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2016年12月12日06:14

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牛の記憶を超え、星の記憶へと

OSHOが駐日OSHO大使に任命したシャルノ、OSHOから十牛図第10番目の絵図を日本に招来するよう託されたシャルノ、彼女には、菅原道眞の家系に属している意識が鮮明にありました。

しかもOSHOに会う前に、「中国の洞窟に住み、その洞窟の中で十牛図を日本に招来しようとする志半ばにして果てた祖先の禅僧のヴィジョン」を見たことがあったので、初対面のOSHOから十牛図第10番目の絵図が欠けていると言われたときは心底びっくり仰天したと言ってました。

シャルノの口癖に、あたしは若いころはメンコかったんだわ、今はオカメだけと、いうのがあったので、梅鉢紋の和服を着たシャルノは、於福にそっくりなんですよ。

それにしても 牛牛× 4は、傑作。

臨済曰く「さあ言え言え! 如何なるか、露地の白牛?」

ちなみにOSHOは不思議なことを言っています。それは、あらゆる瞑想者たちは、人としての過去世を辿り終えると牛身としての記憶が蘇り、それを超えると星々の記憶が蘇ってくることに気づいた、と。

モウそろそろ思い出してもいい頃かもしれません。以下、角屋アロールのFBタイムラインより転載、

………………

白隠 「布袋、お福を吹く図」
芳澤勝弘「白隠−禅画の世界」より拝借
(2016/6/28)

白隠禅師が1月19日(1686年)に生まれたということはすでに述べた。これは旧暦では、貞享2年12月25日にあたる。12月25日という日付だけ見ると、キリストの誕生日と同じだが、それは置いておく。貞享2年というのは、丑(うし)年にあたっている。また旧12月というのは、丑月に等しい。さらにこの日は、丑日なのだという。もうひとつ、白隠さんが生まれた時刻は、丑の刻(午前1時〜3時)であったということだ。丑年・丑月・丑日・丑刻という特殊なタイミングで生まれたのが白隠さんだということになる。丑×4である(ウッシッシ)。

それで白隠さんは、丑天神(京都・北野天満宮)の天神信仰を持っていたようである。自らを天神の申し子・化身であると自覚していた節がある。

Wikiによると、「本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、清涼殿落雷事件を契機に、道真(みちざね)の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばるようになり、後に火雷神は眷属として取り込まれ新たに日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん/にほんだじょういとくてん)、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)などの神号が確立することにより、さらには、実道権現(じつどうごんげん)などとも呼ばれ、『渡唐天神』『妙法天神経』『天神経』など仏教でもあつい崇敬をうけ、道真の神霊に対する信仰が天神信仰として広まった。」(天神信仰)

学問・文学の神とされる菅原道真だが、一種の怨霊・祟り神として畏怖されたということが、その始まりであったことがわかる。

菅原道真は6月25日に生まれ、2月25日に亡くなっている(845−903)。25日を丑の日としているのは、これによるものだろう。

北野天神の神紋は、梅の花をかたどった梅鉢紋と言われるものである。白隠さんの「布袋、お福を吹く図」では、「お福」の着物に、この梅鉢紋が多数描かれている。このお福は天神の顕れであると言える。

キセルで煙草を吸っている「布袋」が吐き出した煙から、お福が立ち現れているが、それはあたかもエクトプラズムを写した心霊写真のようでもある。

この布袋は愛煙家であった白隠さんその人であると考えられている。煙草を吸うなどという不健康な嗜好を持っていたことは、今の時代からすると、あまり感心できるものではない。謹厳な弟子の東嶺さんは時に、喫煙する師を諌めていたという。

布袋というのは、唐末の中国に実在したらしい、とても風変わりな禅僧だが、その人の正体は弥勒であったと考えられている。

弥勒であるところの布袋白隠が、天神であるところのお福を吹き出している。お福の着物には、「寿」という文字が大書されていて、「福寿」、すなわち目出度い存在であることが示されている。しかしこの絵の賛には、「・・お福ばかりは吹きにくひものでござる」とある。

私自身の感じるところなのだが、この白隠布袋は、呼吸に留意するという瞑想(すなわちヴィパサナ)に没入している。そして、ゆったりと静まった深く微細な呼吸から、世界に向かって働きかける生き生きした生命力が湧き上がって来ている。そこには、命をはぐくむ柔らかな女性性の質が顕現している。これを体現するのは難しいぞ、と白隠さんは言っているようにも思われるのだ。

賛の全文を見てみよう。(原漢文)

善導(ぜんどう)は三尊の弥陀を吐く(中国浄土宗の開祖である善導が息を吐くと、それは阿弥陀仏となった)

布袋は二八のお福を吹く(布袋白隠は、二八(16歳)の可憐なお福を吹き出す)

弥陀を吐くは称名の功に依る(阿弥陀仏を吐くのは称名念仏の功徳によるものだが)

お福を吹くは将(は)た其(そ)れ何の力ぞ(ワシがお福を吹くのは、いったい何の力によるものであろうか)

随分とおもへどもお福ばかりは吹にくひものでござる(ずいぶんとトライするのだが、お福ばかりはむずかしいわい)

白隠さんの天神信仰は、禅と神道の融合の先駆けとして意味深いように思われる。1月19日、丑天神、祟り神、梅の花、弥勒、そして変性女子。
フォト

出口王仁三郎のことをご存じの方は、これらが何を意味しているのかすぐにわかるだろう。神道の霊性の流れの中に、白隠禅師が深く関わっているように思うのは私だけだろうか。

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