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2016年01月03日03:25

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「信長燃ゆ」感想

テレビ東京の「信長燃ゆ」、見ました。

まずタイトルからして、去年の大河ドラマ「花燃ゆ」を真っ先に連想しますね。
大河ドラマには以前にも「山河燃ゆ」というのもあったけど。

さて、まずはツッコミからいきましょうか(笑)

天正9年の信長の京都の馬揃えから話は始まりますが、馬揃えの会場がなんであんなに狭いの?
記録では南北に八町(約872メートル)あったといいますし、そこをたくさんの馬が走りまわったというのですから幅も相当あったはずです。
今回のドラマのようなあんな狭いスペースではなかったはずです。
しかもなぜか京都御所の東側のはずなのに、寺の塔が立っている。
当時の京都は応仁の乱で一面の焼け野原になった後に復興してできた町でしたが、乱の後遺症でかなりの空き地があったようです。
ちなみに大河「江〜姫たちの戦国〜」での馬揃えのシーンは茨城の「ワープステーション江戸」での撮影でしたけれど、CG合成でかなりの長さの馬場を再現していました。
それと、弥助が早くも髷を結っていますけれど、弥助はこの馬揃えのほんの3日前に信長と初対面で、信長がイエズス会の宣教師から弥助の身をもらいうけたばかりです。
髷が結えるほど髪が伸びていたとは思えませんが…。
その宣教師も、二人しか出ない。
この馬揃えを見物した宣教師は司祭だけでも五人はいたはずで、修道士も含めるとかなりの数だったんですけどね。

その信長の会話の中で「イスパニヤがポルトガルを征した」とありました。
たしかにこの年の4月(新暦)、すなわち馬揃えの直後にポルトガル国王が空位となってイスパニヤ国王がポルトガル国王を兼ねるという同君連合が成立しています。
表向きは同君連合だけれど、実質上はイスパニアによるポルトガル併合だったともいえます。
それを指して信長は「イスパニヤがポルトガルを征した」と言ったのでしょう。
しかし、この情報がインドのゴアに伝わり、マカオに伝わって、日本在住のポルトガルの宣教師の耳に初めて入るのはその翌年の4月なのです。
それよりも早く、ほとんどリアルタイムに信長は地球の裏側のその事実を知っていたなんて、信長はテレビのニュースでそれを知ったのでしょうか?
あるいはネットでもやっていたのでしょうか?www

それと、安土城に造られた清涼殿は、造りをあくまで京都の清涼殿を模したとなっています。
現在の京都御所の清涼殿も、平安朝の内裏の清涼殿をそのまま復元しています。
でも今回のドラマの中の清涼殿は、造りが全然違うんですけど。

ということで突っ込みはこれくらいにして、今回は近衛前久という公家を寺尾聡が演じましたけれど、まだまだ「軍師官兵衛」の記憶が新しいです。
甲冑を着たシーンだとどうしても近衛前久を徳川家康だと思ってしまってなりませんでした。

そして東山信長はなんだか冷たいだけの、感情のない人間のようですね。
人間味が全然感じられない。
「江」の古舘信長や「官兵衛」の江口信長はまだ人間的暖かさを感じる信長でした。
今回は信長という人物を描くドラマではなく、事件を描くのが主眼ですから、信長自身はこんなものでもいいのかもしれませんが。

さて、今回、信長の息子の信忠がかなり凡庸に描かれています。
これは従来「織田信忠は愚鈍であった」というイメージがあってそれが定着しているので、それに倣ったのかもしれません。
しかし最近では、それは事実に反しており、実際は信忠も武将としてはかなり優秀だったという評価に変わってきています。

信長と前久の問答で印象的な部分がありました。
信長は帝に敵意はないがそれをとりまく貴族(公家・すなわち藤原摂関家=五摂家)が百害あって一利なしというような意味のことを言い、前久はそ摂家が帝をお守りしていると反論。
だけれども平安時代には、藤原氏は朝廷をないがしろにして入りこみ、それでいて朝廷の力を借りて自分たちの権力を築いてきた人たちですよね。
公家というのはその藤原摂関家の子孫です。
信長はそれを排して、朝廷を変えようとした。本当の意味で信長の構想が実現するのは明治維新以降、それまでの律令官制以来の朝廷を壊し、つまり公家を帝から切り離して帝(天皇)を西洋風の立憲君主として据えたことで完了するでしょう。
今度はその後に、軍部という存在が天皇にまとわりつくことになりますが。

このドラマではご皇室と公家を指して「朝家」といういい方をしていました。
かつて大河「平清盛」で「王家」という表現をしたところ、かなりのブーイングがありましたね、

ところで「政治は武士がやるが、外交は朝廷の権限」という意味の発言もあったけれど、それって幕末の条約勅許問題を意識したセリフではないでしょうか。
他の史料でも武士も外交に携わっていますし、足利義満は日明貿易をやっていましたよね。

それにしても、キスシーンはあり得ないでしょ。
日本ではキスは性行為時の愛撫の一種でしかなく(当時は「口吸い」といった)、現代の恋人同士のようなキスはなかったはずです。

さて、足利義昭による幕府再興云々と盛んにセリフに出てきましたけれど、この頃は幕府って言葉はそういうふうに使われていませんでしたよ。
幕府とはそもそも征夷大将軍の行軍中の仮の陣屋のことで、頼朝以来は将軍の住居を幕府と言ったりはしていましたが、今でいう武家政権を指す幕府という語は江戸時代中期から使われ始めました。
そしてさかのぼって鎌倉幕府とか室町幕府とかいうようになったのです。
だから頼朝さんに「あなたは鎌倉に幕府を開いたんですよね?」と聞いても、「幕府?何それ?おいしいの?」と言われますよ。

その幕府再興ですが、意外な事実として、足利義昭は信長に京都から追放されたあとも征夷大将軍の地位はそのままで、義昭が征夷大将軍を正式に辞任するのは天正16年、つまりすでに秀吉の天下の時代になってからなんですね。
このドラマでは正親町天皇が信長に勧めた官職の中に征夷大将軍という選択肢も入っており、それは実際にそういう説を唱えている人もいてこのドラマのフィクションではありません。
しかし上記の義昭がこの時点でもまだ征夷大将軍であるという事実、また征夷大将軍は清和源氏の流れに限定するという慣習からも、正親町天皇が信長に征夷大将軍になるよう勧めたのはあり得ないという説もあります。

総じて、今回このドラマは「「本能寺の変」を「新たな視点で描く」とかいう謳い文句で始まりましたけれど、本能寺の変の原因についてはたくさんの数の諸説があります。
これまでのだいたいのドラマはその中の光秀怨恨説に基づいていましたが、このドラマではそれとは別の、やはり数ある諸説の中のひとつである「朝廷黒幕説」に基づいていました。
「新たな視点」といってはいますが、この説はもうだいぶ前から一部の学者の間では一つの仮説として唱えられています。
とりわけ新しい視点という訳でもありません。
また、「軍師官兵衛」では、信長が皇室を廃そう(現代風に言えば天皇制を廃止しよう)としたため、皇室を守ろうと光秀が立ち上がったということになっていましたが、今回のドラマはそれとはまた違う内容でした。

確かに、これまでの光秀怨恨説ばかりに一辺倒だったドラマからすれば、新鮮だったとは言えると思います。
ただ、結構フィクションも多いので、これをもって「本能寺の変の真相」などとは思わないで頂きたいと思います。

東山紀之主演『信長燃ゆ』天下統一を目指した信長の野望の真実とは
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=124&from=diary&id=3785806
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