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2018年01月17日09:31

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「DRIES」とは大違いのファッション?の話

また、実家のある町に来ているのだけれど、
(東京のマンションと違って、居間を出ると寒い〜)
こんな田舎の漁師町でも、街をゆく人々の服装は、
それほど東京と変わらなくなった。

私は団塊の世代。子供の頃、浜辺や裏通りでは、
夏は漁師のオジサンたちはふんどし一丁。
オバアサンたちは腰巻だけの人も珍しくはなかった。

最初に覚えのある町のファッション?は、
アッパッパと呼ばれる、ウェストのないストンとした
簡単な夏のワンピース。これで腰巻スタイルが消えた。

母は器用な人で、私達の服をせっせと作ってくれた。
身頃がチェックの布で、その1色で、襟と袖を編んだ服を
今でも覚えている。子供心にお洒落な服だと思った。

スカートも殆ど手作りで、ウェストはゴムだった。
東京の中学に行くとき、ウェストがゴムではなかったので、
固くていやだと言ったが、東京のクラスメイトで、
ウェストがゴムのスカートをはいている人はいなかった。

そしてだんだん今年の流行とか、パリのデザイナーの名も
耳にするようになった。既製服ももちろんあったが、
デパートなどで、サイズにあわせてつくる、
イージー・オーダーのコーナーなども利用した。

ある時、伊勢丹で黒い皮の襟とボタンが付いた、白黒ツィードの、
スーツを作ったら、従姉も同じ服を作っていてビックリ。
その年の夏は、白にブルーとグリーンのローンのワンピース、
これも偶然、従姉と同じ。そんな時代だった。

いちばん衝撃的なファッションはツィッギー、
つまり、ミニスカートの流行。

ちょうどその頃、夏休みだけだがアメリカに交換留学で
ニューヨークに行って、スカートの短さに目を見張り、
ホームステイした家で、友人と2人、せっせと裾上げをした。

一緒に行った大学生の日本人男子たちが、
「短くしないと一緒に歩かない」と宣ったのだ。
ロスに行ってもっとびっくり。超ミニか短いホットパンツ。

「太腿まで見せて…」とお堅い先生を困惑させたが、
そのうち先生のスカートも、やや短くなったりした時代だった。
その後、ミニ、ミディ、マキシとスカート丈もいろいろになった。


社会人になった頃、ミニのワンピースに、
マキシ丈の後ろにスリットの入ったコートを羽織って、
ブーツで闊歩して、親をびっくりさせた。
ツイッギーと違って短い大根足なのにね…。

ショッキングピンクと白のホルターネックの
肩の出るワンピースを作り、それを着て田舎に帰ったら、
「何か羽織りなさい」と母に叱られた。
いろいろやってみたい年齢だったのよ…。

その頃は、モダンに装いたければピエール・カルダン、
優雅さならばディオールやイブ・サンローラン、
働く女性のお洒落着はココ・シャネル…と、百花繚乱。

フランスのファッションと同じ布で仕立ててくれる店もあり、
「ELLE」や「Marie Claire」などのファッション誌を見て決める。
中身はステキなモデルさんと、大分違うけれどね。

今は多様化、あらゆる色も形もOKで、
あの頃のように流行色と言っても、今年はパステルカラー、
今年は鮮やかな色調、秋になったらダークな混色とか、
ストライプ、水玉、花柄、肩パッド入り、ウェストくっきり等々
どのウィンドウも、よく似た色や形の服が並ぶことも減った。

今は、デザイナーそれぞれの個性でデザインされた服を、
消費者の私たちが、自分の好みの服をセレクトして
上手に組み合わせて着ている感じかしら。

素敵な服装、組み合わせだなと思う女性が増えて、
それも「あれは、あのデザイナーの服ね」という、
服に着られている感じでなく、
その人のセンスで組み合わせ、着こなしている感じ。

ただ、みんなが素敵になったせいか、
あの時代のように、目を見張るほど…ということも
減ったかもしれない。綺麗な装いを見慣れたのかな。

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