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2016年06月13日23:38

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元ジブリP西村義明氏、英紙の性差別発言について謝罪 「映画を作るのに性別は関係ありません」

元ジブリP西村義明氏、英紙の性差別発言について謝罪 「映画を作るのに性別は関係ありません」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4041223

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英The Guardian紙によるインタビューで、性差別的な発言をしたと批判があがっていた、元スタジオジブリのプロデューサー・西村義明さん。6月13日、代表取締役を務めるスタジオポノックのTwitterで、発言について謝罪しました。

【アカデミー賞授賞式時の西村氏

 批判があったのは6月6日(現地時間)The Guardian紙が公表したインタビュー記事。「ジブリは女性の監督を雇わないのか?」という質問に対し、西村さんが「女性は現実主義な傾向があり、日々の管理がとてもうまい。これに対して男性はより理想主義な傾向があり、そしてファンタジーには理想主義的なアプローチが必要だ。男性が多いのは偶然の一致だとは思わない」と答えたもの。これを受け海外では「ジブリが性差別的発言を行った」と非難の声が相次ぎました。

 西村さんはTwitterで、確かに当該の発言をしたと説明。取材は2015年9月28日にイギリスで行われ、2014年末にジブリを退社したのですでに社員ではなかったものの、「ジブリを代表した意見であるという誤解を与えたこと、ジブリを愛する皆様に不快な思いをさせたことを深くお詫びいたします」とジブリの発言と取られたことを謝罪しました。

 また、「男性は観念的な傾向が強く、現実を生きる力は女性の方が長けている。そういう差別的で偏った考えは、確かに自分の中にありました。反省し、勉強します。映画を作るのに性別は関係ありません。深くお詫びいたします」と、性差別的な内容についてもお詫びの言葉を述べました。
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この人の愚かさはこれだけ危険そうな話題に、何の臆することもなく、飛び込めてしまう事だろうなぁ。と思うのである。

個人的な思想だの、思い入れは信頼できる仲間であるとか、会社の中だけでやるべきことであって、公共のしかもインタビューなどで言うことではない。

そういう場所では当たり障りのない話をするか、何か特に信念みたいなのを語りたければ、そういう風にもってゆくべきなのだ。監督と性差の関係を研究することが本当に信念であったのならば、まぁ、おそ松さまという感じだ。

世界の多様化において、本人にその気がなくても、差別的にとらえられたり、また、差別的側面を内包しているが故の発言ではないか、という風にとらえられるのはこれはもう仕方がないのである。

生来、西洋人などが差別でうんぬんできるわけがなく、おまえら過去500年の殺戮の歴史をまず、片づけてから出直して来いと思わないでもないのである。しかし、その恐怖すべき殺戮からか、次はイルカを救えと言う人も登場するのだから、なるほど、人間というのは多様なものである。

どちらにしても、ステレオタイプなのである。この地球に70億の人間がいるという。そのすべてに当てはまることなど、そうそうないのである。下手をしたら、その中には次の類人猿というべき、進化した種がいるかもしれないわけで、想像してみたら、とにかく、70億人のひとりひとりに聞いてみたこともないのなら、一般論というのは、これは必ず例外があるというわけである。

単一と言われやすい日本でさえ多くの文化であるし、歴史をさかのぼればとくてもたくさんの民族、地域、文化のハイブリッドであって、それでも、今のところ、単一系と思えるのは、国の成り立ちがわりかし早かっただけの話であって、それはもう、江戸時代に鎖国して、固有化の方向に行っただけの話である。

さらに言えば、江戸時代は数百の諸藩がみな独自色を持っていて、藩が違えば言葉も違うなど、多様性は高かった。単一性が強まったのは、これ富国強兵による明治の教育のおかげであって、西洋列強とやりあうためには一枚岩が都合がよかったわけである。

つまり、中央集権という制度によってのみ、我々は単一系と思い込んでいるだけの話で、畢竟、実際の所、話はそんなに単純ではあるまい。

つまり、複雑であるものを単純と見たり、ほんの少しの集合だけに通用することを一般論とみなしてしまうのは、人間のくせのようなもので、そう捉える方が分かりやすいというだけの話である。

つまり、この人のなにが愚かだったかと言えば、危険極まりない話への嗅覚がとても馬鹿になっていたというだけの話であって、さらに言えば、そんなステレオタイプの話が通用するわけないじゃないか、というところである。

差別とは常にステレオタイプなのである。もう何ひとつ例外なく。とすれば、それは差別であるという指摘は、単に、そんなの例外がいくらでもあるじゃないか、というだけの話であって、そこに、そんなことも知らないでいたのか、という驚きとか、呆れてしまう感が加われば、いっちょ前の差別の糾弾の出来上がりである。

当然ながら70億人もいれば、全部違う。違いすぎて、グループを作れなくなるから当然、差別という概念さえも生まれない。差別という考えの中にすでにステレオタイプが内包されているわけである。

なぜなら差別とはある集合を集団化したうえでの区別から発生するからである。すべてが等しく違う状況では差別は起きない。グループ化することで初めて発生しうるわけであって、ではなぜグループ化するかと言えば、その方が話が簡単にできるからであって、

当然ながら話を簡単にするには幾つもの something を無視したり、切り捨てたりしなければならない。そのぽっかりとあいた空白の中に、悪い感情が入り込めば、簡単に悪い差別となって表出するであろう。

だからもし悪い差別、許容できない差別というものがあるとき、そこから遠く離れるには、グループ化した構造を一度、解体してみるしかない。そのうえで、差異を比べてゆくしかないと思われるのである。

何れにしろ、そこまで深く考えた発言ではないからこそ、普段からこの人はどういうものを考えてきたのだろうか、と、深読みされてしまうのである。そこが恐ろしいところであって、他意も差別も本人には自覚がないであろう。

もちろん、一般論というよりも、この人自身が高畑勲と宮崎駿の二人しか知らないのに、よく監督論などを語る気になったものだと感心してしまうのである。

エベレストとマッターホルンしか知らない人が、世界中の山はね、とか語り始めたら、それはちょっと、おいおい、と思われて当然ではないか。



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