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2018年03月09日17:19

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批判は育てるためにするのではない

批判は人を育てない https://goo.gl/AQveyA

ごもっともごもっとも。身につまされるように共感するんだけど、たぶん女性編集者はこの人を育てようとは思っていなかったと思うので、なんだか恨み節のようにしか聞こえない。Noteを買って全文読めば、きっと「私ならこうして作家を育てる。それが結局自分の利益として返ってくる」というようなことが書いてあるんだろうけど、全文読む必要のないものだということはわかったのでしない。
まあ、こういう対面のことではそういう射程でダメ出しするのものあるだろう。けど、多くの批判は得てして一方通行で遠くで行われるもので、相手のためにしてるものではないと思う。まず、作家の卵と編集者という関係は特殊なもので、そこでの批判(フィードバック)をこういう一般化したみたいなタイトルにしたら、言葉を商売とする物書きとしたらいけないんじゃないかな。「編集者の批判は作家を育てない」とでもしなきゃ。

朝日新聞が「アベガー」と首相を批判してるのは、何も安倍総理に良くなってもらいためじゃないし、アマゾンのカスタマーレビューに意見を投稿するのも、作り手により良いものを作ってもらうためじゃない。
批判というのは「こちら側」の人に向けたメッセージなのだ。自分の側にいる者に共感してもらうため、注意してもらうために、これがダメあれがダメとあげつらうわけだ。それに対しあちら側である作者が「そこに愛があるのか〜」と泣き喚いたところで本人が惨めになるばかりではないか。(安倍さんが国会で共産党にそう言っているとこを想像してみて)

批判はそれにより立ち位置を明確化させる働きがある。こちら側とあちら側を線引するロープを張る行為が批判なのだ。そしてこちら側と言うのも、何も同じ市民だとか読者とかの不特定多数をさすばかりでもない。持論やスタイルを決定していくための補強として、自分に向けて行われることもある。いや、むしろその意味の方が強い。自分はこういうものが嫌いだ、否定する、と表明することで、自分のスタイルが規定化されていくのだ。換言するなら、批判は自分を育てるためにしているのだ。そして、この時対象としているのは作品や事柄であって、作家などというのはそもそも眼中にない。だから、作家を育てるなんて気持ちはあるはずもないのだ。

ほとんどの批判というのは、そういう自と他の分立関係の中に成立するもので、相手のためになどという優しいものではなかったのだが、双方向コミュニケーションが発達したお陰で相手の気持も考えて発するべきだと言うような生温かい意見が幅を利かせるようになったのだと思う。

そう考えるとこの筆者の言っていることは、編集者はこちら側の人間でしょ。もっと優しくしてよ。と甘ったれているに過ぎなく、おそらく女性編集者の方は、私は読者の側の人間、つまらないものを世に出してはいけない。とビジネスライクに思っているだけに過ぎないのではないかと思う。

作家と編集者は敵同士なんだと思っている佐藤秀峰さんみたいな人もいるんだし、そんなことでいちいちトラウマになってるようではこれから表現活動していくのが心配になる。批判よりもっと恐ろしい無関心に遭遇したら、きっと筆を折るんじゃないかな。
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