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2016年10月09日21:34

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今日の『真田丸』

いよいよ世の中が動きだしました。

そのめまぐるしい動きをいちいち描いていては尺が足りなくなると思ったのか、片桐且元の懐古談という形で話は進みました。
それはうまいと思います。

大坂の陣の発端が片桐にあったことや家康の豊臣家に対する三ヶ条要求はまたこのドラマのフィクションかと思いきや、調べたら今日は結構史実(定説)通りでした。
方広寺鍾銘事件もほとんどひねりがなく、定説通りでしたね。

そういえば前の小田原合戦の時、小田原城に乗り込んだのは黒田官兵衛のはずなのにそれを信繁にすり替えていると私は騒ぎましたが、今日ようやくちゃんと黒田官兵衛も信繁のあとに小田原城に乗り込んだことがきりの言葉という形で明かされ、それで小田原開城は官兵衛の功績であるということを認めました。
ただし「ナントカ官兵衛」はひどいでしょう(笑)
この『真田丸』制作陣はよほど『軍師官兵衛』制作陣に対抗意識を燃やしているのでしょうか。

なんだか最後の、まるで総集編のような回想シーンの連続はちょっと食傷気味になりました。

そうそう、昌幸の死後、信繁は一時出家していたという話もあるのですが、このドラマではそれはスルーでした。

ほんとに家康は食えない男として描かれています。
これでは「鳴くまで待とう」どころか、家康までもが「鳴かしてみしょう」ですね。
だから早いうちに信長から「殺してしまえ」で家康が殺されていれば、歴史は大きく変わったでしょう。
信長ほどの男が家康の本性を見抜いていないはずはなく、危険視していなかったはずもなく、殺そうとしていたに違いありません。

さて、今回、信繁は「幸村」と名乗りましたが、これはあまりにも幸村という名前で定着しているので、一種のファンサービスですね。
実際は信繁は幸村などと名乗ったことはないということも重々承知の上で、あえて幸村と名乗らせた脚本家の意識が読み取れます。
幸村とは、江戸時代に書かれた小説の中でのネーミングです。
その方があまりにも有名になってしまった。
信繁本人は聞いたこともない名前のはずです。

そしていよいよクライマックスということなので期待しましょう。
きょうはここまで、
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