ぎ。やがて、青から赤へ。

大詰第三場「不動明王降臨の場」。紅蓮の炎を背景に不動明王(海老蔵)が現れる。制多迦(せいたか)童子(九團次)、矜琨羯羅(こんがら)童子(廣松)を両脇に従えている。不動明王の隈取をした海老蔵は、脚も浮いている。宙吊りになっている。真っ赤な照明と激しい音響効果。もう、これは歌舞伎ではない。早雲王子の悪心を根絶し、鳴神の執心を沈め、悪行は虚空へ姿を消して行く。森羅万象を正す不動明王のご利益や、いかに。


男伊達・助六賛歌の「女伊達」


「女伊達」。伊達男の助六に惚れた女性の伊達ぶりがテーマ。私は7回目の拝見。舞台中央の雛壇。前に四拍子、後ろに、長唄連中。私が観たのは、菊五郎(3)、芝翫(2)、そして今回含め時蔵(2)。

1958(昭和33)年にこの演目を初演したのが、福助時代の芝翫。下駄を履いての所作と裸足になっての立ち回りが入り交じったような江戸前の魅力たっぷりな舞踊劇。元々は、大坂の新町が、舞台だったのを芝翫が新吉原に移し替えた。「難波名とりの女子たち」というクドキの文句に名残りが遺る。江戸を象徴する女伊達の「木崎のお光」に喧嘩を売り、対抗するふたりの男伊達(種之助、橋之助)は、上方を象徴する。ふたりの名前は、「中之嶋鳴平」(種之助)と「淀川の千蔵」(橋之助)ということで上方風が遺る。

二人の若い男伊達たちは、助六の足元にも及ばないと女伊達は、退ける。腰の背に尺八を差し込んだ女伊達は、「女助六」であるという。だから、長唄も、「助六」の原曲だという。「だんべ」言葉は、荒事独特の言葉である。「花の吾妻や 心も吉原 助六流の男伊達」など、伊達もののロールモデル・助六を女形で見せる趣向。「丹前振り」という所作も、荒事の所作。途中、男伊達の二人が持った二つの傘の陰を利用して、引き抜きで、衣装を替える時蔵。黒地(上半身は無地、袖と下半身は、カルタのような市松模様)から、明るいクリーム色の衣装に、鮮やかに変身する。女形ならではの、華やかさ。

傘を持った若い者10人との立ち回り。所作事(舞踊劇)の立ち回り、ゆえに、「所作立て」という。傘と床几を巧みに使って、華やかに。

幕切れは、時蔵が、「二段(女形用)」に乗る。その両脇に、男伊達の二人。後ろには、傘を開いて、山形に展開して、華やかさを添える若い者たち。「女伊達らに」、文字どおり、「伊達(粋、ダンディズム)」を主張した「女伊達」であった。
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