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2018年02月04日17:08

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2月歌舞伎座・夜/38年ぶりの「祇園一力茶屋」

18年2月歌舞伎座(夜/「熊谷陣屋」「寿三代歌舞伎賑」「祇園一力茶屋の場」)


新・幸四郎の襲名披露演目は、高麗屋所縁の「熊谷陣屋」


新・幸四郎の襲名披露演目は「熊谷陣屋」というのは、高麗屋としては、極めて全うな選択だろう。主役の熊谷直実は、染五郎改め、幸四郎である。「熊谷陣屋」を観るのは、今回で、22回目。私が観た直実では、圧倒的に多いのが九代目幸四郎(10)。吉右衛門(4)、仁左衛門(2)、八十助時代の三津五郎、團十郎、松緑、海老蔵、橋之助改め・芝翫、そして今回が染五郎改め・十代目幸四郎。これは、初見となる。だから、私の直実像は、九代目幸四郎によって、作られている。新・幸四郎の誕生で、直実像が今後どう変化してゆくか、楽しみだ。今回の劇評は、この点にだけ、こだわって書いておこう。比較する役者は、九代目、十代目幸四郎と吉右衛門の3人だ。まず、九代目から。

17年4月歌舞伎座。九代目幸四郎は、幸四郎名では最後の直実を演じた。幸四郎の今回の決め科白の、科白廻し。「十六年は、一昔。夢だあ。ああ〜、夢だああ〜〜〜」と語尾を伸ばせるだけ伸ばして、歌い上げていた。いつも通りだが、感慨深げで、初日から、目には涙を浮かべていた。胸中にはいろいろな思いが駆け巡ったことだろう。1981年11月歌舞伎座、初役で直実を演じて以来、36年、つまり、ふた昔以上前から演じてきた直実役者の数々の舞台に改めて感謝したい。もっとも、まだまだ、白鸚名で直実を演じることもあるだろう。

さて、今回の三代同時襲名披露の舞台。定式幕で開幕。8年前に初役で演じ、今回は、3回目となる新・幸四郎の直実はどうか。私は、染五郎時代の直実を残念ながら、一度も観ていない。新・幸四郎は、中年というよりも細面の好男子ゆえに、青年のイメージが今も強い。若々しすぎて、直実としては、残念ながら違和感がある。それは、幸四郎が直実を演じる時には、暫くは、マイナスに働き続けるのではないか。直実としての存在感が感じられないからだ。風格、貫禄含めて、中年武士になりきっていない嫌いがある。藝の力か、年齢か、いずれ、そういう懸念を払拭する時が来るだろうが、当面は難しいかもしれない。「十六年は、一昔。夢だあ。ああ、夢だあー」という決め科白も、父親がこってりとした味で言っていたのが私の耳にコビリ付いている。新・幸四郎の科白は、九代目に比べると淡白である。私が観た日には、目にも涙が浮かんでいるようには、見えなかった。淡白が悪いわけではないが、何か、違う。それを説明するためには、吉右衛門の直実を観ると良いかもしれない。

これまで私が観た最高の「熊谷陣屋」は、13年4月歌舞伎座。歌舞伎座杮葺落興行の舞台。残念ながら、最高の直実を演じたという印象を私が持っている役者は、九代目幸四郎ではなかった。弟の吉右衛門。吉右衛門の直実は、肩の力を抜いて、役者吉右衛門の存在そのものが自然に直実を作って行く。時代物の歌舞伎の演じ方という教科書のような演技ぶりだった。「存在そのものが自然に直実を作って行く」。新・幸四郎の存在感に拘る私の批評の原点は、ここにある。

ほかの役者評も少しだけ書いておこう。義経を演じた菊五郎は、さすがに貫禄があり、堂々たる「主役」(「熊谷陣屋」の筋立てを裏で指揮しているのは、実は、義経である、というのが私の説)の義経であった。菊五郎が義経を演じるのは、今回で11回目。「熊谷陣屋」の義経役者では、一枚上を行く義経振りである。このほか、私が観た「熊谷陣屋」の義経では、仁左衛門の義経も颯爽としていて良かった。


「寿三代歌舞伎賑〜木挽芝居前」と劇中「口上」


「寿三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)〜木挽芝居前」は、新作歌舞伎。芝居小屋の前で、出演する役者が興行の成功や歌舞伎の繁栄、観客の多幸・健勝を祈願するという、徳川時代から始まった歌舞伎の演出方法。原型を元に、興行に合わせた趣向で上演される。したがって、「芝居前」では、可能な限り、多くの歌舞伎役者を集める。集まった役者が、ほかの演目にも出演するので、既に述べてきたように、配役がいつもより豪華版になる。

高麗屋三代。幸四郎改め、白鸚。染五郎改め、幸四郎。金太郎改め、染五郎。この3人が軸になるが、今月集った主な役者は次の通り。筋書きの順番で記録しておこう。

菊五郎、仁左衛門、玉三郎、左團次、又五郎、鴈治郎、錦之助、松緑、海老蔵、彌十郎、芝翫、歌六、魁春、時蔵、雀右衛門、孝太郎、梅枝、高麗蔵、友右衛門、東蔵、秀太郎、猿之助、楽善、我當、梅玉、吉右衛門、藤十郎。高麗屋三代を入れて、30人という豪華な顔ぶれだ。

「木挽町芝居前」は、今井豊茂の新作で、一幕もの。芝居小屋の前という想定で、出演する役者が顔を揃えて、興行の成功などを願う祝祭的な演目。

高麗屋三代同時襲名披露興行とあって、有力な役者衆が勢揃いする「木挽町芝居前」の開幕前、閉幕後の幕間では、ロビーは、梨園のお内儀たちで賑わった。皆、正装の着物姿で、常連客に愛想を振りまいていた。特に、高麗屋のお内儀(二代目白鸚夫人)など、役者衆の美しいお連れ合いたちがロビーのあちこちで後援会の顧客やファンたちに囲まれていて、華やかな人の花が開いていた。私は、ロビーで見かければ、可能な限り、高麗屋のお内儀には、挨拶をして、短い雑談をするのを楽しみにしているのだが、今回は、初日にお見かけしたものの近づかずに失礼をした。ほかの高麗屋ファンに譲ったのだ。

客席に入ると、本舞台には、草間彌生のデザインの祝幕(個人寄贈)が飾ってある。やがて、「木挽町芝居前」の開幕。その前に場内がフェードアウト。真っ暗に暗転して、明転。本舞台が一気に明るくなると、そこは木挽町芝居前。徳川時代の芝居小屋には、歌舞伎座の紋を染め抜いた暖簾が上下2箇所に下がっている。櫓が立ち、三代同時襲名披露「二月大歌舞伎」の演目(今月の演目をそのままに)を知らせる看板や絵看板も掲げられ、木戸には、「大入」「客留」などの張り出し、下手に積み物もある。

襲名披露興行の賑わいを見ようと、大勢の鳶の者と手古舞姿の芸者衆が繰り出している。江戸・木挽町の芝居小屋の前は、高麗屋一門の役者衆(錦吾ら)が、既に控えている。小屋の表方(廣太郎)も。本舞台下手の床几には、町年寄の二引屋(我當)、町火消の組頭(楽善)が既に座って待っている。我當は、すっかり痩せてしまっている。3年前に比べても、痩せておられるようだ。顔が一回り小さくなったような気がする。でも、科白はきちんと聞こえた。やはり、役者だ。目もご不自由と聞くが、お大事に。

芝居茶屋松嶋屋の亭主(仁左衛門)が集まった人たちに礼を言い、高麗屋三代を呼び込む。本花道から高麗屋三代が、高麗屋番頭(猿之助)を伴って登場。猿之助の影が薄いのが気になった。怪我は、全治したのか。闊達な役者としての復活を期待したい。芝居小屋の中から、座元の音羽屋(菊五郎)、太夫元の播磨屋(吉右衛門)、吉原山城屋の抱え芸者(藤十郎)が、姿を現わす。吉右衛門が、何やら、夜の部は、控えめになっていやしないだろうか。

両花道からは、江戸で名高い男伊達と女伊達が登場する。下手の本花道からは男伊達(左團次、又五郎、鴈治郎、錦之助、松緑、海老蔵、彌十郎、芝翫、歌六)は9人、上手の仮花道からは女伊達(魁春、時蔵、雀右衛門、孝太郎、梅枝、高麗蔵、友右衛門、東蔵、秀太郎)も同じく9人。両花道から、そろいの衣装の面々が、交互に順番に祝意を述べ、ツラネを披露する。

彼らが本舞台に上がると、本花道からは、茶屋女房・お玉(玉三郎)が江戸奉行・中村高砂守(梅玉)を案内して現れる。襲名披露を聞きつけたという将軍の代行で、祝儀に厄除けの金の御幣を持参したという。

高麗屋三代は小屋へ入り、小屋の本舞台から襲名披露の口上を言うことになり、中へと案内されて行く。芝居小屋前に残った面々は、舞台の支度が整うまで、一同揃って祝いの盃を重ねようというのが本来の場面だが、初日とあって、その手順を言い出す役者がいなくて、暫く、皆々が顔を合わせて立ち尽くしたまま、奇妙な間が空くという、珍しい場面があった。特に、菊五郎と藤十郎が顔を見合わせているだけで、ストップモーション。皆、苦笑い。観客は喜んでいた。

誰かの音頭で皆、小屋に入って行く。吉右衛門だったか、仁左衛門だったかな。

床几に座ったまま手持ち無沙汰だった我當も付き人(倅の進之介だろうか。判別できなかった。進之介の名前は、筋書にもなし)と黒衣の二人に左右を抱えられるようにして退場していった。ほとんど歩いていない。両脇から抱え上げられているように見えた。

芝居小屋入口の大道具(引道具など)が場面転換。替わりに、芝居小屋の中の「本舞台」も大せりでせり上がってくる。「本舞台」の襖には、高麗屋の三つの家紋(四つ花菱、浮線蝶、三つ銀杏)が描かれている。その前には、別のせり穴が開いている。やがて、東西声が聞こえ、せりに乗って、高麗屋三代が上がってくる。上手より二代目白鸚、十代目幸四郎、八代目染五郎の順に座っている。白鸚と幸四郎は、柿色の肩衣に浮線蝶の紋。染五郎は、三つ銀杏の紋。鬘の髷は、3人とも鉞(まさかり)。

「口上をもって、申し上げ奉りまする」。口上は、白鸚が取り仕切って始める。「高麗屋は、初代より320年……」などなど。幸四郎、染五郎も含めた詳細な口上内容は、省略にて、失礼。口上が終わると、祝幕が閉まって来る。

こういう趣向の舞台は、05年5月、歌舞伎座で、勘九郎が十八代目勘三郎を襲名した際に、「弥栄芝居賑〜中村座芝居前〜」という外題の一幕もので観たことがある。また、15年4月、歌舞伎座で、翫雀が四代目鴈治郎を襲名した際にも、「成駒家歌舞伎賑」という外題の一幕もので観たことがある。演目の骨格は、いずれも、今回とほぼ同じだが、勘三郎だけは、両花道の男伊達、女伊達が、それぞれ10人といちばん多かった。この時、両花道のうち、本花道を埋める男伊達に菊五郎、三津五郎、橋之助、染五郎、松緑、海老蔵、獅童、弥十郎、左團次、梅玉の順で、10人、仮花道を埋める女伊達に玉三郎、時蔵、福助、扇雀、孝太郎、菊之助、亀治郎、芝雀、魁春、秀太郎の順で、10人という華やかな舞台を演出。いずれも、名前は、当時のままで記載。

「弥栄芝居賑〜中村座芝居前〜」は、川尻清潭作の祝典劇で、1950(昭和25)年1月の歌舞伎座、十七代目勘三郎襲名披露興行で、「顔揃櫓前賑」という外題で上演された演目(新作歌舞伎)で、実質的に「口上」の趣向を凝らして見せるという愉しい発想。その後も、軸になる役者により、さまざまな外題で、演じられてきた。


新・白鸚、新・染五郎の襲名披露演目は、「祇園一力茶屋の場」


これは、見ごたえがあった。由良之助は幸四郎改め、白鸚、力弥は金太郎改め、染五郎。二人の襲名披露演目は、「仮名手本忠臣蔵」の「七段目」である「祇園一力茶屋の場」。新・染五郎は、科白をとちらずにゆるりと演じていた。12歳、中学1年生。先が楽しみだ。この場面の見せ場は、お軽を軸に由良之助と平右衛門が、それぞれ絡む場面だ。今月、私も初日に、玉三郎(お軽)と仁左衛門(平右衛門)、そして二代目白鸚(由良之助)で観た。この配役で、七段目を演じるのは、38年ぶりだという。1980年3月、歌舞伎座。当時の染五郎(現在の二代目白鸚)と孝夫(現在の十五代目仁左衛門)が、由良之助と平右衛門を交互に演じ、玉三郎のお軽が、二人に対応した、という舞台だった。今月の、この場面は、高麗屋襲名披露という時空を超えて、歌舞伎史に記憶される舞台だろう。皆さん、お見逃しなく。

襲名披露の祝幕が定式幕に上手から押されるようにして、閉幕。「七段目(通称「一力茶屋」、あるいは、「茶屋場」)」は、いつも通り、定式幕開幕で始まる。

七段目は、二つの芝居が合体。由良之助とお軽。平右衛門とお軽。最後に流れは一つになる。京の華やかな茶屋が舞台。忠臣蔵で最も華やかな場面。由良之助(二代目白鸚)は、敵討ち資金を遊興費に流用して茶屋遊び。咎める塩冶派の元家臣・「三人侍」(友右衛門、彌十郎、松江)を足軽の寺岡平右衛門(仁左衛門)が案内して茶屋まで出向いてくる。塩冶家の元家老(現役時代は、由良之助も九太夫も家老として二人は同格だった。つまり、重臣)・斧九太夫(錦吾)には、由良之助も生臭いものを食べてみせたり、赤錆びた刀を放置したりして、ごまかす。「韜晦の遊興」ではないかと疑う「寝返り派」の九太夫や敵方の鷺坂伴内(高麗五郎)らスパイたちを騙す。味方も敵も騙す。精緻な虚偽の遊興で敵討ちの本心を隠す。

前半の見せ場は、密書読みの「トライアングル」。由良之助(白鸚)が力弥(新・染五郎)の届けた密書を見る場面。座敷(二重舞台)の縁側、手水のところ(上手側)の灯で文を読む由良之助。さらに上手の隣座敷の2階(二重舞台より幾分高い)から由良之助の読む文を手鏡(拡大鏡ではない)に写して(?)、興味半分に覗き読みする遊女・お軽(玉三郎)。座敷の縁の下(平舞台)から由良之助の読む手紙を盗み見る斧九太夫(錦吾)。ここは、お軽と由良之助の物語。

裏切り者は、後に殺されることになる。お軽・平右衛門の父親・与市兵衛は斧九太夫の息子・定九郎に殺された(五段目)。茶屋場で出会った二人は与市兵衛の敵討ちを果たしたことになる。悲劇の兄妹。兄は、討ち入りに47人目の浪士として参加する道が開ける。ここは、お軽と平右衛門の兄妹の物語。妹・お軽の今後は? 男たちの歴史では、女たちは、きちんと記録されずに歴史の闇に落ちて行く。

贅言;斧九太夫と鷺坂伴内の駕籠を挟んでのやり取りは、三段目「門前」の「進物場」のパロディ。大きな石がかごの中にあるのに気がついた駕籠かきも交えて、駕籠かき:「おーい」、鷺坂:「しー」、というのは、親父レベルのダジャレ。抜擢で、鷺坂伴内を演じた高麗五郎が熱演していた。科白も多く、高麗五郎の存在感が、ぐんと増したように感じた。

由良之助の「遊興(韜晦)」の意味。七段目、京の祇園での由良之助の遊興は韜晦。高家一派を欺くための偽装である。興味本位で密書を覗き見たばっかりに偽装が漏れそうになることを恐れた由良之助にお軽は殺されそうになる。お軽らの真意が由良之助にも伝わり、お軽は許され、平右衛門は勘平の代わりに足軽としてただ一人主君の敵討ち同盟に加えられる(史実の寺坂吉右衛門は、大石内蔵助から事件後の後処理のため遺族間の連絡員、世話役という密命を託されたと言われ、遺族の面倒を見ながら83歳まで生き延びた。江戸のほか仙台にも墓がある)。「七段目」の最後に、由良之助の本心が滲み出てくる。主筋は、由良之助や平右衛門ら男たちのプライドのドラマだが、脇筋では、お軽の女の心情のドラマ。「仮名手本忠臣蔵」も、「八段目」道行旅路の嫁入、「九段目」雪転(こか)し・山科閑居という「女たちの忠臣蔵」ともいうべき場面へ盛り上がる。そして、「十一段目」の討ち入り、男たちのドラマが、大団円を迎える。以下、まとめて、贅言。

贅言1);歌舞伎の道具の木戸は、いつもは刺身のつまのように扱われ、開幕当初は舞台や花道に出ていても、一芝居が終わると間もなく、大道具方が出てきて、片付けられてしまうことがほとんどだ。それが、七段目では、木戸が割と活躍するからおもしろい。

花道、いつものところに粗末な木戸。まず、仁左衛門の足軽・平右衛門の案内で、通称「三人侍」が通る場面がある。次に、茶屋の座敷で酔って眠り込んだ「風」の由良之助が、息子の力弥がやってきたのを知り、周りを警戒しながら起きてきて、花道の木戸まで出向き、息子から主君の妻(顔世御前)の密書を預かる場面もある。茶屋で妹のお軽と出会い、由良之助とお軽との経緯を知り、機密を知ったお軽を殺めようとする場面で、花道木戸までお軽が逃げる場面もある。ということで、木戸が花道に根が生えたように残って、活躍する。

贅言2);仲居たちによる「見立て遊び」。大部屋の女形たちが集団で出てくる。筋書に名前が載っている仲居は、12人。名前もない仲居は、6人。大部屋の立役たちが演じる太鼓持ちは、10人。全員名前がある。彼らが、逮夜の晩に九太夫や由良之助を相手に「見立て」という遊びをしてみせる。通称「蛸肴」という場面。科白のほとんどない役が多い大部屋役者にとって、この場面は、台本にない、即興の科白を言える貴重なチャンスなのだ。この日の仲居(誰か判別できず)の一人は、高麗屋三代の同時襲名披露に引っ掛けて見立てをした。太鼓持ちたちは、複数でチームを組み、座敷にあった蝋燭と持ち込んだ赤い布をうまく使って、オリンピックの聖火台を見立てて、場内の笑いを取っていた。


贅言3);「七段目」とはいえ、前後が絡むので、初心の人には、判り辛いだろうから、全体を見通せるように再録しておこう。16年11月、国立劇場の舞台がよかろう。「完全通し」と銘打った「仮名手本忠臣蔵」全十一段の場割は、以下の通り。

大 序:兜改め。
二段目:力弥使者・松切り。
三段目:進物場(門前)・喧嘩場(刃傷)・裏門。
四段目:花献上・判官切腹(せっぷく)・城明渡し。
浄瑠璃:道行旅路の花聟。
五段目:鉄砲渡し・二つ玉。
六段目:勘平腹切(はらきり)。
七段目:祇園一力(茶屋場)。
八段目:道行旅路の嫁入。
九段目:雪転(こか)し・山科閑居。
十段目:天川屋。
十一段目:討入(実録風)・広間・奥庭泉水・本懐焼香・引揚。
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