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2018年04月22日08:28

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山本五十六


山本五十六の映画を観ました。とてもよく出来ているので是非、観ていただきたいです。事実を知りたくないのは日本人ならば仕方がない。戦時中は縁起の悪いことを言えば差別を受ける。想定しただけでも怒られる。石原莞爾はアメリカと戦争する事に反対だった。

山本五十六は「アメリカと戦争すれば負ける」と言ったら左遷された。三国同盟にも反対だった。理由は、ドイツに戦争へと引き込まれるということです。山本五十六は連合艦隊司令長官でしたが、こういう政策に直接責任を持つ立場ではありません。

結局、三国同盟を海軍側がのむことになります。三国同盟に賛成したのは一般市民です。軍部だけが悪いのではない。 マスコミも駆り立て、国民が望んだ戦争への道だったのです。 戦争当時を覚えているものが少なくなった今、歴史は繰り返すのではないのかと懸念しています。

昭和18年2月のガダルカナルからの転進は、国民には退却ではないかという疑問を抱かせました。さらに、この年の4月に起きた山本五十六連合艦隊司令長官の戦死は、国民に大きな衝撃を与えるとともに、戦争の前に立ちはだかってきた暗い不吉な前兆を感じさせた。

1967年、アメリカで出版されたデーヴィッド・カーンの『暗号戦争』(翌年秦郁彦氏らによって訳出)によると、山本長官の巡視日程は、当時もっとも堅固と考えられていた暗号JN−25で巡視予定地の格指揮官宛発信されたが、このJN−25は、すでに米軍の解読班の情報交換によって解読されていたのです。

そして2週間前、4月1日に更新されたばかりの乱数表も大部分が解明されており(当時日本側の調査では、短時日のため解読不可能とみなした)、まず艦隊無線班がIBMカードにパンチされた乱数表を使って山本長官巡視の暗号電報を平文化しました。

次いで戦前東京に駐在したことがあり、もっとも優秀な翻訳者といわれる38歳のラスウェル海兵隊中佐にまわされた。そしてラスウェル中佐は、当時アメリカ人が真珠湾だましうちの元凶として、また「ホワイトハウスで米国に和を乞わせる」と高言した。山本五十六の一分きざみの正確な時間表を手に入れたのです。

昭和16年12月8日に真珠湾を奇襲した南雲司令長官ひきいる第一航空艦隊は、停泊していた戦艦四隻撃沈、三隻大破、一隻中破の大戦果を挙げます。そこでもう一度、攻撃を決行して、船のドックや石油タンクを叩こうという意見がありましたが、南雲はすぐに引き上げようとする。

ここで山本五十六は再度の攻撃を催促するために、電報の一本でも打つことができたはずです。しかし「南雲はやらないだろう」とあきらめてしまう。海軍が無責任体質に染まってしまったことは、ある意味ミッドウェーで機動隊を失ったよりも、日本にとって痛かったと思います。

日露戦争の初期に、東郷は、旅順の封鎖作戦に参加した駆逐艦の艦長などを戦意不足だとして、パーッと取り替えています。勝つためには何をしなければならないか、という優先順位をはっきり認識していました。ただ、弁護するわけではありませんが、山本五十六は参謀長すら自分で選べない状況で戦っていたわけです。

黒島のような異端児や渡辺のような若手だけでなく、山本五十六の意を汲めるような中堅スタッフにもう少し恵まれていれば、とつい考えてしまう。結局、山本五十六の最大の悲劇は、「アメリカに負ける」という必敗の信念を持つ人間が最高指揮官になったことにあるのではないでしょうか。先が見えすぎる人間の悲劇です。
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