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2016年08月29日06:44

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『寄り添う人』

『いじめ』という言葉のあや

おはようございます。
今朝のニュースで、
また『いじめ』のニュースを、
やっていました。

学校側は、お決まりの、
『いじめ』があったか、なかったか、
事実関係を調査する。
という、コメントを出していました。

毎回思うのは、『いじめ』という言葉を
使うのは、やめにした方がよいと感じています。

『いじめ』があったかなかったかに、
議論が終始してしまうからです。

『いじめ』があったかなかったとは、
別の次元で、被害者生徒は、間違いなく、
何かに『追い詰められていた。』のだと思います。

そして、そんな追い詰められた被害者生徒に、
『寄り添う人がいなかった。』のだと思います。

本来『寄り添う人』は、親であったり、先生が、
その役割を担うべきなのですが、
その肝心な、親と先生は、『いじめ』があったか、
なかったか『責任の押し付け合い』に終始して
しまいます。

親でも先生でも誰でもいい
『追い詰められた人』には、
『寄り添う人』が必要なのだと思います。

親と先生は、『いじめ』があったか、
なかったかの責任の押し付け合いを、
するのではなく、

自分が、『寄り添う人』の役割を、
果たせたか、果たせなかったか、
話し合い反省すべきだと思います。

では、では。
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