mixiユーザー(id:51444815)

2016年05月22日16:31

277 view

男が百夜(ももや)通い給うこと 1

「では兄様(あにさま)、今夜も行って参ります。陰陽寮での宿直(とのい。泊まり込みの警備)の代行、よろしくお願いします」
「あぁ、行っておいで」

日が落ちて長い夜が始まろうという頃、賀茂家の門前で異母兄弟、賀茂保栄(かものやすよし)と賀茂忠憲(かものただのり)が出立の挨拶を交わしていた。夜の住人である妖異と対峙できる陰陽師の仕事に、京の夜間警備は付き物なのだ。
縹(はなだ)色をした狩衣の袖口に隠し持つ呪符の最終確認をする保栄を、彼の式、つまり配下の妖異である握りこぶし大の小さな姫、沢女(さわめ)が潤んだ瞳で見つめている。忠憲の傍で悩まし気にぐるぐる浮遊していた彼女は、気を引き締めたのか真面目な顔つきで保栄の方へ移動する。

「あ、あの・・・保栄様、よければ今宵は私も・・・一緒に・・・その・・・」
「では沢女、留守を頼んだぞ」
「は、はいっ!」

沢女は不意に顔を上げた主人に驚いて反射的に承諾の言葉を発する。蚊が鳴くような声でかけられた彼女の声に、どうやら保栄は気づかなかったようだ。

「兄様がサボり始めたら叱ってくれ」
「は、はいぃ・・・」

また言えなかった・・・と落胆する沢女を他所に忠憲が笑う。

「ハハ、私がサボる前提かい?」
「日頃の行いのせいじゃないですかね?」
「そうやって怒る保栄が可愛くてつい・・・な」
「はいはい、言い訳ならもっとマシなのを考えて下さい」

茶化す兄を軽くあしらって、保栄は一礼する。

「では改めて・・・行ってきます」

踵を返し振り返る事のない背中に忠憲は朗らかな笑みで手を振る。その隣で小さな妖女は、か細いため息をついて主人の出立を見送ったのであった。



明朝、空が白んで小鳥達が朝のさえずりを始める頃、陰陽寮の光元の部屋は配下達の溜まり場になっていた。

「んでこんな所に押し込められねぇといけねぇんだよ!」
「陰陽師の巣のど真ん中に転がり出て、滅されたいなら好きに出てみろ」

金髪の偉丈夫、黄龍のコーちゃんが苛立たしい声を上げる真横で黒髪の若者、玄武のクーちゃんが面倒そうにため息をこぼす。彼らは夜間の妖異退治を終えたらこの部屋に戻るようにとお達しを受けていたのであった。

「おいコー、ただでさえ狭いんだからせめて足を縮めろ」
「いいだろ別に。俺は北だけのお前と違って南と東請け負ってくたびれてんだよ」
「南はシーと兼任だろう?体力馬鹿が自分で長所を捨ててどうする?」
「あ?」
「あーもう二人共、狭いんだから暴れるの止めてよね〜」

お達しを出した張本人、つまりは彼らの主人である少年陰陽師、青月光元(あおつきのこうげん)は蹴り合いを始めた二人に辟易した様子で文机の前に座っていた。文机と、座した少年と大の男二人。陰陽寮内であてがわれた光元の私室にそれ以上詰め込める余地はない。なにせ、本来の想定は一人部屋だ。
御簾で隔てられただけの空間なのだがこの空間だけは光元によってさまざまな守護の呪術がかかっている。自分の式神の存在を隠す術もその一つで、光元にとって式神達にこの中に居てもらう事が現状考えられる一番の安全策と言えた。

「今日は僕の家に保栄殿が忘れた書物を取りに行くって言ってたからさー、我が家で待機してもらうって訳にもいかないんだよね。先天的に妖異が見える保栄殿なら確実にコーちゃんやシーちゃん見えるし、クーちゃんも気配くらい察知されちゃうかもね。僕的には君達の存在はまだ他の陰陽師に知られたくないの。少なくとも僕の式としては」
「なら黙ってもらうように拳で言い聞かせりゃいいんじゃね?」
「いや、それは僕が死んじゃう。社会的に」

光元の苦い顔を見て黄龍は自分の帰宅という望みが叶わないことを察する。

「あー、かったりーの・・・」

ぼやきと共に胡坐をかこうと動いた足が文机に触れ、上から何かが落ちてきた。黄龍は前かがみになってそれを拾う。

「何だコレ?」

よく折り込まれた一枚の紙だった。広げられた紙の文字を追って隣に座す玄武の濃緑の瞳が動く。

「・・・恋文だな。しかも復縁を望む文面の」
「こいぶみぃ?!」
「あ、言っておくけど僕のじゃないからね」

頓狂な声を上げる男に対し、即答された少年の声。

「さるお方から、それにかかってた呪詛を取り除いてくれって依頼があったんだよ」
「復縁を望む相手を呪ったのか・・・?」
「ほんっとに不思議な話。女性の心っていうのは難しいねぇ・・・。じゃ、僕は報告書をお師様に提出してくるから大人しくしてるように・・・わっ!」

御簾を上げた光元は、途端に目の前に浮遊していた物体にぶつかりそうになる。

「はうぅ光元様〜、驚かせて申し訳ございません〜〜〜!」

後方に足を引いて焦点を合わせると、ぶつかりそうになったそれが小袿(こうちぎ)姿の小さな姫である事に気づいた。水色の袖で半分隠れた顔が不安そうに光元を見ている。大きな瞳の端には涙の粒が溢れている。

「き、君は保栄殿の所の・・・沢女ちゃん?」
「はい〜」

泣き虫姫の正体が上司の式である事に気付き、光元は手早く部屋の外に踏み出して御簾から手を離した。室内の景色が隠れる。沢女は光元に謝る事に夢中だったので、中の様子まで気を配る余裕はなかったはずだ。
彼女はよく保栄の肩辺りで浮遊している式だった。伝言役のほか、水泡を呼び出して大きな荷を運んだりも出来る有能な補佐役を担っている。

「どうしたの?一人で来るって珍しいね」
「実は光元様にお願いがあって参りました。毎晩保栄様がどちらに参られているのか、お調べ頂きたく存じます〜」
「や、保栄様?」

まさかの依頼対象に、光元はオウム返しに問い返す。

「はい、ここ三ヶ月の間、毎晩夜警と称して私を家や職場に残して何処かにお出かけになるのです〜。理由をお伺いしても教えて頂けないのですよ〜」
「でも保栄殿って、昨夜は宿直の当番じゃなかったっけ?」
「はぅ〜、宿直の任は忠憲様が代わってこなされているのですよ〜」
「そうなんだ・・・」

光元は考え・・・頷く。

「わかった。時間が出来た時でいいなら調べてみるよ」
「あの・・・ご承知の事とは思いますが・・・」
「わかってるわかってる。沢女ちゃんから頼まれたなんて言わないから」
「ありがとうございます〜。では私はこれで」

沢女は深々と頭を下げると、嬉々とした感情を示すように大きく上下に移動しながら保栄の部屋の方へ戻っていく。その姿を見送りつつ光元は小さく息をつく。

「ま、代役を請け負ってるって事はお師様は事情知ってるっぽいし、そんなに深刻に受け止める事態じゃないと思うんだけどなぁ・・・」


続く
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する