mixiユーザー(id:12410478)

2016年10月28日08:12

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最後の証人が逝く。

この人は、矛盾を生きました。

軍部は好きではないですが、
男性皇族が軍務につくのは、皇族方も軍務に服していらっしゃる…という、「示し」の問題です。

小学校によっては「行軍」などと呼ばれていた、20kmを歩かせるような長大な遠足があります。あれは、定年間際の先生も一緒に歩くから、子どもも文句が言えない。先生が特別扱いされて、車で移動したら、子どもたちは「やっていられるかよ」となります。

三笠宮さんは、やむを得なかったかもしれませんが、結果的に軍紀を乱しました。
上層部の批判をしました。
皇族は何をやっても処罰されないということが背景にあります。
現代では、シビリアンコントロールということになりますが、軍隊の統制は、企業のガバナンス以上に重く考える必要があると思います。

また、考えられないのは、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E9%87%8E%E7%94%B0%E7%9F%A5%E9%87%8D
にあるように、同志を売ったということ。
平時なら、津野田は死刑になっていたはずです。
(ただし、この事件は研究書が極端に少ないので、全貌がよくわかりません。ご存じの方がいらっしゃったらご教示ください)

一方、このように著書で述べています。

〈わたくしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実体に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉
〈この失敗は軍および日本政府首脳者に真剣な反省をうながし、新たに対華新政策なるものが決定され、わたくしが南京に在住していた一年間は、司令官以下この新方針の徹底に最大の努力をした〉
〈新政策が発表されるや、軍司令官はただちに「四悪」を禁止するという厳重な命令をくだした。四悪というのは略奪、暴行、放火、強姦のことである。(中略)ある第一線の大隊長のいうことがふるっていた。今までは敵のいた家は焼きはらって進んだので、自分の大隊の第一線がどの辺を前進しているかすぐ分かった。ところがこんど放火を禁ぜられてみると、第一線がどこにいるかさっぱり分からない、と。まったく笑えないナンセンスであった〉
〈聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉

これは、決して、戦後、時流に迎合して、保身のために豹変したのではなく、
戦時中から堂々と批判されていたことです。
また、この証言は、支那派遣軍総司令部に長く勤務した、皇族であり陸軍大尉の証言ですから、非常に貴重なものです。

功罪半ばする人です。

しかし、この人を、赤い皇族などというのは間違いです。

軍紀にも右も左もなく、
裏切りにも右も左もありません。

そして、
虐殺には、右も左もありません。

三笠宮崇仁さまご逝去、100歳
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4262257
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